アメリカ最高裁が中絶を制限するテキサス州法を無効と判決した経緯

久しぶりにテキサス州の話題が日本のニュースに登場したと思ったら、またもや、テキサスが如何に保守的かを示すような話題だった。

米最高裁、中絶制限の州法「無効」 女性の権利支持

この判決は、民主党のヒラリー・クリントン氏が早速ツイッターで「テキサスと全米の女性の勝利だ」とツイートするなど、テキサス州としてのローカルな話題に留まらず、11月のアメリカ大統領選挙の一つの争点ともなりそうな勢いだ。実際、アメリカ南部ではテキサスに限らず、他の州でも同様の中絶制限法の無効を求める訴訟が相次いでおり、今回の最高裁の判決はそうした同様の訴訟に影響を与えることは間違いない。

しかし、今回テキサス州の訴訟が最高裁による憲法判断まで至ったのは、中絶賛成派と反対派の間での長い論争の歴史がある。我らがヒューストンの地元新聞であるHouston Chronicleの6月27日の記事U.S. Supreme Court strikes down Texas abortion rules in landmark ruling(アメリカ最高裁は画期的な判決によってテキサスの中絶法を無効にした)に詳しく書かれているのをまとめてみよう。

事の経緯はまず2013年1月、当時のテキサス州知事で今回の大統領選挙でも序盤に共和党から立候補していたリック・ペリー氏が「いかなる段階の中絶も過去の遺物とする(to make abortion at any stage a thing of the past)」と発言したことから始まる。当時のテキサス州では、40以上の中絶クリニックが開業していた。

リック・ペリー氏の熱意はHouse Bill 2と呼ばれる中絶制限法案に結実し、今回の最高裁の判決において問題とされた近隣の病院における医師の入院特権(Admitting Privileges)の必要性やクリニック外科手術の設備に関する厳しい規制に加え、妊娠20週以降の全ての中絶の禁止や中絶ピルの使用制限などが含まれていた。それに対して、民主党の上院議員で女性の権利の熱心な擁護者でもあったウェンディー・デービス氏は、スニーカーを履いてテキサス州議会で11時間に渡るフィリバスター(長時間に渡る演説を行い意図的に議会の進行を遅らせること)を行い、全米レベルで有名になった。

しかし、ウェンディ―・デービス氏の努力もむなしく、中絶制限法は可決した。テキサス州の小規模なクリニックにとって、入院特権を確保することや厳格な外科手術の設備を備えることは難しく、40以上あった中絶クリニックは現在では20以下にまで減少している。

そうした状況に対して、女性の権利を擁護する団体は中絶法の無効を求める二つの訴訟を起こした。テキサス州オースティンの一審では二回とも無効判決を得るものの、ニューオーリンズの控訴審では二回とも退けられる。そして、最高裁も最初は審理を拒否したものの、最終的には事件を受理し、今回の無効判決に至った。

但し今回の最高裁の判決はあくまでも、テキサス州法における入院特権の取得や厳しい外科手術施設の整備などが小規模なクリニックに閉鎖を迫る過剰な負担(undue burden)であるとして無効と判断されたものであり、それ以外のテキサス中絶法は引き続き有効となっている。更に残された中絶クリニックはテキサス州の中で大都市にしかなく、テキサス州の地方に住み中絶を望む女性は数日間家を空けることを強いられる。

ともあれ、女性団体は今回の判決を喜んでおり、特に議会でフィリバスターを決行したウェンディー・デービス氏は涙を流しながら、「本件はテキサスの女性にとって、そして全米の女性にとって素晴らしいニュースであり、かつてテキサス中の女性が有していた中絶クリニックへのアクセスを取り戻すには数か月かかるだろう」と語っている。

一方で中絶反対派は強硬な姿勢を崩しておらず、特にリック・ペリー前テキサス州知事に続いて、共和党選出で保守派で知られるグレッグ・アボット現テキサス州知事は「この決定は女性の健康と安全を保護するための州の立法権を脅かし、より多くの無垢な命が失われる危険をもたらす」との声明を出している。

そうした対立もあり、今回の最高裁判決が実際にテキサス州の中絶医療の現場をどう変えるのかは、今後の全米レベルでの類似の運動にも影響を及ぼすことは間違いなく、当ブログでも引き続き注目していきたい。

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テキサス独立に対するメキシコ人の認識はアメリカ人とこんなに違う

ヒューストンの東の郊外、ラ・ポルテと呼ばれる街にアメリカの首都ワシントンのワシントン・モニュメントに似たオベリスクがそびえ立っている。1836年にテキサスのメキシコからの独立を決定づけたサンジャシントの戦いを記念したモニュメントだ。モニュメントの最上部には、テキサス州の象徴であるローンスター(一つ星)の像が堂々と鎮座し、テキサスの人々はこのモニュメントはワシントン・モニュメントよりもローンスターの分だけ高いのだと誇らしく語る。(実際、サンジャシント・モニュメントは173m、ワシントン・モニュメントは169mでローンスターの像の分だけ高い。)IMG_0213

サンジャシント・モニュメントのウェブサイトはこちら↓

http://www.sanjacinto-museum.org/Monument/

そんな誇り高きモニュメントが記念するテキサス独立のあらましはこうだ。

19世紀前半、1819年恐慌に端を発する不況に苦しむアメリカにおいて、アメリカの実業家でスペイン臣民だったモーゼス・オースティンは、当時はスペイン領であったテキサスへアメリカ人入植者を呼ぶ計画を立て、スペインの承認を得る。しかし、時を同じくしてアグスティン・デ・イトゥルビデとサンタ・アナに率いられたメキシコの反乱軍は1821年にスペインからのメキシコの独立を勝ち取り、テキサスの新しい領有者となる。

同年、モーゼス・オースティンは志半ばで死亡し、彼の遺志を継いだ息子のスティーブン・オースティン(テキサス州の州都であるオースティンの由縁となっている人物)は、父親がスペイン政府から得ていたテキサスにおける権利をメキシコ政府との間でも保持すべく奔走し、結果として多くのアメリカ人がテキサス州に入植した。しかし、アメリカ人の急激な入植はメキシコ側の不信を生み、特に1834年にサンタ・アナがメキシコにおいて中央集権的な独裁者となってからはその対立は先鋭化する。

そして、1835年5月、アメリカでテキサス革命(Texas Revolution)と呼ばれる戦争が、テキサスのアメリカ人入植者とメキシコとの間で始まった。当初はテキサス軍が優勢であったが、メキシコの独裁者であるサンタ・アナ自身が反乱鎮圧のためにテキサス入りしてからはメキシコ軍有利に変わり、特にサン・アントニオのアラモ砦でテキサス軍の守備隊全員が殺害された、有名な「アラモの戦い」に至って、テキサス軍の不利は明確になる。

しかし、メキシコ軍はメキシコからの長距離の進軍により疲労の限界に来ていた。現在モニュメントがそびえ立つサンジャシントでメキシコ軍と対峙したテキサス軍は、サム・ヒューストン将軍(ヒューストンの由縁となっている人物)の指揮のもと、起死回生の反撃を行い、見事メキシコ軍を撃破、サンタ・アナを捕らえることに成功する。結果として、1836年5月、テキサスはテキサス共和国としてメキシコから独立し、更に1845年、テキサス共和国はアメリカ合衆国に加盟する。

と、ここまでアメリカ側から来たテキサス革命の歴史を見てきたが、一方で同じ歴史上の出来事を現代のメキシコ人はどう捉えているのだろう。ヒューストンの地元新聞であるHouston Chronicleの2016年3月1日付の記事What the Texas Revolution looked like to Mexicans(テキサス革命はメキシコ人にどの様に見えたか)にはメキシコ人側の全く違った見方が述べられている。

同記事によると、テキサス革命はInsurrección de los texanos(スペイン語でテキサスのアメリカ人入植者による反乱の意味)と捉えられている。テキサス革命はテキサスに来て間もないアメリカ人入植者が組織した民兵軍が引き起こした反乱であり、そしてその反乱は帝国主義的な膨張政策の初期にあったアメリカ合衆国政府によって支援されていたというのだ。更に、スティーブン・オースティンが民兵の反乱軍を組織したのは、奴隷による大規模プランテーションを実現するため、メキシコでは禁止されていた奴隷の保有を合法化するためであったとまで主張する。

アメリカ人とメキシコ人、どちらの主張が正しいかを判断することは本記事の目的ではない。本記事で読者の皆様に伝えたいのは、一つの歴史的出来事を巡って異なる見方が存在すること、そして、本件について言えば、そうした見方の対立は将来的に大きな問題となりうるということだ。

というのはこの数十年、テキサス州には合法・非合法を含めて、メキシコを中心とした多くのラティーノ系移民が移住している。我らがヒューストンでは、ラティーノ系人口がヒューストン全体の人口の中でのマジョリティとなっている程だ。とは言え、ラティーノ系人口は経済的にも政治的にもまだまだマイノリティーではある。しかし、以前このブログで紹介したフリアン・カストロ氏の様に、ラティーノ系の政治家が連邦レベルや州レベルで政治の表舞台に登場した時、異なる歴史解釈をめぐる相互理解がより重要となるのは間違いないだろう。

テキサスのラティーノ系の二大政治家であるテッド・クルーズ氏とフリアン・カストロ氏についての記事はこちら↓

テッド・クルーズとフリアン・カストロ-テキサスのラティーノ系政治家達

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石油の街ヒューストンならではの石油にまつわる博物館

古今東西、世界には多くの博物館がある。大英博物館の様に世界中からありとあらゆる事物を収集した場所もあれば、鉄道博物館という様に、特定の事物に特化した場所もある。そして、石油ガス産業が主要産業であるテキサス州ヒューストンには、石油ガス産業に関する博物館がいくつもあるのだ。日本人には馴染みの薄い石油ガス産業の世界をわかりやすく紹介する石油ガスの博物館をここで紹介してみたい。

まずは、ヒューストン最大の博物館であるHouston Museum of Natural Science(ヒューストン自然科学博物館)。ここは、一般には全米最大規模の恐竜の化石を所蔵することでも有名だが、この博物館の一角にWiess Energy Hallと呼ばれる石油ガス産業に関する展示を集めた大きなスペースがある。

展示としては石油ガス産業の上流から下流への流れに沿って続いていて、石油ができる仕組み、石油の探鉱(Exploration)、掘削(Drilling)、生産(Production)、加工(Process)、輸送(Transportation)など、石油ガス産業のそれぞれの工程に関する最新技術を、豊富な実物の展示や作りこまれた映像を通して学ぶことができる。2013092311412841a

201309231141272f0なかでも目玉は、Geovator(ジオベーター)と呼ばれるアトラクションで、約2,300メートルの地下にある石油の層まで、実際に井戸の中を通って降りていく様な気分になり、石油掘削と生産の現場を疑似体験することができる。映像や音響は博物館とは思えない程凝っていて、特に米国のシェール革命を可能にした最新技術Fracking(水圧破砕)を疑似体験できるのは、石油ガス産業に携わる者にはたまらない。

次に紹介するのは、Ocean Star Offshore Drilling Rig and Museum。ここはヒューストン中心部から南東に一時間程車を走らせたガルベストンという街にあり、目の前にはメキシコ湾が広がっている。メキシコ湾は世界中でも、海上油田や海上ガス田が多いことで知られ、石油ガス産業が発達するにつれて、メキシコ湾の中でもより深い場所(Deepwaterと呼ばれる)にある石油ガスを掘るために、リグと呼ばれる掘削用のやぐらが進化してきた。

ここはそんな海上用のリグの詳細やリグの進化の歴史が学べる、おそらく世界でも唯一の博物館であり、リグに関する展示物は数多い。何しろ博物館の外側に、実際に海上掘削に使用されたリグがそのまま展示されているのだ。かなりマニアックな博物館ではあるが、ガルベストンではここ以外にも修理中の巨大なリグをそこかしこに見ることができ、自然にリグについて興味が沸いてくると思う。

写真は修理中のリグとその近くに停泊中のカリブ海クルーズのクルーズ船。こんな景色が見られるのもガルベストンならではだろう。IMG_0272

そして、最後に紹介したいのは、次の写真に写っている博物館。201311171503555f7

と、読者の皆様はただの工場が写っているだけだと思っただろうが、ヒューストンはテキサス州各地で生産される石油や天然ガスを背景に、世界最大の石油化学プラントの集積地となっている。特に、ヒューストンの東の郊外、Houston Ship Channelと呼ばれる石油タンカーが通る運河が内陸まで入り組んでいるエリアに巨大なプラントが多く、その辺りを運転するだけでも、一面に広がる石化プラント群に圧倒される。更に、一般人でも意外と近くまで接近することができるので、石油を精製するプラントが吐き出すフレアと呼ばれる炎さえ見ることができるのだ。石油ガス産業を理解するための博物館という意味では、この石化プラント群も一つの博物館と考えることができると思う。2013111715040073c

ヒューストンの観光地というと何といってもNASAが有名だが、石油ガスの街であるヒューストンを訪問した際は、ぜひこうした博物館に足を運び、石油ガス産業の持つダイナミズムを実感して頂きたい。

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【書評】『沈みゆく大国アメリカ』に見るアメリカ医療保険制度の複雑さ

アメリカに来て最も驚いたことの一つはアメリカの医療保険制度の複雑さだ。まず、日本の様に健康保険の保険証があればどの病院でも自由に診察が受けられるというわけではない。医療保険は民間の保険会社がそれぞれ違った条件の保険を提供しており、自分が受診する医療機関がその保険でカバーされているかを調べなければいけない。

めでたく保険が適用されることがわかり受診ができても、医療費の支払いも一苦労だ。最初の窓口負担(Copay)は少額だが、それで安心していると、数か月後の忘れた頃に保険会社から保険金額の計算書が送られてくる。その計算式は複雑だが、重要なのは自己免責額(Deductible)と患者負担額(Coinsurance)の合計に、最初の窓口負担を合算したものが自己負担の合計であり、その金額は日本人の感覚からするとかなり高額だ。

そんなただでさえ複雑な医療保険制度に対して、2010年からはオバマ大統領の肝いりの政策である医療保険制度改革法(通称オバマケア)が加わり、ここ数年、少しずつオバマケアの諸制度が施行されていく中で、日本人の在住者にとってアメリカの医療保険制度は更に複雑怪奇になっていった。

そうしたアメリカの医療保険制度の最新の状況を概観できる日本語の入門書として、堤 未果氏著の「沈みゆく大国アメリカ」(集英社新書 2014年)は貴重な書籍だ。本書では、アメリカ現地の様々な関係者の証言を紹介しながら、アメリカの医療保険制度、そして、それをオバマケアがどう変えようとしているのかを明らかにしていく。

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オバマケアの要点は次のいくつかの点にまとめられる。まず、(1)医療保険はこれまでの様に任意加入性ではなく、国民全員に加入義務があり、無保険者には罰金が科せられる。かつ、(2)低所得者の無保険者達が実際に保険に加入できる様、最貧困層の公的保険であるメディケイドの適用枠が拡大される。更に、(3)保険会社が過去の病歴で保険加入を拒否したり、加入者が病気になったことで保険を途中解約することは違法となる。同時に、(4)保険加入者の自己負担額には上限が加えられる。そして、その財源は製薬会社や医療保険会社への増税や、高齢者向け公的保険であるメディケアの改革によって賄われるという。

これだけ見ると大きな改善に思われ、実際にオバマケア成立時にはアメリカ国民の多くが熱狂的に歓迎したが、堤氏によるとその後、国民にとっては多くの想定外の事実が明らかになったという。

例えば、「無保険者に保険を!」とのオバマケアのスローガンの中核であった低所得者層へのメディケイド枠拡大については、メディケイドに対する医療報酬が低いために、メディケイド患者の診療を拒否する病院が続出しているという。それに、メディケイドでは診療代や薬代は保険でカバーされるが、製薬会社が新薬の価格を釣り上げたために、実際に負担をする地方自治体や、その財源である税金を納める中流以上の国民は、負担増に悲鳴を上げているという。

また、病歴による加入拒否が廃止されて喜んだHIV患者や、自己負担額の上限設定に涙した難病で医療破産寸前の患者も、自らが必要とする薬がオバマケアの処方薬リストに含まれていないことを知って愕然としたという。

こうした状況を踏まえて堤氏は、オバマケアは貧困層のための医療制度改革ではなく、医療保険会社や製薬会社が自らに莫大な利益をもたらすために仕掛けた新たなマネーゲームであると断ずる。例えば、日本と違って政府が薬価交渉権を持たず、製薬会社が自由に新薬の価格を決められるアメリカでは、オバマケアの様に製薬会社への増税に基づく医療制度改革を行っても、製薬会社が新薬の値段を釣り上げ、増税を遥かに上回る利益を上げることができるのだ。医療保険会社にしても、オバマケアで定められた条件を満たす代わりに、保険料額の値上げを実施できることで増税の不利益は薄い。更に堤氏は、オバマケア法案自体も、元保険会社の重役が回転ドアによって政府の内部に入り込んで書き上げたものだとまで主張する。

結果として、オバマケアが救うはずだった中流以下のアメリカ国民はもちろん、過剰な報告義務や医療行為上の制約を課せられた現場の医師達も疲弊してしまっているという。

堤氏が更に問題にするのは、そんな現状をアメリカ国民の多くが理解していないことだ。大半のアメリカ人は医療保険制度の仕組み自体も正確には知らないという。確かに私自身も共和党支持者の多いアメリカ南部で、「オバマケアは社会主義だ」など、オバマケアへの不満は何度も耳にしてきたが、その実、具体的に何が問題なのかと問うと、明確な答えは返ってこなかった。そうしたオバマ大統領の政策に対する漠然とした怒りが、現在のトランプ氏やサンダース氏へのポピュリズム的な支持にもつながっているのだと思う。

その点、本書を読んで、漸くアメリカ医療保険制度をめぐる動きの全貌が俯瞰でき、ひいては、医療保険制度に限らず、一部のエリート層がアメリカ社会をどう変えたいと思っており、それに対して中流以下のアメリカ人の不満がどの様に高まっているかについても、理解を深めることができた。

しかし、オバマケアが医療保険会社や製薬会社が莫大な利益を上げるために作られた法律だとする著者の主張には疑問も残る。これまで何人もの指導者が無しえなかった国民皆保険というシステムをまがいなりにも成立させたこと自体はオバマケアの大きな功績だと思うし、今後、医療保険会社や製薬会社に負担増を強いる追加の改革次第では、低所得者層に実利をもたらす運用も可能かもしれない。ロビイズムが盛んなアメリカの政治の舞台で、最初から理想通りの改革を成し遂げることは困難だろう。

また、本書には、オバマケアによってメリットを得た患者や医療関係者のインタビューが全くないのも不自然に感じられるところだ。今後、他の関連書籍も読んで多角的な理解を深めてみたい。

ともかくも、アメリカの医療保険制度の複雑さに悩まされた人にこそぜひ読んでほしい一冊だ。本書は、その医療保険制度において強者に食い物にされないために、自分で調べ考えるためのヒントになることは間違いない。

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ニューオーリンズの名物カフェ、カフェデュモンドを東京で発見

ルイジアナ州ニューオーリンズと言えば、フランス植民地時代の影響を色濃く残すアメリカ南部随一の観光地であり、その中心にあるフレンチクウォーターはいつでも世界中からの観光客で賑わっている。そして、そのフレンチクウォーターで100年以上前から、24時間、ほぼ年中無休で営業している名物カフェがCafe du Monde(カフェデュモンド)だ。これまでカフェデュモンドでの特別な一時は、ニューオーリンズを訪問した者だけに許される特権だと思っていたが、今回、偶然に東京にもカフェデュモンドがあることを発見した。

本家Cafe du Mondeのウェブサイトはこちら↓

Cafe due Monde in New Orleans

場所は東京でも有数の繁華街、池袋の駅前。池袋西口公園近くの喧騒から浮いた感じで、ニューオーリンズでお馴染みの緑と白の縞模様の看板が堂々と掲げられている。IMG_0241

まさかと思いメニューに近づいてみると、カフェデュモンドの看板メニューであるチコリ・コーヒーやカフェオレ、ベニエが書かれており、どうやら本物の様だ。それでは、ニューオーリンズ未体験の方にも、カフェデュモンドに興味を持って頂ける様、本場と日本との違いに触れながら、ここで紹介してみよう。

まずは店内の様子。ニューオーリンズのカフェデュモンドは24時間営業の観光客御用達の店だけあって、次々と入れ替わる客やひっきりなしに運ばれてくる料理でごちゃごちゃしており、テーブルや床の上も散らかっていることも多い。一方の日本のカフェデュモンド。さすが日本のカフェだけあって、店内は落ち着いた雰囲気で床にはごみ一つない。IMG_0246

次はドリンク。カフェデュモンドでは、コーヒーに、チコリと呼ばれるハーブの根を挽いたものがブレンドされたチコリコーヒーが飲める。ニューオーリンズのバーボンストリートで深夜まで飲み過ぎた朝にこのチコリコーヒーを飲むと、お腹の調子が良くなるという優れものだが、日本のカフェデュモンドでも、コーヒーは全てチコリコーヒーで、店頭で販売もされている。IMG_0242

このチコリコーヒーをカフェオレにして飲むのが、カフェデュモンド流であり、ニューオーリンズではアメリカンコーヒーが好きなアメリカ人には珍しく、ほとんどの人々がカフェオレを飲んでいるのだが、日本のカフェデュモンドでも、メニューの一番上にカフェオレが掲げられていた。IMG_0244

そして、カフェデュモンドの名物スイーツ、Beignet(フランス語でベニエと発音する)もバッチリ再現されている。ベニエは四角く切った生地を油でこんがり揚げたドーナツに似たスイーツで、その上に粉砂糖をかけて食べる。ニューオーリンズのお店だと、ベニエが見えなくなる位に粉砂糖がこれでもかとかかっており、正直もう少し砂糖が少ない方が美味しいのではないかと思ったものだが、嬉しいことに日本では、日本人の好みに合わせて砂糖が控えめにかかっており、お好みで足せる様に砂糖の瓶もついてくる。IMG_0245

それでいて、もちっとした食感はニューオーリンズそのままであり、できたてのアツアツを持ってきてくれるのも嬉しい。

結論として、日本のカフェデュモンドで、チコリコーヒーのカフェオレとベニエを頼めば、日本にいながらに、まるでニューオーリンズのフレンチクウォーターにいるかの様なカフェタイムが頼めることが間違いなしだ。

それでは、そもそも何で日本に本物のカフェデュモンドがあるかについて、日本のカフェデュモンドのウェブサイトには明確な記載はないが、本国のCafe du Mondeのウェブサイトに答えがあった。

そこの記載によると、1984年にニューオーリンズで万国博覧会が開かれた際、カフェデュモンドを訪れた日本のビジネスマンが、日本でカフェデュモンドをオープンすることに興味を示したという。しかしその後、正しいパートナーを見つけるのに5年もの月日を要したが、1989年にダスキンがフランチャイズパートナーに名乗りを上げ、カフェデュモンドのオーナーであるフェルナンデス家としても、日本でのフランチャイズ経験が豊富なダスキンであれば自分達のやり方を再現してくれると感じ、フランチャイズに向けた準備が始まったという。

日本側のカフェデュモンドのウェブサイトによると、2016年6月現在、全国で12店舗が営業しているようだ(東京では池袋だけ)。ぜひお近くのカフェデュモンドで、非日常の街ニューオーリンズの特別な一時を味わって頂きたい。

日本のカフェデュモンドのウェブサイトはこちら↓

Cafe du Monde(カフェデュモンド)

【2017年1月2日追記】

残念ながら、池袋のカフェデュモンドは2016年10月に閉店してしまいました。アメリカ南部好きとして、東京都内への再出店を切に願います。

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