テキサスへの愛に溢れた目黒のリトルテキサス

最近、東京でもテックスメックス料理を謳うレストランが増えている。しかし、そんな店は大概、テキサス流にアレンジされたメキシカン料理であるテックスメックス料理の看板を掲げていても、実際にはメキシコ料理そのものだったりする。しかし、東京の目黒の一角にあるリトルテキサスは本格的なテキサス料理が食べられる数少ないお店だ。しかも、このリトルテキサスは、テキサス料理だけでなく、オーナーのテキサスへの愛に満ちた場所である。

目黒駅西口から徒歩5分、飲み屋が軒を連ねる通りを歩いていくと、一際人目を引く看板に出会う。

テキサス州の地図、そして、テキサス州立大学(通称”UT”)のシンボルであるロングホーンを組み合わせた店名のマークの右下には、小さく”TOKYO, TX”と書かれている。地名の後に州名を表すアルファベット二文字をつなげるのはアメリカではお馴染みの表記方法で、「テキサス州の東京」という意味だ。この辺りからテキサス州への愛が感じられるが、地下一階に降りると、

今度は、テキサスのカウボーイ文化を思わせるシックな木造の入り口と、テキサス州旗に迎えられる。それでは、店内に入ってみよう。

店内でも、テキサスのバーでよくある様に、壁にテキサスにまつわるステッカーが多数貼られていて、まるでテキサスにいるかの様な気分にさせられる。

こんなテキサス愛にあふれた店を作り上げたオーナーは、テキサスのことが本当に大好きで、過去20年以上にわたって毎年複数回テキサスを訪問しているという。オーナーによると、そんなオーナーの思いが伝わって、テキサス側でも東京のリトルテキサスのことが取り上げられる様になり、東京を訪れるテキサスからの観光客がリトルテキサスを訪れ、テキサスのステッカーを持ち寄ったことで、今の様な賑やかな姿になったのだという。

リトルテキサスは料理にもこだわりがあり、ハラペーニョやサルサ、サワークリームなどテキサスでお馴染みの食材を使ったおつまみに加え、ステーキやポークリブのバーベキューなど、がっつり食べられるメインディッシュも豊富だ。アメリカでは定番の軽食であるオニオンリングもリトルテキサスの手にかかれば、こんな感じで、テキサスの地図を模したボードに乗せられて提供される。

個人的には、テキサスの家庭料理であるチキン・フライド・ステーキが食べられるのが嬉しい。通常のステーキは調理法の差こそあれ世界中どこでも食べられるが、薄くのばした牛肉に衣をつけて油で揚げ、ホワイトソースをかけたこの料理は、アメリカ南部独特の料理だ。

ただ、ドリンクについては、アメリカで人気のクアーズやミラーなどのビールが飲めるのは有難いが、テキサスで製造され、テキサスで最も人気の銘柄、シャイナ―が無いのは少し残念。

そして、リトルテキサス最大の魅力はカントリーミュージック。毎週末には、カウボーイハットとジーンズ、カウボーイブーツでばっちり着飾った日本のカウボーイ達がカントリーの名曲を聴かせてくれる。カントリーミュージックは今でもアメリカ南部では大人気で、特にロデオにはカントリーのライブは欠かせない。

看板から音楽に至るまで店全体から伝わってくるオーナーのテキサスへの愛は、何と元テキサス州知事で、現在もトランプ政権で要職を占めるリック・ペリー氏にも評価され、彼からテキサス州の名誉州民に認められたという。

単に料理がテキサス風というのとはレベルが違う、テキサスそのものの雰囲気を感じたければ、ぜひ目黒のリトルテキサスを訪問してほしい。

ヒューストンバレエ団が来日公演!―千葉との絆―

この週末、我らがテキサス州ヒューストンが誇るヒューストンバレエ団が千葉県千葉市美浜区で初めての日本公演を開催している。ヒューストンバレエ団が千葉での公演に至ったのは、ヒューストンと千葉との絆、そして関係者の粘り強い努力によるものだった。

ヒューストンというと、石油の街をイメージする人が多いと思う。しかし、実際にはヒューストンはバレエやオペラ、オーケストラなど多数の文化団体を有するアートの街で、特にヒューストンバレエ団は1969年設立の歴史ある団体だ。多文化の街ヒューストンらしくダンサーの文化的背景も様々で、特に日本人ダンサーは現在6人も集まっている。

そんなヒューストンバレエ団に長く貢献してきた日本人ダンサーが、2016年まで12年間ヒューストンのステージに立ち続けていた楠崎なおさんだ。愛媛県で生まれた楠崎さんは10歳の時に家族とともに渡米し、最初はワシントンDC、次いでボストンで暮らす。ボストンでバレエのトレーニングを積み、ボストンバレエ団のダンサーとなった楠崎さんは、ヒューストンバレエ団の芸術監督であるスタントン・ウェルチの作品に感銘を受け、後にヒューストンバレエ団に移籍する。

楠崎さんはダンサーとしての活躍とともに、芸術が周りの人々に対して何ができるのかを考え続けてきた人でもあった。2011年の東日本大震災の後には、ヒューストンバレエ団によるチャリティーイベントを企画し、また、2015年には日本の昔話に基づく創作バレエ作品である『TSURU』を手掛けた。

そんな楠崎さんにとってヒューストンバレエ団の日本公演は長年のプロジェクトであった。ヒューストンと千葉市が今年で45周年となる姉妹都市であること、そして、先述の『TSURU』の振付を手掛けた小尻健太氏の地元が千葉市美浜区であることの縁もあったが、何よりも楠崎さんを中心とした関係者の粘り強い努力によって、今回の公演が実現したものだ。

公演初日の7月22日、会場となった美浜市民ホールには、多くの観客が詰めかけ、創作バレエと古典バレエ作品を組み合わせたプログラムに酔いしれた。第一部の『TSURU』ではヒューストンバレエ団で長きにわたってステージを共にした楠崎さんと吉山シャール氏の息の合ったダンスが観客を魅了し、第三部ではスタントン・ウェルチの振付作品を踊るヒューストンバレエ団の多くのダンサー達のパフォーマンスを、同じくヒューストンで活躍するピアニストである三牧可奈さんの演奏が彩った。

ダンサー達は今回の日本公演後、休む暇なくヒューストンに戻り、次のシーズンに向けた練習を続けるという。これからも新たな挑戦を続けるヒューストンバレエ団に期待したい。