憧れの煙の山-パタゴニアのフィッツ・ロイへのトレッキング記録

イグアスの滝について書いた前回の記事に続き、今回も番外編としてアルゼンチンで感動した場所について書いてみたい。

アルゼンチンの最南部に位置するパタゴニアは、フィッツ・ロイやセロ・トーレに代表される、見る者を魅了せずにはいられない名峰が並び、山好きの人間にとって永遠の憧れの場所だ。地球上で日本から最も遠い場所の一つでありながら、山野井泰史氏による1990年のフィッツ・ロイ冬季単独初登など、日本人のクライマーの実績も多い。今回、アルゼンチンを旅行するにあたり、遂に僕にとっても憧れのパタゴニア一の雄峰、フィッツ・ロイをトレッキングすることができたので、その魅力を紹介してみたい。

フィッツ・ロイへのトレッキングは、麓の町、エル・チャルテンから始まる。このエル・チャルテンにしても、山道具屋や、登山者用のホステル、雰囲気のいいバーが並び、山好きにとっては天国の様な場所だ。IMG_0974

8時30分、フィッツ・ロイ山の登山道入り口に到着。今回は日帰りのトレッキングということで、12.5Km程先にあるフィッツ・ロイ直下の湖、ロス・トレス湖を目指す。IMG_0975

登山口から20分程登りが続いた後、ラス・ブエルタス川を見渡す展望台に到着。ここからは、ラス・ブエルタス川に沿って、高低差の少ないなだらかな道が続く。IMG_0978

フィッツ・ロイは先住民からチャルテンと呼ばれ、彼らの言葉で「煙を吐く山」という意味だ。パタゴニアの激しい気流がフィッツロイの頂に激突して煙の様な大気の凝結が起こり、その頂はほとんどの時間、その名の通り、煙の様な雲に覆われている。今回も、途中のカプリ湖を過ぎた辺りから、フィッツ・ロイの頂が見えてきたが、山頂付近は雲に覆われており、不安が募る。

しかし、登山口から二時間半程歩き、ポインセノットのキャンプ地の手前で、遂に急峻な山頂がその姿を現した。遠目から見てもその存在感は凄まじく、もっと近づいてみたいという欲求に駆られる。IMG_1003

11時にポインセノットのキャンプ地を過ぎ、20分程でもう一つのリオ・ブランコのキャンプ地を過ぎた後は、それまでのなだらかな道から一変し、1時間半程の急登が続く。標高は1,000m程とは言え流石に息が切れてくるが、湖で待っているはずの絶景を信じて、一歩一歩歩みを進める。

そして、12時IMG_101640分、ロス・トレス湖に到着した僕は目の前の光景に立ちすくむ。

氷河から解けたばかりの水は、濃い目のシアン色をして静かに広がるロス・トレス湖をなしており、その背後にフィッツ・ロイが圧倒的な存在感でそそり立つ。その光景は、あまりに現実離れしていて、もし「天上の世界」というものが本当にあるとしたら、それはこういった場所だろうと思わせる様な、圧倒的な神々しさを感じさせる。IMG_1017

フィッツ・ロイはもちろん何も語らないが、氷河の衣を纏い、堂々とそびえ立つその姿は、あたかも人間のちっぽけな悩みを全て理解しているかの様に超然としている。二時間くらいそこで山を眺めて過ごした後に僕は、次はその山頂に立つために戻ってくる、との決意を心に秘め、その場を後にした。14:30頃にロス・トレス湖を出発した後、帰りは同じ道を下って、18時40分に無事に登山道に到着。

海外の山もいくつか登ったが、山としての存在感において、フィッツ・ロイは特別だと思う。パタゴニアは地球上で日本から最も遠い土地の一つではあるが、特に山好きな方は、ぜひ機会を見つけて訪れて頂きたい。

ご参考までに下記は簡単な登山記録。

フィッツロイ直下のロス・トレス湖までのトレッキング(合計10時間)

2015年12月29日

8:30 登山道出発

11:00 ポインセノットのキャンプ地着

12:40 ロス・トレス湖着

14:30 ロス・トレス湖発

16:10 ポインセノットのキャンプ地着

18:40 登山道着

日本での登山の感覚からすればありえないスケジュールに見えるが、南緯49度に位置するフィッツロイ周辺では12月末の時期は、22時くらいまで明るいことをご考慮頂きたい。また、今回僕は運が良かったが、悪天候が多い地域であり、確実にフィッツ・ロイの雄姿を拝むためには、もし都合が許せば、麓のエルチャルテンで数日宿泊することをお勧めしたい。

次は、パタゴニアの世界最南端の町、ウシュアイア編に続きます。

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夜に虹が見える場所-アルゼンチン・イグアスの滝 旅行記

今回から番外編として、旅行中のアルゼンチンについて書いてみたい。

南米経験が長い何人からの知人から、南米随一のおススメスポットとして、アルゼンチンのイグアスの滝を勧めて頂いていた。今回実際に訪問してみて、知人達に感謝するとともに、ここがいかに特別な場所かを実感した。世界最大の滝の一つとして、見る者を圧倒する滝の大迫力ももちろんながら、ここは夜に虹が見える場所でもあるのだ。

イグアスの滝の観光は、ユネスコの世界遺産でもある国立公園のゲートからスタートする。ゲートをくぐってしばらくSendero Verde(緑の道)という遊歩道を歩くと、最初の見所である上下ふたつの遊歩道にぶつかる。まず、Paseo Superior(滝の上の遊歩道)は、イグアス川の流域に沿って、東西に大きく広がった一連の滝を上側から眺めながら歩くことができる。IMG_0893

僕が訪問した時期は、前日にアルゼンチン北東部の一部で大規模な洪水が発生するなど、その日までの降水量が例年よりも多く、「濁流」と表現するのがふさわしいと思える様な水の勢いだった。IMG_0896

もう一つの遊歩道はCircuito Inferior(滝の下の回廊)と呼ばれ、滝の下部を眺めながら、森に囲まれた広範囲のエリアを歩くことができる。こちらは、滝の迫力もさることながら、滝が終わった後のイグアス川の轟々と流れる勢いにも引き込まれる。IMG_0901

また、この遊歩道にはそこらじゅうで動物たち、特にカラフルな蝶や、かわいらしいアカハナグマに頻繁に出会える。アカハナグマはとても人懐っこく、すぐ近くまで接近してくるので、人間の方が驚いてしまうほどだ。

IMG_0903

遊歩道を歩き終えた後は、無料の列車に乗って、イグアスの滝の最上部、観光のハイライトであるGarganta del Diablo(悪魔ののどぶえ)に向かう。電車を降り、イグアス川の上にかけられた橋を20分ほど進むと、それは現れる。滝の最大落差80mで、アルゼンチン側からブラジル側に流れ落ちる悪魔ののどぶえの姿は、壮大であるのを通り越して、畏怖すら感じさせる。IMG_0918

この滝はそれ自体が生き物であるかの様に、辺りに水しぶきと轟音を撒き散らしながら、刻一刻とその姿を変えていく。少し手を伸ばせば滝に触れられる様な距離まで近づくことができるが、もし滝に飲まれたら最後、決して生きては戻れないだろう。見る者にその圧倒的な荒々しさを感じさせる悪魔ののどぶえだが、心が休まるのが、あまりに激しく落ちる滝があげる水しぶきで、滝の中ほどに虹が現れることだ。IMG_0923

そして、この滝のもう一つの姿を発見できるのは、満月の夜である。ここイグアスの滝では、満月の前後5日間限定で、Paseo de Luna Llena(フルムーン・ウォーク)というウォーキングツアーが開催されており、散策の前か後にアルゼンチン料理のビュッフェを挟んで、閉園後の悪魔ののどぶえまで戻ってくることができる。

昼間と同様に電車を降り、悪魔ののどぶえまで歩いて向かう道は、満月の淡い光に照らされているだけで、濁流の赤茶けた色も見えず、落ち着いた雰囲気だ。たどり着いた悪魔ののどぶえも、昼間の威圧感が嘘の様に、水流が絹のうねりの様に白く怪しく照らされ、幻想的なたたずまいを見せている。そして、余りに強い勢いのため、湧き上がった水しぶきは満月の光を十分に集め、真夜中であるにも関わらず、虹を作り出しているのだ。

大変申し訳なくも、夜の虹は流石に手元のカメラには収められなかった。撮影した写真をできるだけ明るく加工したのがこれである。FullSizeRender

世界広しと言えども、夜に虹が見える場所はそうないに違いない。昼間の悪魔ののどぶえの圧倒的な迫力、そして、夜の悪魔ののどぶえにかかる虹の神秘的な美しさはぜひご自分の目で確かめて頂きたい。

次は、パタゴニアのフィッツロイ・トレッキング編です。

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日本未進出のテキサス州のこだわりハンバーガー① Fuddruckers

日本でハンバーガーと言えばかつては、お手軽なファーストフードというイメージが強かったが、最近ニューヨーク発のハンバーガー、シェイク・シャックが日本に上陸して、素材へのこだわりを武器に人気を広げているなど、多少高くても品質の高いハンバーガーへの需要が高まっているようだ。一方、ここアメリカ南部テキサス州には、ハンバーガーが大好きな地元の人々に支えられ、未だ日本には進出していないこだわりのハンバーガー店がいくつも存在する。今回から、不定期でそんなご当地ハンバーガーを紹介してみたい。

第一回は、いかにもテキサスらしく、個人的には最も印象深いFuddruckers(ファドラッカーズ)だ。IMG_0785

ファドラッカーズは1979年にテキサス州が誇る観光地サンアントニオで創業し、現在ではアメリカ南部を中心に、アメリカ全土にチェーン展開し、ヨーロッパや中南米、中東の一部にも進出している。お店のキャッチフレーズは、”World’s Greatest Hamburgers”(世界で最も凄いハンバーガー)だ。

ファドラッカーズの特徴は何と言ってもハンバーガーの大きさだ。店の入り口のすぐ横には、看板メニューであるWorld’s Greatest Hamburgers用の肉が1/3ポンド、1/2ポンド、2/3ポンドと三種類分並べられている。最も大きい2/3ポンドは日本の単位で約300グラムだ。ステーキハウスと同様に、注文の前に肉の具合が確認できるのと、肉の下にはビールが並べられているのが、いかにもテキサスらしい。IMG_0786

2/3ポンドのハンバーガーは、単品で約9ドル、そこにチーズ等のトッピングや、フライドポテト等のサイドメニュー、そして、ドリンクをセットにすれば、価格は税込みで15ドル以上になる。レタスやオニオン、ピクルス等の野菜は自分で好きなだけ乗せられるとは言え、ハンバーガーにしてはかなり高めだ。しかしその分、注文を受けてから焼き始める肉を中心に、素材や調理法には徹底的にこだわられており、食べた後の満足感はハンバーガーを食べたというより、ステーキ等の肉料理を堪能したという感覚に近い。IMG_0789

また、店内の雰囲気もファーストフード店というよりは、ちょっとしたレストランの様に落ち着いている。何故か今やテキサス州以外ではほとんど見かけない地元の石油会社、TEXACO(テキサコ)の古い型の給油機が店内に無造作に置いてあるのも、テキサスならではだ。IMG_0787

テキサスの人々はよく、”Everything is bigger in Texas(テキサスでは何でも他よりデカい)”という言葉を口にする。そこで、ハンバーガーも他よりデカくなるというわけだが、決してただデカいことだけを売りにしているわけではない。テキサスの人々がその言葉を口にする時、そこには自分たちの豪快なスタイルに対する強い自信の様なものも含まれていると思う。ファドラッカーズのハンバーガーが、World’s Biggest Hamburgersではなく、World’s Greatest Hamburgersという名前になっているのもそそうした自信の一つの表れではないだろうか。

小さな島国である日本に、デカくて、かつ、すごいハンバーガーが進出したら、日本人にどう受けられるのかを想像すると楽しみになってくる。

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テキサス流の巨大で多様な冬のイルミネーション

日本では各都市が冬のイルミネーションの美しさを競い合うシーズンが到来した。これまでここテキサス州ヒューストンではあまり有名なイルミネーションがなかったが、この冬、ヒューストンらしい、巨大かつ多様性に富んだイルミネーションが登場し、地元の人達を興奮の渦に包んでいるので紹介してみたい。

ヒューストンの主要環状高速道路であるSam Houston Toll Wayの北側を運転していると、それは突如として登場する。IMG_0795

Magical Winter Lightsと題されたこのイベントを訪れた者は、まずその巨大さに圧倒される。普段はヒューストン競馬場として使用されている場所を使っているだけあって、広大なスペースに巨大なイルミネーションが豪快に展示されている。IMG_0796

そして次に驚かされるのが、イルミネーションのテーマの多様性だ。ヒューストンの人種的民族的な多様性を象徴するかの様に、米州、ヨーロッパ、アジア、アフリカ等のエリアに分けられた会場内では、各エリアを代表する建物を模したイルミネーションが次々と登場する。ここでいくつか紹介してみよう。

まずはロシア・モスクワの聖ワシリイ大聖堂。IMG_0802

次は、中国。IMG_0805

細部は怪しいところもあるエジプト。IMG_0810

ラティーノの人達に人気だったメキシコのマヤ文明のピラミッド。IMG_0813

そしてもちろん、我らがヒューストン。IMG_0816

イベントの主催者であるYusi Anさんは、地元のオンラインメディアであるHouston Pressのインタビューに対して、このイベントにかける思いを語っている。

Anさんの家族はランタン祭りが盛んな中国四川省の出身で、過去5年間のアメリカでの生活を経て、ヒューストンの多様な人口構成と、冬でも比較的温暖な気候に出会い、世界中のランドマークをテーマにして中国のランタン祭りを再現しようと決意したという。世界のランドマークを再現したイベントは他にもあるだろうが、それぞれのランドマークに対して、それぞれの国・地域の出身の人々が自分達の文化を発見して、その美しさに感動できるのは、ヒューストンならではだ。

ただ、来年以降に期待したいことがあるとすれば、主催者の出身である中国のエリア等は完璧に作りこまれているが、一部の地域については、時間的に間に合わなかったのか、予算が足りなかったのか、少々適当になっているのが残念ではある。例えば南極のエリアでは、ボーリングのピンの様なペンギンが若干不気味だ。

IMG_0820

しかし、全体としては大満足なイルミネーションで、今回の時点で、地元の人達の心を鷲づかみにしていることは間違いない。来年以降、更に完成度を増して、全米レベルで有名なイベントに成長することを期待したい。

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テキサス州ヒューストンで黒人の新市長が誕生

現在、アメリカでは来年の大統領選挙に向けて、移民やイスラム教徒に関する問題発言にも関わらず、共和党のドナルド・トランプ候補による「トランプ旋風」が吹き荒れている。ブッシュ元大統領一族のお膝元でもあり、長年強固な共和党の地盤であるここテキサス州について言えば、共和党内の対抗馬で同じく保守的な発言の多いテッド・クルス候補も元気がいい。

しかし、テキサス州の中でも、僕の住むヒューストンは政治的にリベラルなことで知られている。例えば、ヒューストン市民から人気を集め、3期6年にわたって市長職を務めてきたアニス・パーカー現市長は、女性市長であるだけでなく、自らがレズビアンであり、同性のパートナーと養子の子供達がいることを公言している。

そうしたリベラルな政治風土は、ヒューストンが全米第四の巨大都市であること、そして、全米でも有数の人種的に多様な都市であることと無関係ではないだろう。2010年の国勢調査に従えば人口的に、ヒューストンの多数派はラティーノ(44%)であり、アングロサクソン系の白人(26%)や、黒人(25%)よりも圧倒的に多い。

そうした中、年末でパーカー現市長が任期の限度である3期を全うするため、彼女の後継者を選ぶ市長選が行われることとなった。ヒューストン外でも大きな注目を集めた市長選だったが、11月の第一回投票では結果が出ず、12月12日の決選投票にもつれ込む。決選投票に残った二人の候補者とは、実業家で保守派のビル・キング氏と、テキサス州の民主党下院議員を長年務めてきたベテラン政治家のシルベスター・ターナー氏だ。

決選投票前には、”BACK TO BASICS”をスローガンに掲げ、財政の緊縮や交通インフラの整備を公約に掲げたビル・キング氏の立看板がヒューストンの街中に溢れ、テレビのCMでも、キング氏が頻繁に登場した。対するターナー氏はメディアへの露出は少ないものの、支援者と地道な選挙キャンペーンを続けている様だった。IMG_0781

そして、決戦当日。混戦を暗示するかの様に大荒れの天気の中、夜遅くまで結果がわからない状態が続いたが、最終的にはターナー氏が4,100票差の僅差で勝利し、ヒューストンの歴史上、二番目の黒人市長に選ばれた。

地元の新聞Houston Chronicle電子版の12月13日付けの記事Voter mobilization, black turnout drive Turner win(有権者を投票所に行く様に仕向け、黒人の投票率が高かったことがターナーの勝利につながった)では、キング氏は、白人が多数を占める選挙区では71パーセントの得票をしたのに対し、ターナー氏が黒人が多数を占める選挙区で93パーセントの得票を獲得したのに加え、ラティーノの住民が多い二つの選挙区で多数を得たことが、ターナー氏の勝利につながったことを指摘している。

そうした支持層と結びつくかの様に、ターナー氏は選挙中、貧富の差の解消や、教育の機会均等を主張することで指示を集めていた。しかし、折からの石油産業の不況でそうした社会福祉の財源は必ずしも明確ではなく、実際、12月12日付けの別のHouston Chronicleの記事Turner defeats King to become Houston’s next mayor(ターナーがキングを破りヒューストンの次の市長に当選)では、ヒューストンでは来年、1.26億ドルもの財政赤字が予想されることが述べられ、敗北はしたものの、キング氏の方が具体的な財政再建プランを持っていたことを指摘している。

多様なヒューストンの住民をまとめ上げるには、ターナー氏の人種的なバックグラウンドや、州の下院議員としての長年の経験が有利に働くこともあるだろう。年明けの就任以降、新市長がどの程度具体的な施策を打ち出せるかに注目していきたい。(写真は夕暮れのヒューストン市庁舎)IMG_0783

 

 

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Forbesの調査でヒューストンが全米で最も実質収入の高い都市に

読者の皆様はアメリカで収入の高い都市と聞いてどこを思い浮かべるだろうか?世界の金融の中心ニューヨークだろうか?それとも、ITベンチャーが生まれ続けるシリコンバレーだろうか?

Forbesの11月19日付けの記事(The Cities Where Your Salary Will Stretch The Furthest 2015(2015年あなたの給料を最も活用できる都市)によると、Praxis Strategy Groupという調査機関がForbesのために実施した調査で、「実質収入」の高い都市として、東海岸でも西海岸でもなく、何とアメリカ南部の我らがヒューストンが第一位に選ばれたという。

まず、ランキングを見てみると、

第一位:テキサス州ヒューストン及びその郊外

第二位:カリフォルニア州シリコンバレー

第三位:ミシガン州デトロイト及びその郊外

第四位:コネティカット州ハートフォード及びその郊外

第五位:テキサス州ダラス及びその郊外

と、テキサス新幹線で結ばれる予定のテキサス州の二大都市、ヒューストンとダラスが第五位までにランクインしている。

こうした少々驚きのランキングになるのは、この調査の独特の調査手法による。この調査では、全米の53の主要都市を調査対象にして、平均年収を、不動産価格と物価の違いを総合した生活コストで調整しているのだ。

ヒューストンの主要産業といえば、航空宇宙や医療産業もあるものの、何といっても石油産業だ。原油価格が7年ぶりの安値をつけ、当地の石油関連産業にはリストラの嵐が吹き荒れている今、ヒューストンの年収が全米で最も高くなるとは考えにくい。実際、この調査でも第一位のヒューストンの平均年収が6.0万ドルなのに対して、第二位のシリコンバレーの平均年収は9.8万ドルだ。

一方で、生活コストが安いというのは確かに実感がある。まず、年収にはマイナスに働く原油価格も生活コストにはプラスだ。公共交通機関が貧弱なヒューストンでの交通手段と言えば自家用車が基本だが、石油産業の中心ではガソリン価格も安い。近所のエクソンモービルのガソリンスタンドでは、レギュラーガソリンで、1ガロン1.75ドルをつけていた。これは、日本の単位に直せば、1リットル56円となり、日本の平均ガソリン価格の半分以下だ。IMG_0771

また、Forbesの記事でも触れられているが、更に大きいのは住宅コストの安さだ。もちろん、ヒューストンでも中心部では住宅コストは比較的高くなるが、この調査では、ウッドランズやシュガーランドなどの主な郊外地域も含んでいる。郊外では、ダウンタウンで1ベッドルームのアパートに住む様な家賃で、一戸建てに住むことができる。写真は一般的な郊外の住宅街の町並みだ。

IMG_0772

そして、ガソリン価格の安さは、ヒューストンの住民にとって、郊外に住むという選択肢をより現実的にさせる。実際、ヒューストンはアメリカの主要都市の中でも、最も郊外に広がった都市として知られ、郊外地域も含めたヒューストン都市圏(グレーター・ヒューストン)としては、全米第4位の人口を誇る。

結果として、生活コストを調整後の実質収入は、第二位のシリコンバレーが5.6万ドルに対して、ヒューストンは6.2万ドルで第一位となる。

しかし、テキサス新幹線についての記事でも書いたが、こうしした状況も今後は変わってくるかもしれない。安い生活コストの影響もあり増え続ける人口は、交通渋滞の深刻な悪化を生んでおり、生活の質の向上を求めて、少々高い家賃を払っても、中心部に住みたがる人々も現れてきている。そうした新しいタイプのヒューストン住民が増えてくれば、レストランやスーパー等にしても、高級路線の店舗が出てくるだろう。

Forbesはこの調査を3年おきに実施しているが、変わりゆく都市ヒューストンが次回の調査でも第一位を保っているかが注目される。

 

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「銃持込み禁止」の看板を掲げ続けるヒューストン動物園

カリフォルニア州で12月2日に発生した銃乱射事件は、全米を大きな不安で包んでいる。

アメリカ南部と言えばアメリカの中でも有数の銃社会だ。普通の人々が当たり前の様に銃を所有し、ローカルニュースを見れば毎日の様に発砲事件が起きている。しかし、ここテキサス州ヒューストンには、銃団体からの抗議にも関わらず、自らのポリシーに従って、「銃持込み禁止」の看板を掲げ続ける動物園があった。

地元の新聞であるHouston Chronicle電子版の11月25日付けの記事Houston Zoo reinstates “no gun” signs despite controversy(ヒューストン動物園は論争にも関わらず「銃持込み禁止」の看板を元に戻した)に詳細が記載されている。

事の顛末としては、まず本年9月の時点で、ヒューストン動物園が「銃持込み禁止」の看板を掲げたところ、銃保持者のための法律事務所であるTexas Law Shieldの弁護士が動物園とその関係団体に対して、看板の撤去を求める要望書を送付し、動物園は一度は看板を撤去することになる。

しかし、動物園側も再度顧問弁護士と検討を重ねた結果、その根本において、「教育的施設(Educational Institution)」である動物園にとっては、銃の持込みを禁止する看板を掲げることは禁止されていないとの判断に至り、11月下旬の時点で再掲示を実施したのだと言う。動物園側によれば、テキサスの刑法では、学校や教育的施設への銃の持込みは禁止されているという。

日本人的な感覚からすれば、子供達が色々な動物に会えて楽しめる場である動物園に銃が馴染むとは思えず、そもそも上記の様な論争があること自体に違和感がある。しかし両当事者は大真面目であり、同じHouston Chronicle記事によると、銃保持者側の顧問弁護士は動物園側の措置に憤慨しており、テキサスの法律上、「教育的施設」とは、カリキュラムや学位を授与するシステムを有する施設に限定されるとして、近く動物園側に再度抗議をする予定だという。

動物園側が論争を続けてまで守ろうとしている価値が何なのか気になり、今回動物園を訪れてみた。

動物園の入り口に着くと、その右側の壁に、例の「銃持込み禁止」の看板が大きく掲げられている。

IMG_0734そして、自分たちが「教育的施設」であるという主張を裏付けようとするかの様に、園内ではいくつもの教育的なイベントが用意されている。例えば、30分おきに園内のどこかのエリアで、飼育員たちが自らが飼育する動物について語る場が用意されている。IMG_0739IMG_0766

それぞれの動物たちの住まいも、檻に囲まれているわけではなく、広いスペースを使って、できる限り自然に近い状態が再現されている。更に、「ADOPT」といって、気に入った動物の里親になれるプログラムも用意されており、子供たちは動物園を出た後も、継続的に動物の成長に関心を持てる様になっている。

IMG_0745

何より僕の心をひきつけたのは、動物達を間近に見て、また、実際に触れて、無邪気に喜ぶ子供達の笑顔だ。正式なカリキュラムはなくとも、一日動物園を訪れた後では、子供達はすっかり動物に詳しくなり、また、絶滅の危機に瀕している動物への思いやりを持つ様になるだろう。確かにそんな場に、銃の存在はふさわしくない。

アメリカにおいて銃規制反対派の人々はしばしば、アメリカ合衆国憲法修正第二条に基づき、個人が武装する不可侵の権利を主張して、銃規制に反対する。しかし、頻発する銃犯罪は何らかの規制が無くしては、社会の安定が揺らぎかねないことを示唆している。少なくとも、子供達が自然環境や動物達を含めて、次の時代のあり方を学び、考える場には、銃のない平和な空間が保たれてほしいものだと思う。

 

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テキサスの砂漠の中にあるプラダ-Prada Marfa-

現代社会、特にファッション業界では、最新の流行は常に再生産されている。毎年、その年に流行すべきデザインが大々的な宣伝によって、大衆心理の間に浸透し、そのブランドの最新の服を身に着けることで、共有された「今」を消費することができる。一方で、そんな最新の流行も一年も経てばすぐに時代遅れになり、店頭から撤去された商品はあたかも最初から存在しなかったかの様に消え去ってしまう。

しかし、ここテキサス州西部の砂漠地帯には、2005年のコレクションを永久に陳列するプラダが存在する。永遠の「今」を生きようとする現代の人々に、抗いがたい時間の流れを見せつけようとするかの様に。

テキサス州西部のメキシコとの国境に近い辺りは、どこまで行っても背の低い植物がまばらに点在するだけの砂漠地帯が広がる。しかし、高速道路であるI-10をVan Horn(バン・ホーン)で南に曲がり、ルート90を南に40マイル程進むと、突如として道端に回りの風景と全くそぐわないものが現れる。IMG_0722
IMG_0714一見変電所かトイレか何かだと思うのだが、掲げられている看板はどうみても世界的なファッションブランドのプラダである。いかに周りと比べて違和感があるかをご理解頂くために両側の風景もご覧頂きたい。IMG_0724IMG_0725

ご覧の通り、店の両側には50年前も変わらなかったであろう砂漠の風景が広がっている。しかも、店の中に目を向けると、確かにプラダのものと思われるバックや靴がところ狭しと並べられている。IMG_0716

しかし、すぐに違和感に気づく。まず、どこにも店員の姿がない。それに陳列されている商品もどことなく一昔前の物の様に見える。

 

実はこれ、北欧出身のアート集団であるElmgreen and Dragsetがプラダの公認を得て2005年に制作した「Prada Marfa」と呼ばれる現代アートなのだ。プラダの2005年コレクションを陳列した上で、一切の修復を施さず、次第に風化していくに任せることそれ自体が、現代の物質主義への批判を込めたアートとなっている。

しかし実際には、Prada Marfaの過去10年の道のりは、「次第に風化していく」といった様な穏やかなものではなかった。完成して6日後以降、中の商品はたびたび盗難に合い、落書きの被害も何度も発生している。製作者側としては、苦肉の策として、靴は片方だけ、バックは底を切り取って展示することとなる。(上の店内の写真をもう一度見て頂きたい。)更に、2013年には、テキサス交通局から、不法な道路上の広告物とみなされてしまう。

現代の物質主義への壮大な批判を行う前に、そうした物質主義に染まった個別の人々への対処が必要だったわけであるが、関係者達はこの息の長いプロジェクトを成功させようと粘り強い努力を行っており、2014年9月にはテキサス交通局とも、Prada MarfaをMuseumと識別することで合意する。(2014年9月12日のHouston Chronicle電子版の記事)

絶え間なく最新の流行が再生産、消費され、廃棄される現代社会。50年後の未来に、21世紀初頭の「今」を思い起こさせるものがどの程度残されているだろうか。このPrada Marfaがゆるやかな風化を経て、「今」、そして「今」からの時間の経過を伝えるアートとなっていることを願いたい。

※なお、実際に訪問する場合、Prada MarfaはMarfaという名前がついてはいるが、実際のMarfaの町はそこから更に南東に40マイル程行った場所にあり、このアート作品はValentineという町に位置していることに注意して頂きたい。

 

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