アメリカ南部という場所では、一旦都市部を離れれば、牧草地帯や荒野、砂漠の中をまっすぐに伸びる一本道の道路がどこまでも続く。「次の大きな町まで後100マイル」といった看板を見てげんなりすることもしばしばだが、そんな時の強い味方が、車を横付けしてすぐに休めるモーテルだ。価格も通常のホテルよりも大幅に安い。しかし、テキサス州の田舎のWhartonという町には、一度見たら忘れられない独特な外観のモーテルが存在する。今回は、そんなモーテルの様子を報告してみたい。
ヒューストンから南西に60マイル、Wharton(ウォートン)は人口九千人程の小さな町だ。しかし、馬が草をはむ平和な牧草地帯を車で走っていると突如としてそれは現れる。
草の上から、お菓子のトンガリコーンの様な形をした茶色の建物がニョキッと突き出している。しかも、一つならまだしも、同じ形の建物が等間隔にいくつも並んでいる様子は見る者に強烈な印象を与える。更には、建物が並ぶ横には、何故か地面に矢まで突き刺さっている。
そこで上を見上げると、歴史の教科書に出てきそうな、いかにもな服装をしたネイティブ・アメリカンの男性が手招きをしている看板が立っているのだ。そう、ここはTee Pee Motelという現在も営業中のれっきとしたモーテルだ。
実は、こうした形のモーテルは、1930年代から1940年代のアメリカでWigham Motelという名前で一世を風靡した。アメリカ中西部や南部のネイティブ・アメリカン達は伝統的に、動物の皮で作ったテント型の住居、Tipi(ティーピー)で生活していたが、1933年にケンタッキー州に住むフランク・レッドフォード氏がティーピーの形を模したモーテルを作ったのがその始まりだ。今では当時のWigham Motelは文化財に指定されている。
ここWhartonにも当時、Wigham Motelに似たティーピー型のモーテル、その名もズバリTee Pee Motelが立てられたが、いつしか流行も去り、建物は長い間、雑草の中に埋もれていた。しかし、Tee Pee Motelが数奇な運命に巡り合わせたのは、13年前の2003年。
アメリカの三大ネットワークの一つNBCの電子版の2007年9月10日付けの記事、My Teepee or yours?(私のティーピー、それともあなたの?)によると、事の経緯はこうだ。ディーゼルの整備士をしていたバイロン・ウッズ氏は2003年のある日、宝くじで4,900万ドルもの大金を手にする。数ヵ月後、ウッズ氏と妻のバーバラさんがTee Pee Motelの廃墟の前を偶然通りかかった時、バーバラさんは自らの夫にこう言った。
“I want to stay there. Let’s buy it and renovate it.”(私はここに泊まりたいわ。ここを買って、建て直しましょう。)
実はバーバラさんにとっては、Tee Pee Motelに泊まるのが幼い頃からの夢だったのだという。数ヶ月間悩んだ後、ウッズ氏は妻の長年の夢を叶えることを決意し、その後の二年もの歳月をTee Pee Motelの再建に費やした。自らの祖母がネイティブ・アメリカンのコマンチェ族でもある彼は、NBCの取材に対して、こう語っている。
“This wasn’t about making money. It’s having something no one else has,” “This is a piece of Texas history.”(これは金儲けのためじゃなく、他の誰も持っていないものを手にするってことなんだ。そして、これはテキサスの歴史の一部なんだ。)
ウッズ氏の努力により、それぞれのティーピーは現代風に建て直され、建物の内部にはエアコンやTV、インターネットまで完備されているという。また、ティーピーの目の前には、バーベキューグリルも設置されている。
アメリカは歴史の少ない国と言われることがあるが、Tee Pee Motelを巡る経緯を一つ取ってみても、そこには、アメリカなりの歴史、そして、その歴史を生きてきた人達の思いが確かにある様に感じる。今回の訪問では宿泊することまではできなかったが、いつかティーピーの中で、アメリカの歴史に思いを馳せてみたい。
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