テキサス独立に対するメキシコ人の認識はアメリカ人とこんなに違う

ヒューストンの東の郊外、ラ・ポルテと呼ばれる街にアメリカの首都ワシントンのワシントン・モニュメントに似たオベリスクがそびえ立っている。1836年にテキサスのメキシコからの独立を決定づけたサンジャシントの戦いを記念したモニュメントだ。モニュメントの最上部には、テキサス州の象徴であるローンスター(一つ星)の像が堂々と鎮座し、テキサスの人々はこのモニュメントはワシントン・モニュメントよりもローンスターの分だけ高いのだと誇らしく語る。(実際、サンジャシント・モニュメントは173m、ワシントン・モニュメントは169mでローンスターの像の分だけ高い。)IMG_0213

サンジャシント・モニュメントのウェブサイトはこちら↓

http://www.sanjacinto-museum.org/Monument/

そんな誇り高きモニュメントが記念するテキサス独立のあらましはこうだ。

19世紀前半、1819年恐慌に端を発する不況に苦しむアメリカにおいて、アメリカの実業家でスペイン臣民だったモーゼス・オースティンは、当時はスペイン領であったテキサスへアメリカ人入植者を呼ぶ計画を立て、スペインの承認を得る。しかし、時を同じくしてアグスティン・デ・イトゥルビデとサンタ・アナに率いられたメキシコの反乱軍は1821年にスペインからのメキシコの独立を勝ち取り、テキサスの新しい領有者となる。

同年、モーゼス・オースティンは志半ばで死亡し、彼の遺志を継いだ息子のスティーブン・オースティン(テキサス州の州都であるオースティンの由縁となっている人物)は、父親がスペイン政府から得ていたテキサスにおける権利をメキシコ政府との間でも保持すべく奔走し、結果として多くのアメリカ人がテキサス州に入植した。しかし、アメリカ人の急激な入植はメキシコ側の不信を生み、特に1834年にサンタ・アナがメキシコにおいて中央集権的な独裁者となってからはその対立は先鋭化する。

そして、1835年5月、アメリカでテキサス革命(Texas Revolution)と呼ばれる戦争が、テキサスのアメリカ人入植者とメキシコとの間で始まった。当初はテキサス軍が優勢であったが、メキシコの独裁者であるサンタ・アナ自身が反乱鎮圧のためにテキサス入りしてからはメキシコ軍有利に変わり、特にサン・アントニオのアラモ砦でテキサス軍の守備隊全員が殺害された、有名な「アラモの戦い」に至って、テキサス軍の不利は明確になる。

しかし、メキシコ軍はメキシコからの長距離の進軍により疲労の限界に来ていた。現在モニュメントがそびえ立つサンジャシントでメキシコ軍と対峙したテキサス軍は、サム・ヒューストン将軍(ヒューストンの由縁となっている人物)の指揮のもと、起死回生の反撃を行い、見事メキシコ軍を撃破、サンタ・アナを捕らえることに成功する。結果として、1836年5月、テキサスはテキサス共和国としてメキシコから独立し、更に1845年、テキサス共和国はアメリカ合衆国に加盟する。

と、ここまでアメリカ側から来たテキサス革命の歴史を見てきたが、一方で同じ歴史上の出来事を現代のメキシコ人はどう捉えているのだろう。ヒューストンの地元新聞であるHouston Chronicleの2016年3月1日付の記事What the Texas Revolution looked like to Mexicans(テキサス革命はメキシコ人にどの様に見えたか)にはメキシコ人側の全く違った見方が述べられている。

同記事によると、テキサス革命はInsurrección de los texanos(スペイン語でテキサスのアメリカ人入植者による反乱の意味)と捉えられている。テキサス革命はテキサスに来て間もないアメリカ人入植者が組織した民兵軍が引き起こした反乱であり、そしてその反乱は帝国主義的な膨張政策の初期にあったアメリカ合衆国政府によって支援されていたというのだ。更に、スティーブン・オースティンが民兵の反乱軍を組織したのは、奴隷による大規模プランテーションを実現するため、メキシコでは禁止されていた奴隷の保有を合法化するためであったとまで主張する。

アメリカ人とメキシコ人、どちらの主張が正しいかを判断することは本記事の目的ではない。本記事で読者の皆様に伝えたいのは、一つの歴史的出来事を巡って異なる見方が存在すること、そして、本件について言えば、そうした見方の対立は将来的に大きな問題となりうるということだ。

というのはこの数十年、テキサス州には合法・非合法を含めて、メキシコを中心とした多くのラティーノ系移民が移住している。我らがヒューストンでは、ラティーノ系人口がヒューストン全体の人口の中でのマジョリティとなっている程だ。とは言え、ラティーノ系人口は経済的にも政治的にもまだまだマイノリティーではある。しかし、以前このブログで紹介したフリアン・カストロ氏の様に、ラティーノ系の政治家が連邦レベルや州レベルで政治の表舞台に登場した時、異なる歴史解釈をめぐる相互理解がより重要となるのは間違いないだろう。

テキサスのラティーノ系の二大政治家であるテッド・クルーズ氏とフリアン・カストロ氏についての記事はこちら↓

テッド・クルーズとフリアン・カストロ-テキサスのラティーノ系政治家達

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投稿者:

Alamo

著者:Alamo アメリカ南部テキサス州に4年間在住。アメリカ南部の魅力を色々な視点から紹介できればと思っています!

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