【書評】『アメリカの大問題』でテキサスからアメリカの今を読む

日本人にとって一般的なアメリカのイメージと言えば、自由で民主的な先進国であり、具体的な都市で言えば、ハリウッド映画に出てくる様な華やかなニューヨークやロサンゼルスの風景が代表的だろう。しかし、一度でもアメリカの地方で生活した方であれば、そうした大都市ばかりがアメリカではなく、むしろ多くのアメリカ人はもっと素朴な生活を営み、考え方も保守的だとの感想を抱いていることと思う。2016年7月現在、そうしたアメリカの二面性が如実に現れているのが大統領選挙におけるトランプ旋風だ。

昨年の大統領選挙の初期、ドナルド・トランプ氏が共和党の大統領候補に名乗りを上げた際には、アメリカでもほとんどの人々が冗談半分の泡沫候補だと考えていて、日本のマスメディアでも、彼が有力候補として取り上げられることは無かった。メキシコ系移民やイスラム教徒といったマイノリティー、日米安保体制や銃規制を巡る彼の発言は余りにこれまでの常識から外れていて(アメリカ的に言えば、政治的に不適切(politically incorrect))で、民主主義が進んだアメリカで多くの支持を集めるとは到底考えられなかったのである。しかし彼は、地方に住む保守的な白人男性に代表される、アメリカの多くの人々が抱えていた「怒り」を見事に捕らえて一大旋風を巻き起こし、遂には共和党の大統領候補に選出されるに至った。

こうした事態は、ニューヨークやロサンゼルスの状況を見ていても理解が難しいだろう。しかし、このブログのテーマであるアメリカ南部、特にテキサス州の状況からは、予想できなかったことではない。2013年秋より2年間、ヒューストン総領事としてテキサス州のヒューストンに駐在していた高岡望氏の新書、『アメリカの大問題 百年に一度の転換点に立つ大国』(PHP新書 2016年)は、テキサス州の視点から、トランプ旋風につながるアメリカ社会の諸問題を論じてみせる。IMG_0493

著者はまえがきで「テキサスがわかれば、これからのアメリカがわかる」との持論を展開し、テキサスは21世紀になって出現し、アメリカを取り巻く環境を根本的に変え得る三つの大問題の最前線に立っていると主張する。その三つの大問題とは、貧富の差の拡大やラティーノ系人口の増加に関わる「格差と移民の問題」、銃犯罪の増加やアメリカ外交の孤立主義化に関わる「力の行使の問題」、そして、シェール革命に代表される「エネルギーの問題」である。本記事では、こうした諸問題がテキサス州とどう結びつき、そしてそれが何故アメリカ全体の大問題と言えるのか、自分自身のテキサス州での経験も交えて、具体的に紹介してみたい。

まず、格差と移民の問題。この問題は最も関連性がわかりやすいが、メキシコを中心として中米からアメリカに押し寄せるラティーノ系移民にとって、テキサス州とメキシコとの国境は最大の玄関口であり、国境に巨大な壁をメキシコの費用で作るとのトランプ氏との発言でも波紋を呼んでいる。一般的にはアメリカは移民の国であり、アメリカの歴史とは異なる国からの移民を受け入れることで国家として成熟していく過程であった。しかし、ラティーノ系移民を巡る状況が現代アメリカ、特にテキサス州で特徴的なのは、移民の増加が急激で、かつ、アメリカに移住した移民がスペイン語等の自分達の文化を維持しようとすることだ。

高岡氏によれば、テキサス州では現在、ヒスパニック系(ラティーノ系と同義、当ブログではラティーノ自身の呼称に従ってラティーノという呼称を使用している)の人口が38.6%、黒人が12.5%、アジア系が4.5%でマイノリティーの人口の合計が白人の人口よりも多くなっている。そして、ラティーノ系移民は他の州でも増加しており、米国統計局の予測によるとアメリカ全体でも2060年には、マイノリティー人口の合計が人口の過半を占めると予想されるため、現在のテキサス州を見ることは、2060年にアメリカがどの様な国になっているかのヒントになるというのである(54-56ページ)。

実際にテキサス州に住んでいても、サービス業ではラティーノ系の人々が占める割合が多く、英語では難しい注文ができなかったりする。もとより保守的なテキサスの人々にとっての、潜在的な危機感をイメージ頂けるだろうか。しかも、ラティーノ系の人々は決して社会の下層だけに甘んじているのではなく、トランプ氏のライバルであったテッド・クルーズ氏の様に、政治の中枢にも進出してくるのである。

↓以前当ブログで取り上げたテキサス州のラティーノ系政治家達の記事

テッド・クルーズとフリアン・カストロ-テキサスのラティーノ系政治家達

第二の「力の行使の問題」も当ブログでも何度も取り上げてきたが、悲しいことに最近の白人警官による黒人射殺やそれへの報復としての黒人による警官銃撃という一連の事件で、日本でも改めてアメリカにおける銃の問題が浮き彫りにされた。高岡氏も指摘しているが、これだけ銃による悲劇が多発しても、アメリカ社会で銃規制が進まないのは日本人にとって理解しにくいところだ。それどころか、テキサス州では銃を合法的に使用できる機会が拡大しており、2007年の州法改正で、自宅に加え、居住地、自動車、職場などに、不法にまたは無理やり侵入された場合は、こちらがその場から離れる必要はなく、発砲していいことになった(129ページ)。

当ブログの筆者としても、テキサスの人々をある程度理解できているつもりではあるが、普段から銃を所持するテキサスの人々が銃規制に反対する発言をする際には、価値観の相違を感じざるを得ないこともある。トランプ氏が、6月のフロリダ州での銃乱射事件に対して、「被害者達が銃で反撃していれば被害が少なかったのに」という趣旨の発言をして批判を浴びていたが、テキサスでは銃乱射事件が起きた際に、同様の発言をする人も少なくない。そして、今年1月からは、テキサス州では銃を目に見える形で所持すること(Open Carry)も合法となった。

↓同じく当ブログでも取り上げたOpen Carry合法化の記事

銃を見せながら食事したら25%引!? テキサス州で商業施設での銃のOpen Carryが合法化

そして、第三の問題が「エネルギーの問題」だ。日本企業、特にエネルギー業界に関わる方々にとって、テキサス州と言えば世界のエネルギー産業の中心というイメージが強いと思う。しかしテキサス州では20世紀の後半にかけて石油生産量の減少が進んでいたが、ご存じの通り、21世紀に入ってシェール革命が本格化し、2008年以降にアメリカの石油生産は急激に増加する。

この問題に関する高岡氏の議論で特筆すべきなのは、シェール革命によってアメリカの石油や天然ガスの生産量が増加することで、国際政治におけるロシアや中東といった他の資源国の影響力が減少し、アメリカが豊富な資源を前提とした外交という「新しい力」を獲得するということだ。そして、アメリカはその「新しい力」をもとに、従来の国内優先主義から国際関与主義に舵を切り、日本を中心とした同盟国への原油やLNGの輸出を進めている(265-270ページ)。そして、2013年以降承認されたLNGの対日輸出案件の3件のうち2件が、テキサス州を含むアメリカ南部の案件だ。

この様に、トランプ旋風に代表されるここ数年のアメリカにおける新しい動きは、テキサス州を起点に考えると理解しやすいことがわかって頂けるだろうか。アメリカと言えばニューヨークやロサンゼルスのイメージという方にこそ、ぜひ読んで頂きたい一冊だ。

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【書評】『沈みゆく大国アメリカ』に見るアメリカ医療保険制度の複雑さ

アメリカに来て最も驚いたことの一つはアメリカの医療保険制度の複雑さだ。まず、日本の様に健康保険の保険証があればどの病院でも自由に診察が受けられるというわけではない。医療保険は民間の保険会社がそれぞれ違った条件の保険を提供しており、自分が受診する医療機関がその保険でカバーされているかを調べなければいけない。

めでたく保険が適用されることがわかり受診ができても、医療費の支払いも一苦労だ。最初の窓口負担(Copay)は少額だが、それで安心していると、数か月後の忘れた頃に保険会社から保険金額の計算書が送られてくる。その計算式は複雑だが、重要なのは自己免責額(Deductible)と患者負担額(Coinsurance)の合計に、最初の窓口負担を合算したものが自己負担の合計であり、その金額は日本人の感覚からするとかなり高額だ。

そんなただでさえ複雑な医療保険制度に対して、2010年からはオバマ大統領の肝いりの政策である医療保険制度改革法(通称オバマケア)が加わり、ここ数年、少しずつオバマケアの諸制度が施行されていく中で、日本人の在住者にとってアメリカの医療保険制度は更に複雑怪奇になっていった。

そうしたアメリカの医療保険制度の最新の状況を概観できる日本語の入門書として、堤 未果氏著の「沈みゆく大国アメリカ」(集英社新書 2014年)は貴重な書籍だ。本書では、アメリカ現地の様々な関係者の証言を紹介しながら、アメリカの医療保険制度、そして、それをオバマケアがどう変えようとしているのかを明らかにしていく。

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オバマケアの要点は次のいくつかの点にまとめられる。まず、(1)医療保険はこれまでの様に任意加入性ではなく、国民全員に加入義務があり、無保険者には罰金が科せられる。かつ、(2)低所得者の無保険者達が実際に保険に加入できる様、最貧困層の公的保険であるメディケイドの適用枠が拡大される。更に、(3)保険会社が過去の病歴で保険加入を拒否したり、加入者が病気になったことで保険を途中解約することは違法となる。同時に、(4)保険加入者の自己負担額には上限が加えられる。そして、その財源は製薬会社や医療保険会社への増税や、高齢者向け公的保険であるメディケアの改革によって賄われるという。

これだけ見ると大きな改善に思われ、実際にオバマケア成立時にはアメリカ国民の多くが熱狂的に歓迎したが、堤氏によるとその後、国民にとっては多くの想定外の事実が明らかになったという。

例えば、「無保険者に保険を!」とのオバマケアのスローガンの中核であった低所得者層へのメディケイド枠拡大については、メディケイドに対する医療報酬が低いために、メディケイド患者の診療を拒否する病院が続出しているという。それに、メディケイドでは診療代や薬代は保険でカバーされるが、製薬会社が新薬の価格を釣り上げたために、実際に負担をする地方自治体や、その財源である税金を納める中流以上の国民は、負担増に悲鳴を上げているという。

また、病歴による加入拒否が廃止されて喜んだHIV患者や、自己負担額の上限設定に涙した難病で医療破産寸前の患者も、自らが必要とする薬がオバマケアの処方薬リストに含まれていないことを知って愕然としたという。

こうした状況を踏まえて堤氏は、オバマケアは貧困層のための医療制度改革ではなく、医療保険会社や製薬会社が自らに莫大な利益をもたらすために仕掛けた新たなマネーゲームであると断ずる。例えば、日本と違って政府が薬価交渉権を持たず、製薬会社が自由に新薬の価格を決められるアメリカでは、オバマケアの様に製薬会社への増税に基づく医療制度改革を行っても、製薬会社が新薬の値段を釣り上げ、増税を遥かに上回る利益を上げることができるのだ。医療保険会社にしても、オバマケアで定められた条件を満たす代わりに、保険料額の値上げを実施できることで増税の不利益は薄い。更に堤氏は、オバマケア法案自体も、元保険会社の重役が回転ドアによって政府の内部に入り込んで書き上げたものだとまで主張する。

結果として、オバマケアが救うはずだった中流以下のアメリカ国民はもちろん、過剰な報告義務や医療行為上の制約を課せられた現場の医師達も疲弊してしまっているという。

堤氏が更に問題にするのは、そんな現状をアメリカ国民の多くが理解していないことだ。大半のアメリカ人は医療保険制度の仕組み自体も正確には知らないという。確かに私自身も共和党支持者の多いアメリカ南部で、「オバマケアは社会主義だ」など、オバマケアへの不満は何度も耳にしてきたが、その実、具体的に何が問題なのかと問うと、明確な答えは返ってこなかった。そうしたオバマ大統領の政策に対する漠然とした怒りが、現在のトランプ氏やサンダース氏へのポピュリズム的な支持にもつながっているのだと思う。

その点、本書を読んで、漸くアメリカ医療保険制度をめぐる動きの全貌が俯瞰でき、ひいては、医療保険制度に限らず、一部のエリート層がアメリカ社会をどう変えたいと思っており、それに対して中流以下のアメリカ人の不満がどの様に高まっているかについても、理解を深めることができた。

しかし、オバマケアが医療保険会社や製薬会社が莫大な利益を上げるために作られた法律だとする著者の主張には疑問も残る。これまで何人もの指導者が無しえなかった国民皆保険というシステムをまがいなりにも成立させたこと自体はオバマケアの大きな功績だと思うし、今後、医療保険会社や製薬会社に負担増を強いる追加の改革次第では、低所得者層に実利をもたらす運用も可能かもしれない。ロビイズムが盛んなアメリカの政治の舞台で、最初から理想通りの改革を成し遂げることは困難だろう。

また、本書には、オバマケアによってメリットを得た患者や医療関係者のインタビューが全くないのも不自然に感じられるところだ。今後、他の関連書籍も読んで多角的な理解を深めてみたい。

ともかくも、アメリカの医療保険制度の複雑さに悩まされた人にこそぜひ読んでほしい一冊だ。本書は、その医療保険制度において強者に食い物にされないために、自分で調べ考えるためのヒントになることは間違いない。

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