アメリカ南部の映画① ダラス・バイヤーズ・クラブ

冒頭からテキサスのカウボーイ達の魂であるロデオの場面から始まり、石油掘削、銃、テキサス州旗と最後までテキサス全開な映画が、2014年日本公開の映画、ダラス・バイヤーズ・クラブだ。2013年のアメリカ公開の時点から評価は高く、主演のマシュー・マコノヒーと助演のジャレット・レトは2014年アカデミー賞の主演男優賞と助演男優賞をそれぞれ獲得した。人々の偏見、そして、規制当局の権力と闘い続けたテキサスの一男性を描いた実話である。

舞台は1985年、テキサス州の主要都市の一つであるダラス。日本ではケネディー大統領暗殺の舞台としても有名だ。当時のダラスでは今以上に男らしさを強調するマッチョイズムが息づいていた。現在のテキサス州でも公共の場でカウボーイ・ハットを被っている人はいるが、当時のダラスは、多くの人々が公共の場でカウボーイ・ハットを被っていた場所だった。

そんな当時の社会においては、エイズは同性愛者がかかる自業自得の病気であると偏見の目で見られていた。物語の主人公であるマシュー・マコノヒー演じるロン・ウッドルーフも、生粋のカウボーイであり、「エイズ患者=同性愛者」と信じていた。しかし、ある日職場の事故で入院したロンは、検査の結果、自分がエイズに感染していることを知る。

始めは自分が置かれた状況が理解できないロン。しかし、異性との性交でもエイズに感染することを知り、エイズ患者であることで友人達からも避けられたロンは次第に自分の運命を認識していく。死の恐怖にさいなまれたロンは、当時エイズ治療の新薬として治験が始まっていたAZTの服用を求めるが、主治医からは拒否されてしまう。

これが日本人を主役にした映画であれば、次第に衰弱しながら、エイズであることを受け入れていく、といった筋書きの感動作となるだろう。しかし、この映画はテキサスのカウボーイの実話。それからのロンの行動は我々の想像を超える。

生きることへの強い意志を持ったロンは、当時アメリカでは未承認であったエイズ治療薬をメキシコや日本などの外国から密輸し、その新薬を定額を支払ったエイズ患者の会員達に配る組織、「ダラス・バイヤーズ・クラブ」を始めるのだ。当然、彼の行為は、アメリカにおける新薬の承認機関であるFDA(アメリカ食品医薬品局)などの妨害に合うが、自分自身を含め、未承認の新薬が最後の希望となっているエイズ末期患者のためにロンは不屈の精神で抵抗を続ける。

そして、ロンの生き様がもたらしたものとは…

典型的なテキサス・カウボーイとしてのロンの性格に始まり、登場人物がテキサスなまりの英語を話し、ビールを飲むシーンでは、テキサスで愛される地ビールであるシャイナ・ボックが必ず出てくるなど、とにかく全編にテキサスが出てくる映画だ。

カウボーイなんてただの田舎者と思う人こそ、このダラス・バイヤーズ・クラブで実在したカウボーイの生き様を感じてほしい。

黒人のダラス警察署長デービッド・ブラウン氏の次なる戦い

7月7日、アメリカ南部テキサス州の大都市ダラスで警官が襲撃され、5人が死亡した事件から2週間が経ち、ダラスの警察署長であるデービッド・ブラウン氏は、事件の解決おいて発揮した優れたリーダーシップに加え、その壮絶な人生により世界的に有名になった。

彼の人生は既に日本のメディアでも紹介されているが、ここで改めて振り返ってみよう。彼は黒人として、サウス・ダラスのスラム街で生まれ育ち、1980年代のコカインによる街の荒廃を目の当たりにして警官になろうと決意したという。しかしその後、彼は自分の兄弟や警官としての最初の相棒を銃の事件で亡くし、更には6年前にダラスの警察署長になった直後、自分の息子が警官を銃で殺害し、別の警官に射殺されるという衝撃的な事件に直面する。しかし、彼はその悲劇を乗り越えて警察署長を続け、警官と地域住民の良好な関係を築くために「コミュニティー・ポリシング」という手法を導入し、ダラスの犯罪件数は低下する。

↓日本のメディアによる報道の例はこちら

警官銃撃事件のダラス市警察署長、銃による悲劇のキャリア 息子も失う

ここまでであれば、まさに英雄的な物語であるが、ブラウン所長には日本のメディアには報じられていない戦いが待っている。ダラスの地元新聞Dallas Morning News電子版の2016年7月18日付の記事Weary and worn, Dallas police face the end of mourning and the return of lingering problems(疲労困憊したダラス警察の喪が明け、懸案が戻ってくる)によると、事件が起こる前、ダラス警察における彼の立場は決して良好な状態ではなかった。凶悪犯罪の発生率の上昇に対して、ブラウン所長が部下の警官のスケジュールや担当業務を頻繁に変更したことで、警官達の疲労と不満が募り、警官達が組織する諸団体は昨年、二回もブラウン警察署長の辞職を要求していた。

警官達はブラウン所長が独裁的で復讐心が強く、自分の好きなことばかりやっていると考えており、多くの警官がより良い給料を求めて、テキサス北部の他の都市に去っていったという。また、世界的に称賛された「コミュニティー・ポリシング」というブラウン所長の方針も、警官が子供達とスポーツに興じている間に、街中でパトロールに当る警官の不足を引き起こしていたと批判されている。

しかし、襲撃事件はダラス警察における彼の立場を一変させた。彼は未だに論争を呼んでいるロボットによって容疑者を爆発させるという決断を行うとともに、公の場で、警察に過剰な責任が押し付けられていることを嘆き、デモの参加者に対しても、デモ行進から離れて警察に参加する様に呼びかけた。結果として、これまで彼を批判していた警察内の人々が、一斉に彼を称賛し始める。

とは言え記事は、襲撃事件の喪が明ければ、ダラス警官達のブラウン所長に対する厳しい視線が戻ってくるだろうとも指摘している。但し、ブラウン所長の味方は増えている。同じDallas Morning Newsの2016年7月22日付の記事DPD flooded with job applications since downtown ambush(ダラス警察にはダウンタウンでの襲撃以来、仕事の応募が押し寄せている)によると、事件後の二週間でダラス警察への仕事の応募は前月の同じ期間の3倍となったという。ブラウン所長はかつて、ダラスにおける人種間の緊張を改善する方法について聞かれてこう答えている。

“I’ve been black a long time.” (私は長い間黒人であり続けているんだ。)

“It’s my normal to live in a society that’s had a long history of racial strife. We’re in a much better place than we were when I was a young man here, but we have much work to do, particularly in our profession. Leaders in my position need to put their careers on the line to make sure we do things right.”

(私にとって人種間の長い闘争の歴史を抱えた社会に住むことは普通のことだ。我々は私が若者だった時と比べてはるかに良い状況にあるが、特に我々の職業において、まだやるべきことは多い。私の役職につくリーダー達は、自分達が正しいことをしているかを確認する道のりの中に自らのキャリアを置かなければならない。)

ここからは私見だが、白人警官が黒人を射殺したり、暴行を加える事件が頻発し、黒人の側が白人警官を射殺する事件まで続く中、殺害されたダラスの警官のトップが黒人だという事実は、一連の事件を白人対黒人の人種問題という構図に単純化できない重要な要素となっている。しかも、ブラウン所長は貧富の差や、麻薬問題、銃犯罪の増加やそれに対する規制の問題という、現代アメリカが抱える多くの問題を自らの人生を通じて体現してきた人物だ。彼の発するメッセージに今後も注目していきたい。

写真はダラスで最も有名な銃撃事件、1963年のケネディ大統領の暗殺の現場。現在は銃撃現場が博物館となっている。

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