テキサスへの愛に溢れた目黒のリトルテキサス

最近、東京でもテックスメックス料理を謳うレストランが増えている。しかし、そんな店は大概、テキサス流にアレンジされたメキシカン料理であるテックスメックス料理の看板を掲げていても、実際にはメキシコ料理そのものだったりする。しかし、東京の目黒の一角にあるリトルテキサスは本格的なテキサス料理が食べられる数少ないお店だ。しかも、このリトルテキサスは、テキサス料理だけでなく、オーナーのテキサスへの愛に満ちた場所である。

目黒駅西口から徒歩5分、飲み屋が軒を連ねる通りを歩いていくと、一際人目を引く看板に出会う。

テキサス州の地図、そして、テキサス州立大学(通称”UT”)のシンボルであるロングホーンを組み合わせた店名のマークの右下には、小さく”TOKYO, TX”と書かれている。地名の後に州名を表すアルファベット二文字をつなげるのはアメリカではお馴染みの表記方法で、「テキサス州の東京」という意味だ。この辺りからテキサス州への愛が感じられるが、地下一階に降りると、

今度は、テキサスのカウボーイ文化を思わせるシックな木造の入り口と、テキサス州旗に迎えられる。それでは、店内に入ってみよう。

店内でも、テキサスのバーでよくある様に、壁にテキサスにまつわるステッカーが多数貼られていて、まるでテキサスにいるかの様な気分にさせられる。

こんなテキサス愛にあふれた店を作り上げたオーナーは、テキサスのことが本当に大好きで、過去20年以上にわたって毎年複数回テキサスを訪問しているという。オーナーによると、そんなオーナーの思いが伝わって、テキサス側でも東京のリトルテキサスのことが取り上げられる様になり、東京を訪れるテキサスからの観光客がリトルテキサスを訪れ、テキサスのステッカーを持ち寄ったことで、今の様な賑やかな姿になったのだという。

リトルテキサスは料理にもこだわりがあり、ハラペーニョやサルサ、サワークリームなどテキサスでお馴染みの食材を使ったおつまみに加え、ステーキやポークリブのバーベキューなど、がっつり食べられるメインディッシュも豊富だ。アメリカでは定番の軽食であるオニオンリングもリトルテキサスの手にかかれば、こんな感じで、テキサスの地図を模したボードに乗せられて提供される。

個人的には、テキサスの家庭料理であるチキン・フライド・ステーキが食べられるのが嬉しい。通常のステーキは調理法の差こそあれ世界中どこでも食べられるが、薄くのばした牛肉に衣をつけて油で揚げ、ホワイトソースをかけたこの料理は、アメリカ南部独特の料理だ。

ただ、ドリンクについては、アメリカで人気のクアーズやミラーなどのビールが飲めるのは有難いが、テキサスで製造され、テキサスで最も人気の銘柄、シャイナ―が無いのは少し残念。

そして、リトルテキサス最大の魅力はカントリーミュージック。毎週末には、カウボーイハットとジーンズ、カウボーイブーツでばっちり着飾った日本のカウボーイ達がカントリーの名曲を聴かせてくれる。カントリーミュージックは今でもアメリカ南部では大人気で、特にロデオにはカントリーのライブは欠かせない。

看板から音楽に至るまで店全体から伝わってくるオーナーのテキサスへの愛は、何と元テキサス州知事で、現在もトランプ政権で要職を占めるリック・ペリー氏にも評価され、彼からテキサス州の名誉州民に認められたという。

単に料理がテキサス風というのとはレベルが違う、テキサスそのものの雰囲気を感じたければ、ぜひ目黒のリトルテキサスを訪問してほしい。

アメリカ南部の企業③ 実はテキサス発祥のホールフーズ・マーケット

アメリカの自然食品・オーガニック食品のスーパーマーケットとして、全米に展開するホールフーズ・マーケット(Whole Foods Market, Inc.)は日本でも有名だ。それではこのホールフーズはどこが発祥かご存じだろうか?実はこの企業、セレブが多いニューヨークでもなく、カリフォルニアでもなく、テキサス州の州都オースティン発祥なのである。そして、ホールフーズ創業にまつわるストーリーはまさにアメリカンドリームと呼ぶにふさわしいストーリーだった。

http://www.wholefoodsmarket.com/

ホールフーズ・マーケット社のウェブサイトには同社の創業ストーリーが述べられている。

1978年、大学からドロップアウトした25歳の青年、ジョン・マッキーとその彼女のレネー・ローソンは家族と友人から4万5千ドルの開業資金を借り、オースティンにSafer Wayという小さな自然食品の店を開く。食品を保管していることを理由に住んでいたアパートを追い出された若い二人は何とお店に住むことにし、皿洗い機を使ってシャワーを浴びるという貧乏暮らしだった。

そんな二人も二年後、別の自然食品の店を経営していたクレッグ・ウェラーとマーク・スカイルズという新たなパートナーを得て、1980年に最初のホールフーズ・マーケットをオースティンにオープンする。最初のホールフーズ・マーケットは店舗面積1万5百フィートと当時の健康食品の店舗としては非常に大きく、19人の従業員を抱えていた。

オープンから1年も経たない1981年のメモリアル・デイ(5月の最終月曜日の祝日)、オースティンの町を過去70年で最悪の洪水が襲い、商品の在庫が流され、機材が破損するなど、約40万ドルもの損失が生じる。しかし、常連客や近所の人々がボランティアとして店舗の修復に参加し、銀行や取引先も資金繰りに協力したことで、店舗は洪水からわずか28日後に再オープンする。

苦難の時期を乗り越えたホールフーズ・マーケットは同業の自然食品スーパーの買収を繰り返すことで、テキサス州全土、更には全米で店舗を増やし、2002年にはカナダ、2004年には英国にまで進出する。

そんなホールフーズ・マーケットだが、足元の業績は苦戦中だ。2013年9月期から2016年9月期の三期については、売上高こそ増収を続けている一方、税後利益は二期連続の減益となっている。株価についても(ティッカーコードはWFM)、2015年に約半分の30ドル台まで下落して以降、30ドル台での小幅な値動きを続けている。2016年9月期末のROEは14.5%、配当利回りは約1.8%となっている。

ホールフーズ・マーケットの苦戦の理由として、著者は競合他社の増加があると考えている。上に書いた通り、同社が1980年に最初の店舗をオープンした際には、大型店舗の自然食品のスーパーマーケットは珍しかった。しかし現代では多くの競合がいる。著者が住んでいたテキサス州ヒューストンで考えても、セントラル・マーケットという自然食品スーパーの業態を持つ、テキサス州サンアントニオ発祥のスーパー、H-E-Bや、カリフォルニア州発祥のトレーダー・ジョーズなどがある。ホールフーズはそんな多くの自然食品のスーパーの中で、高品質は評価される一方で値段の高さで知られている。

テキサス州発祥で、自然食品のスーパーマーケットとして長い歴史を誇るホールフーズ・マーケットが、新しい成長ストーリーを描けるか、今後の動向に注目したい。

アメリカ南部の企業① アメリカ大手通信キャリアAT&T Inc

今回から、アメリカ南部が世界に誇る優れた企業を紹介してみたい。第一弾は日本の皆様も名前は聞いたことがあるであろうAT&T Inc(以下AT&T)だ。

AT&Tはアメリカ大手通信キャリアで、固定電話、携帯電話、インターネット接続サービスなど幅広いサービスを展開している。日本で言えばNTTの様な存在で、携帯電話でも最大規模の4Gネットワークを誇り、競合のベライゾン、スプリント、Tモバイル等と比べて、テキサス州で最もつながり易い印象を受ける。

また、固定通信事業でも成功しており、我が家でも同社のIPテレビ事業であるU-verseを契約していた。U-verseは日本と比べると非常に多チャンネルで、ニュース、スポーツ、音楽、ドラマ、海外チャンネルなど何百種類というチャンネルが視聴できる。(と言っても、次第に視聴するチャンネルは限られてくるが。)2015年には衛星放送大手であるディレクTVを買収し、更に事業領域を広げている。

2016年10月にはアメリカの大手メディアのタイム・ワーナーを850億ドルで買収することを発表したが、メディアと通信キャリアを併せ持つ超巨大企業の誕生により、価格の値上げ等で消費者が犠牲になるとの懸念は強く、未だ当局の承認は下りていない。

AT&Tという名称の由来はThe American Telephone & Telegraph Companyの頭文字から来ており、AT&T Incとしての設立年こそ1983年であるものの、会社の歴史は電話という技術自体を発明したグラハム・ベルが1877年に設立したベル電話会社にまで遡る。2008年以降、本社はテキサス州の大都市の一つであるダラスに位置する。

AT&T(ティッカーコードはT)は米国株投資の世界では、長期連続増配銘柄として有名で、連続増配期間は驚異的な33年間にまで達する(つまり設立及び上場以来、一貫して増配を続けているということだ)。株価はタイム・ワーナー買収の期待もあってこの数か月上昇を続けており、2016年12月29日現在の株価は42.5ドル。それでも、配当利回りは4.5%もあり、日本の大企業ではほとんど見ることができない数値だ。ROEも10.9%となっている。

それではAT&Tは地元ダラスにどういった貢献をしているのだろうか。同社のウェブサイトに2016年10月9日付で発表されたAT&T and City of Dallas Plan Downtown Destination for Eating, Shopping and Playing(AT&Tとダラス市は食事したり、買い物したり、遊んだりできるダウンタウンのスポットを計画中)という記事で、これまでの貢献と今後の計画について述べている。

同記事によると、2008年にグローバル本社をダラスに移して以来、ダラスのダウンタウンでの雇用は移転前の倍の約5,700人に達し、本社の改築のために1億㌦以上の投資を実施したという。そして、2016年にはAT&Tがダラスのダウンタウンから移転するという噂があったが、今回の発表によると、AT&Tはダラスのタウンタウンに留まり、それどころか更に多くの資金を投じ、ダラス市と共同で、AT&T Discovery Districtという一般開放された商業スペースを整備することを計画しているという。

積極的なM&Aを続けるとともに、地元ダラスへの貢献も忘れない巨大企業AT&Tの今後に注目したい。

 

テキサス在住経験者がマクドナルドのテキサスバーガーを食べてみた

今日本では、日本マクドナルド創立45周年を記念して再発売されたテキサスバーガーが話題になっている。当ブログでは、実際のテキサス州のバーガーを食べ歩き、日本未進出のテキサスのバーガーレストランを何度か紹介してきており、テキサスのバーガーには詳しいブログという自負がある。そこで、日本の「テキサスバーガー」がどれほどのものか、実際にマクドナルドを訪問してみた。

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日本でのマクドナルドと言えば、過去数年の一連の不祥事で客足が遠のき、業績の停滞が続いているという印象だったが、いざ訪問してみると、若者を中心に多くの顧客でにぎわっており、やはり話題のテキサスバーガーを注文している人が多い様だ。早速、筆者もテキサスバーガーセット(Mセット 790円)を注文してみる。少なくともマクドナルドにしては高めの価格設定はテキサス的とは言えそうだ。そして、しばらくして出てきたのがこのバーガーである。

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なんとテキサスバーガーを包んだ箱の上面には、TEXASの文字の上に、テキサスの象徴である一つ星(ローンスター)が!この星がローンスターであることを認識している日本人がどれだけいるかはわからないが、それでもローンスターを箱にプリントした日本マクドナルドの心意気には感服する。

それでは、肝心の中身のバーガーを見てみよう。

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バンズは三段になっており、一段目と二段目の間にはベーコンとフライドオニオンが、二段目と三段目の間にはビーフパティとチーズが収まっている。まず目につくのは、日本のバーガーにしては特大のパティで、1/4ポンド(通常のパティの2.5倍)だそうだ。以前当ブログで紹介したテキサス州の人気バーガーレストランであるFuddruckers(ファドラッカーズ)では、基本サイズが1/3、1/2、2/3ポンドの三種類であり、それと比べれば必ずしも大きいとは言えないが、Everything is bigger in Texasの精神には沿っているバーガーだと思う。

テキサスバーガーがテキサスらしさを出そうとしているもう一つの特徴は食べてみるとわかる。素材を引き出すソースとしては、上部の具材にはバーベキューソースが、下部の具材には粒マスタードレリッシュがかかっている。バーベキューソースはその名の通り、テキサス州の代表的料理の一つであるテキサスバーベキューにかけるソースだが、テキサス州ではバーベキューをパンで挟んでサンドイッチにすることはあっても、ビーフパティの上にバーベキューソースをかけることはない。甘辛いバーベキューソースはビーフパティとはあまり合っていない気がする。

そしてもう一つの違和感は野菜の具材が見当たらないこと。その理由について、日本マクドナルドが運営しているマガジン「バーガーラブ」の、開発者が語る 「テキサスバーガー」誕生の舞台裏という記事を読んで衝撃を受けた。開発者としてはバーガーに生野菜を入れないことで、「とことんテキサスのイメージを引き出した」とのことで、そのテキサスのイメージとは砂漠や荒野のイメージだという。開発者としては、そうした砂漠や荒野をかけるカウボーイのワイルドさや力強さをイメージしたということだし、日本人のテキサスに対するイメージが砂漠や荒野ということも否定しないが、テキサス在住経験者としては複雑な思いだ。

本当のテキサス州のバーガーにももちろん、レタスやトマト、オニオンという野菜は入っているし、最近の日本と同じく地産地消でテキサス州で採れた野菜にこだわっているお店も多い。また、テキサス州のバーガーと言えば、唐辛子の一種であるハラペーニョのピクルスによる辛さが、バーガー全体の味を引き締める重要な要素だ。それを「生野菜を入れないことでテキサスらしい」と言ってしまうのはどうだろう。開発者の方々はテキサス州での現地調査はしたのだろうか。

日本マクドナルドのテキサスバーガー、テキサス州での経験を忘れて、一つのバーガーとして捉えれば、個性的ではあると思うけれど、いつか本当のテキサス州のバーガーレストランが日本に進出してほしいとは思わされた味ではあった。

↓テキサス州を代表するバーガー、Fuddruckers(ファドラッカーズ)の記事はこちら

日本未進出のテキサス州のこだわりハンバーガー① Fuddruckers

黒人のダラス警察署長デービッド・ブラウン氏の次なる戦い

7月7日、アメリカ南部テキサス州の大都市ダラスで警官が襲撃され、5人が死亡した事件から2週間が経ち、ダラスの警察署長であるデービッド・ブラウン氏は、事件の解決おいて発揮した優れたリーダーシップに加え、その壮絶な人生により世界的に有名になった。

彼の人生は既に日本のメディアでも紹介されているが、ここで改めて振り返ってみよう。彼は黒人として、サウス・ダラスのスラム街で生まれ育ち、1980年代のコカインによる街の荒廃を目の当たりにして警官になろうと決意したという。しかしその後、彼は自分の兄弟や警官としての最初の相棒を銃の事件で亡くし、更には6年前にダラスの警察署長になった直後、自分の息子が警官を銃で殺害し、別の警官に射殺されるという衝撃的な事件に直面する。しかし、彼はその悲劇を乗り越えて警察署長を続け、警官と地域住民の良好な関係を築くために「コミュニティー・ポリシング」という手法を導入し、ダラスの犯罪件数は低下する。

↓日本のメディアによる報道の例はこちら

警官銃撃事件のダラス市警察署長、銃による悲劇のキャリア 息子も失う

ここまでであれば、まさに英雄的な物語であるが、ブラウン所長には日本のメディアには報じられていない戦いが待っている。ダラスの地元新聞Dallas Morning News電子版の2016年7月18日付の記事Weary and worn, Dallas police face the end of mourning and the return of lingering problems(疲労困憊したダラス警察の喪が明け、懸案が戻ってくる)によると、事件が起こる前、ダラス警察における彼の立場は決して良好な状態ではなかった。凶悪犯罪の発生率の上昇に対して、ブラウン所長が部下の警官のスケジュールや担当業務を頻繁に変更したことで、警官達の疲労と不満が募り、警官達が組織する諸団体は昨年、二回もブラウン警察署長の辞職を要求していた。

警官達はブラウン所長が独裁的で復讐心が強く、自分の好きなことばかりやっていると考えており、多くの警官がより良い給料を求めて、テキサス北部の他の都市に去っていったという。また、世界的に称賛された「コミュニティー・ポリシング」というブラウン所長の方針も、警官が子供達とスポーツに興じている間に、街中でパトロールに当る警官の不足を引き起こしていたと批判されている。

しかし、襲撃事件はダラス警察における彼の立場を一変させた。彼は未だに論争を呼んでいるロボットによって容疑者を爆発させるという決断を行うとともに、公の場で、警察に過剰な責任が押し付けられていることを嘆き、デモの参加者に対しても、デモ行進から離れて警察に参加する様に呼びかけた。結果として、これまで彼を批判していた警察内の人々が、一斉に彼を称賛し始める。

とは言え記事は、襲撃事件の喪が明ければ、ダラス警官達のブラウン所長に対する厳しい視線が戻ってくるだろうとも指摘している。但し、ブラウン所長の味方は増えている。同じDallas Morning Newsの2016年7月22日付の記事DPD flooded with job applications since downtown ambush(ダラス警察にはダウンタウンでの襲撃以来、仕事の応募が押し寄せている)によると、事件後の二週間でダラス警察への仕事の応募は前月の同じ期間の3倍となったという。ブラウン所長はかつて、ダラスにおける人種間の緊張を改善する方法について聞かれてこう答えている。

“I’ve been black a long time.” (私は長い間黒人であり続けているんだ。)

“It’s my normal to live in a society that’s had a long history of racial strife. We’re in a much better place than we were when I was a young man here, but we have much work to do, particularly in our profession. Leaders in my position need to put their careers on the line to make sure we do things right.”

(私にとって人種間の長い闘争の歴史を抱えた社会に住むことは普通のことだ。我々は私が若者だった時と比べてはるかに良い状況にあるが、特に我々の職業において、まだやるべきことは多い。私の役職につくリーダー達は、自分達が正しいことをしているかを確認する道のりの中に自らのキャリアを置かなければならない。)

ここからは私見だが、白人警官が黒人を射殺したり、暴行を加える事件が頻発し、黒人の側が白人警官を射殺する事件まで続く中、殺害されたダラスの警官のトップが黒人だという事実は、一連の事件を白人対黒人の人種問題という構図に単純化できない重要な要素となっている。しかも、ブラウン所長は貧富の差や、麻薬問題、銃犯罪の増加やそれに対する規制の問題という、現代アメリカが抱える多くの問題を自らの人生を通じて体現してきた人物だ。彼の発するメッセージに今後も注目していきたい。

写真はダラスで最も有名な銃撃事件、1963年のケネディ大統領の暗殺の現場。現在は銃撃現場が博物館となっている。

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石油の街ヒューストンならではの石油にまつわる博物館

古今東西、世界には多くの博物館がある。大英博物館の様に世界中からありとあらゆる事物を収集した場所もあれば、鉄道博物館という様に、特定の事物に特化した場所もある。そして、石油ガス産業が主要産業であるテキサス州ヒューストンには、石油ガス産業に関する博物館がいくつもあるのだ。日本人には馴染みの薄い石油ガス産業の世界をわかりやすく紹介する石油ガスの博物館をここで紹介してみたい。

まずは、ヒューストン最大の博物館であるHouston Museum of Natural Science(ヒューストン自然科学博物館)。ここは、一般には全米最大規模の恐竜の化石を所蔵することでも有名だが、この博物館の一角にWiess Energy Hallと呼ばれる石油ガス産業に関する展示を集めた大きなスペースがある。

展示としては石油ガス産業の上流から下流への流れに沿って続いていて、石油ができる仕組み、石油の探鉱(Exploration)、掘削(Drilling)、生産(Production)、加工(Process)、輸送(Transportation)など、石油ガス産業のそれぞれの工程に関する最新技術を、豊富な実物の展示や作りこまれた映像を通して学ぶことができる。2013092311412841a

201309231141272f0なかでも目玉は、Geovator(ジオベーター)と呼ばれるアトラクションで、約2,300メートルの地下にある石油の層まで、実際に井戸の中を通って降りていく様な気分になり、石油掘削と生産の現場を疑似体験することができる。映像や音響は博物館とは思えない程凝っていて、特に米国のシェール革命を可能にした最新技術Fracking(水圧破砕)を疑似体験できるのは、石油ガス産業に携わる者にはたまらない。

次に紹介するのは、Ocean Star Offshore Drilling Rig and Museum。ここはヒューストン中心部から南東に一時間程車を走らせたガルベストンという街にあり、目の前にはメキシコ湾が広がっている。メキシコ湾は世界中でも、海上油田や海上ガス田が多いことで知られ、石油ガス産業が発達するにつれて、メキシコ湾の中でもより深い場所(Deepwaterと呼ばれる)にある石油ガスを掘るために、リグと呼ばれる掘削用のやぐらが進化してきた。

ここはそんな海上用のリグの詳細やリグの進化の歴史が学べる、おそらく世界でも唯一の博物館であり、リグに関する展示物は数多い。何しろ博物館の外側に、実際に海上掘削に使用されたリグがそのまま展示されているのだ。かなりマニアックな博物館ではあるが、ガルベストンではここ以外にも修理中の巨大なリグをそこかしこに見ることができ、自然にリグについて興味が沸いてくると思う。

写真は修理中のリグとその近くに停泊中のカリブ海クルーズのクルーズ船。こんな景色が見られるのもガルベストンならではだろう。IMG_0272

そして、最後に紹介したいのは、次の写真に写っている博物館。201311171503555f7

と、読者の皆様はただの工場が写っているだけだと思っただろうが、ヒューストンはテキサス州各地で生産される石油や天然ガスを背景に、世界最大の石油化学プラントの集積地となっている。特に、ヒューストンの東の郊外、Houston Ship Channelと呼ばれる石油タンカーが通る運河が内陸まで入り組んでいるエリアに巨大なプラントが多く、その辺りを運転するだけでも、一面に広がる石化プラント群に圧倒される。更に、一般人でも意外と近くまで接近することができるので、石油を精製するプラントが吐き出すフレアと呼ばれる炎さえ見ることができるのだ。石油ガス産業を理解するための博物館という意味では、この石化プラント群も一つの博物館と考えることができると思う。2013111715040073c

ヒューストンの観光地というと何といってもNASAが有名だが、石油ガスの街であるヒューストンを訪問した際は、ぜひこうした博物館に足を運び、石油ガス産業の持つダイナミズムを実感して頂きたい。

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テキサス州の州花ブルーボネットについての意外な事実

日本で春を感じる花見と言えば桜だが、テキサス州では、テキサス州の州花Bluebonnet(ブルーボネット)を愛でることが春の風物詩となっている。そもそもテキサス州は多くが亜熱帯性気候で、我らがヒューストン周辺は日本で言えば奄美大島と同じ緯度なので、年中温暖で、日本の様に四季折々の自然を味わうという感覚は余りない。しかし、3月中旬から4月のブルーボネットの季節だけは、ブルーボネットがそこら中に咲き誇り、春の到来を感じることができるのである。IMG_1517

テキサス州にはいくつもブルーボネットの名所があるが、ヒューストン近郊で言えば、ヒューストンから北西に70マイル程北西に行ったところにあるBrenham(ブレナム)という街は、テキサス中央部のブルーボネット地帯の中心として知られ、まさに見渡す限りのブルーボネットを楽しむことができる。IMG_1523

そんなブルーボネットが何故テキサス州の州花になったかについて、ヒューストンの地元の新聞であるHouston Chronicleの過去の記事に、意外な事実が明らかにされていたので、ここで紹介してみたい。

Houston Chronicleの2008年3月23日付の記事How bluebonnets became state flower(どうやってブルーボネットがテキサスの州花になったか)によると、事の経緯はこうである。

20世紀の初め、テキサスでは男女間の激しい争いがあった。今以上にマッチョイズムが強かった男性の州議会議員たちは、たくましいサボテンや当時南部の主要産業であった綿花こそ、テキサスの州花にふさわしいと考えていた。それに対して、National Society of Colonial Dames of America(全米植民地婦人会)を中心とした女性達は、当時バッファロー・クローバーと呼ばれていたブルーボネットの一品種、Lupinus subcarnosusこそ、テキサスの州花にふさわしいと主張したのだ。クローバーというかわいらしい響きと、バッファローという強さの象徴が両立する呼び名は、確かに人当たりが良くたくましい、テキサスの女性のイメージに合致する。結果、紳士たらんとした男性達は、女性の望みを叶え、Lupinus subcarnosusは1901年にテキサス州の州花となった。

そして、話はこれでは終わらない。実はかわいらしいLupinus subcarnosusに対して、より大きく頑丈なLupinus texensisというブルーボネットの品種もあり、一部の人々はこの品種こそテキサスの精神を象徴するにふさわしいと主張し続けていた。そして何とそれから70年もの時を経て1971年、州議会は州花に関する法律を改正し、Lupinus subcarnosusとLupinus texensisを含む全てのブルーボネットの品種をテキサス州の州花として指定したのである。

こうしてブルーボネットにまつわるテキサスの歴史をひもとくと、この美しさとたくましさの両方を兼ね備えた花もまた違った見え方がしてこないだろうか。IMG_1530

春にテキサス州を訪れる方はぜひ道端に咲くブルーボネットを探して頂きたい。

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ヒューストンが全米で最も都市計画がヒドイ都市に選出!?

アメリカの情報サイトThrillistに、2016年3月4日付でThe 9 Worst Designed Cities in the US(全米で都市計画がヒドイ都市ワースト9)という興味深い記事があり、そのランキングの中で我らがヒューストンが最も都市計画がヒドイ都市に選出されているのだ。他のアメリカ南部の都市もランキングに登場しており、アメリカ南部を理解するのに役立つと思うので、ここで紹介してみたい。

このランキングはThrillistが複数の都市プランナーに取材して、独自に作成したという。まず、ワースト9のランキングを並べると、

9位 モンタナ州ミズーラ

8位 ルイジアナ州ニューオーリンズ(アメリカ南部)

7位 フロリダ州オーランド(アメリカ南部)

6位 ワシントンDC

5位 カリフォルニア州ロサンゼルス

4位 ペンシルバニア州ピッツバーグ

3位 ジョージア州アトランタ(アメリカ南部)

2位 マサチューセッツ州ボストン

1位 テキサス州ヒューストン

さて次に、ヒューストンが何故この様な不名誉な称号を獲得したかを見てみると、同記事は、有名な土地区画法(Zoning Law)の欠如を挙げている。その結果として、「アダルトショップの横に高級デパートがあり、さらにその横に高層オフィスビルがある」といった風景が見られることを指摘している。

確かに、全く異なる建物が隣り合っている様子はヒューストンでよく見られる風景だ。何気なく撮った写真の中でも、歴史的な建物と高層ビルが隣り合っていたりする。IMG_1234

しかし、同記事も認めている通り、ヒューストンの人々は土地区画がない事実を好ましく思っている。この都市では過去、土地区画法が何度も住民投票にかけられては否決されてきたという。

アメリカ南部の都市は総じてその傾向があるが、ヒューストンに初めて来た時に感じたのは、一見したその無機質さだ。ダウンタウンのごく一部のエリアを除いて、歩いてお店を巡れる場所はほぼ皆無で、移動は全て車。結果として、お店は中央に大きな駐車場を備えた多くのモールに集まることになり、最初はどこのモールに行っても同じに見えた。

ところが住み始めてからしばらく建つと、高速道路の脇に、突然大きな教会が現れたり、高級レストランの横に当たり前の様にストリップ劇場が並んでいたりする様子に気づき、この都市が有する混沌、自由に変化を続ける活力に魅了されてくる。それは、元よりフロンティアの時代からテキサスの人々が持っていた自由を愛する土壌を下敷きに、20世紀後半の石油ブームで、世界中から多種多様な人々が移民してきた歴史と無縁ではないだろう。IMG_1580

ちなみに同記事では、そうした都市区画の欠如が、私有車での通勤時間の長期化や公共交通の貧弱さを生み、ひいては最近まで全米で最も肥満率の高い都市という、もう一つの不名誉な称号を保持していたことにつながっているとも指摘している。私見では、確かに公共交通の不足との関連はあると思うものの、肥満率の高さはステーキからコーラに至るまで”Everything is bigger in Texas”の精神で、何でも特大サイズを注文する気風の方が問題だと感じるのだが。。。IMG_1575

 

 

ヒューストンを訪れる際には、都市区画の無さが生み出す混沌という魅力にぜひ注目して頂きたい。

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テキサスの豪華すぎるガソリンスタンド Buc-ee’s(バッキーズ)

テキサス州には、テキサスに住む人々なら誰でも知っていて、ほとんどの人々が大好きなガソリンスタンドがある。Buc-ee’s(バッキーズと発音する)という名前のそのガソリンスタンドは、ガソリンスタンドと表現するには余りに豪華で、日本人がイメージするガソリンスタンドの概念を遥かに超えている。今回は、テキサスの豪華すぎるガソリンスタンド、Buc-ee’sの魅力に迫ってみよう。

テキサス州では一歩大都市を離れると、何時間も何もない荒野の一本道を走り続けるということがしばしばだ。そんな退屈なドライブにおいて、道路脇にBuc-ee’sの看板が見えてくると、例えそれがまだ何十マイル先であってもワクワクしてくる。そして、遂にBuc-ee’sに到着したことを示す、マスコットキャラクターのビーバーの看板が見えてくると、まるで自分の家に帰ってきた様な安心感に包まれるのである。IMG_1514

Buc-ee’sは、ヒューストンの東の郊外に位置する町Lake Jacksonで、1982年にオープンした。創業当初からオーナーがこだわりを持っていたのは、トイレを徹底的にキレイに保つことだった。アメリカ南部の高速道路上のガソリンスタンドでは、汚く放置されたトイレに遭遇し、ドライブの疲労感が増してしまうこともしばしばだ。しかしBuc-ee’sのトイレは、まるでホテルのトイレかの様に、常にキレイで清潔に保たれている。私はこれは非常に有効な集客戦略だと考えており、その証拠に私自身も、長距離運転中にガソリンが少なくなってきたと感じても、後数十分以内にBuc-ee’sがあるのであれば、清潔なトイレにひかれて、ついBuc-ee’sまで我慢してしまう。IMG_1515

そして、Buc-ee’sのもう一つの特徴はその巨大さだ。通常のガソリンスタンドにはせいぜい10台程度の給油機が設置されているのが普通だが、Buc-ee’sには少ないところでも80台、多いところでは120台もの給油機が並んでいる。これも、どんなに人気でも、Buc-ee’sではガソリンを入れるのに給油機の順番待ちをする必要がない、という安心感を与えてくれる。

Buc-ee’sの魅力はまだ終わらない。店内も通常のガソリンスタンドのコンビニ部分の数倍の大きさで、どこにでもあるお菓子やドリンク、日常品はもちろんのこと、独自ブランドのビーフジャーキーや、テキサスのお土産コーナーまで備えている。更に、食べ物も充実していて、店内の大きなスペースを使ってカウンターを設置し、サンドイッチやタコス、バーベキュー、コラチェなど、テキサスの人々が大好きなメニューをアツアツで提供してくれる。IMG_1516IMG_1518

ちなみに、おまけでもう一つの魅力を挙げると、Buc-ee’sのマスコットキャラクターであるビーバーについても、Tシャツや、ドリンクホルダー、ぬいぐるみや帽子など色々なグッズが販売されている。こうしたグッズは、普段の生活で身に着けていると、それだけで出会ったアメリカ人が笑顔になってくれるという優れものだ。IMG_1520

テキサス州をドライブすることがあれば、ぜひ道路脇のBuc-ee’sの看板を探し、到着するまで我慢してほしい。きっとそれだけの価値はあるはずだから。

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年に一度のカウボーイ・カウガール達の祭典 ヒューストンロデオ

今年もヒューストンにロデオの季節がやってきた。年に一度、アメリカ南部・中西部各地から、馬や牛の扱いに自信のあるカウボーイ・カウガール達がヒューストンに集い、様々な競技で、日頃の修行の成果を競い合うイベントである。個人的には、最もテキサスらしいと思うイベントの一つだ。

ヒューストンロデオは、3月1日-20日の20日間に渡って行われ、この季節になると、普段はアメリカンフットボールの地元チームであるヒューストンテキサンズの本拠地、NRGスタジアムが、馬と牛と熱気に満ちたロデオ会場に早変わりする。IMG_1473

夜になると、NRGスタジアムの周りには、この日のために着飾った人達が集まってくる。着飾ると言ってもスーツやドレスではなく、カウボーイ・カウガール達に合わせて、上半身は柄シャツ、下半身はジーンズとカウボーイブーツ、そして、頭にはカウボーイハットといういで立ちだ。また、会場の周りでは、各地から集まったバーベキューの店舗が味を競うという、もう一つの戦いも行われている。

スタジアムの内部は、アメフトの時と同様、一階席から四階席まで客席が分かれているが、私の経験上、競技に接近できる一階席以外は、詳しい競技の様子が肉眼では見えず、スタジアム中央のスクリーンを通して見ることになるので、余り座席にはこだわらなくてもよいと思う。IMG_1476

いざロデオが始まって驚くのは、種目の多さだ。合間のショーも含めると、10以上の種目があり、それぞれロデオの期間中に、予選から決勝までが進行し、その年のチャンピオンも決まる。

まず日本の方々にも馴染みが深い種目としては、Bull Ridingという暴れ牛にどれだけ乗っていられるかという種目がある。8秒乗れば合格となり、それまでの乗り方と牛の暴れっぷりが評価されるが、素人には点数がどう付けられているのかがなかなかわかりにくい。ただ競技は迫力十分で、下の写真は、ズームが荒くて見にくいが、カウボーイが途中で牛に振り落とされるシーンだ。ただ8秒乗ると言っても、その難しさが伝わるだろうか。IMG_1492IMG_1493

難しさという意味では、素人目に最も難しく見えるのは、Steer Wrestlingという種目。その内容は、走っている馬の上から逃げる牛にジャンプして飛びつき、その牛の首をひねって地面に倒すまでの時間を競うというものだ。恐らく西部開拓時代の実際の作業からヒントを得て考案されたのだろうが、動く動物から動く動物に飛びつくというのはそれだけでも至難の業だ。そして、毎回牛の首をひねって倒すというのは、牛にはダメージはない様だが、どこかの動物愛護団体から抗議がこないか無用な心配をしてしまう。下の写真は、中央の青いシャツの男性が、牛の首に見事飛びついた瞬間だ。IMG_1488

一方、美しさを感じる競技といえば、Barrel Racing。基本的には女性、カウガール達の競技で、会場内に三角形に配置された樽の間を馬で走り抜けるタイムを競うというものだ。カウガール達のたづなさばきで、馬達が樽の周りを最小限のスペースでターンし、最後ゴールに全速力で走り抜ける様は、見ていて美しさすら感じるし、会場も盛り上がる。IMG_1490 (1)

そして、ロデオの全ての種目が終わり、会場の興奮が最高潮に達した時、会場の中央から花火が上がり、第二部であるコンサートに移る。ロデオのコンサートは、一部の大物ポップアーティストを除いて、多くがカントリーミュージックのアーティスト達で、日本の方々にはほとんど馴染みがないだろうが、アメリカ南部では熱狂的な人気を誇るアーティストも多い。私達が訪れた日も会場は大興奮に包まれていた。IMG_1509

何がロデオの魅力かと言えば、カウボーイ・カウガール達の熟練された技術ももちろんながら、会場の周りのテキサスバーベキューの味、普段はテキサスの田舎の牧場で牛や馬の世話をしているであろうカウボーイ・カウガール達の雄姿、テキサスの人々が熱狂するカントリーミュージックの心地よい響きと、自分達がテキサスにいるのだということを全身で感じさせてくれることだ。ロデオ期間中にテキサスを訪れる方はぜひともこのヒューストンロデオを訪れていただきたい。

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