アメリカ南部の映画② シェフ–アメリカ料理の奥深さがわかる映画–

2020年6月現在、日本の東京は未だに新型コロナの新規感染者が増減を繰り返し、まだまだ自由に外食や旅行をするのには時間がかかりそうな状況だ。そんな状況だからこそ、せめて画面の中では広い世界を旅してみたいということで、Netflixで見ることができる2014年公開の映画『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』について書いてみたい。

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皆さんはアメリカ料理と言われて何を思い浮かべるだろうか?思いついてもハンバーガーやステーキくらいという方が多いのではないだろうか。しかし、アメリカの各地域、特にアメリカ南部の各地域では、その地域ならではの特色ある料理を味わうことができる。そしてこの映画では、主人公達と共にフードトラックに乗りながら、各地の料理を擬似体験できる。

映画自体のあらすじとしては、SNSで料理評論家に酷評され、職を失ったロサンゼルスの元一流シェフが、元妻の援助で中古のフードトラックを手に入れ、息子や友人とともに、アメリカ南部を旅しながら、再起を図るというストーリーだ。

旅のスタート地点はフロリダ州マイアミ。街を歩いていても、英語よりもスペイン語を耳にする機会の方が多いと思えるこの街は、ラティーノ、特にキューバ系移民の人口が多く、キューバ系移民のコミュニティの中心がリトルハバナだ。主人公のシェフはリトルハバナで、キューバサンドイッチ(Cubanos)や、カリブ海の恵みを活かしたキューバ料理に感動し、フードトラックでの営業を決意することになる。

次の街はルイジアナ州ニューオーリンズ。アメリカの中でも独特な文化を持つこの街は、旧フランス領植民地であった歴史から、フランス料理と土着の食材が融合したケイジャン料理の中心地だ。ここでは砂糖たっぷりのドーナツであるベニエや、ルイジアナ風サンドイッチであるポボイに出会うことになる。映画では余り出てこないが、ニューオーリンズと言えば、マルディグラのお祭り騒ぎやジャズ文化も外せない。

そして我らがテキサス州では、サウス・バイ・サウスウエストという音楽祭で最近日本でも話題になった州都オースティンに向かう。ここでシェフが料理するのは、このブログでも何度も取り上げているテキサス・バーベキューだ。肉を長時間かけてスモークすることで、肉の旨味はギュッと凝縮される。日本で一般的なバーベキューとは似て非なるテキサスらしい無骨な料理だ。

どうだろうか。それぞれの料理について、日本に専門店もあまり無いため、文章だけではイメージが掴みにくいかもしれない。各料理の魅力を味わうためには現地に赴いていただくのが一番だろうが、それができない今は、まずはこの映画を味わって欲しい。

ビエンチャン近郊の穴場観光地-ラオス ナムグム湖 旅行記

今回はアメリカ南部に関する当ブログの番外編として、ラオスへの旅行記を書いてみたい。

ラオスは東南アジアで唯一海に面していない内陸国だ。そんな地理的特性からあなたはラオスは水との関わりが少ない場所だとイメージするかもしれない。しかし、決してそんなことはない。ラオスの人々は水と密接な関係を保ちながら生きている。ラオスの首都ビエンチャン近郊には、あまり日本では知られていないが、そんなラオスの人々の生き方が垣間見える観光スポットがある。

ビエンチャンから北へ約90km、車で約2時間、のどかな農村風景が広がる道を進んでいくと、突如として視界が開け、見渡す限りの視界一面に湖が広がる。ここが巨大な人造湖、ナムグム湖だ。

ナムグム湖のほとりにはボート乗り場があり、大きさと所要時間に応じて価格の異なるボートをチャーターできる。このボートがすごいのは、ボート乗り場に併設するレストランで注文した料理をボートの上に並べて食べることができることだ。アルコール類も楽しめるので、気分はまるで隅田川の屋形船の様。実際、週末になると、ビエンチャンの人々が親族や友人で集まって、ボートの上で団らんをして過ごすという。食事のメニューには湖から獲れた色々な魚が含まれている。

湖には水位に応じて大小様々な島ができており、興味深いことに湖の中心部には刑務所やドラッグ中毒者の更生施設まであるという。通常のボートのコースには、島全体が丸々土産物屋となっている島への上陸が含まれており、地元の人々の商魂のたくましさを感じさせる。

この巨大な湖は1960年代、ラオスがまだ内戦の最中にあった時期に始まったナムグムダムの建設プロジェクトによって誕生したものだ。当時、経済的に貧しく、電力も不足していたラオスにおいて、メコン川の支流であるナムグム川をせき止めるダムと水力発電所を作ることで電力を生み出そうとしたもので、プロジェクトには日本のODAや日本企業も参加している。その後、何回かの拡張を繰り返すことで、現在ナムグムダムの水力発電所から生み出される電力はビエンチャン近郊地域の電力需要をカバーするとともに、メコン川を挟んだ対岸にあるお隣のタイにも輸出され、ラオスの貴重な外貨収入源となっている。

そう、ラオスの人々にとって、水がもたらす恵みは不可欠のものとなっているのだ。

メコン川は雨期の間に降り続く雨が集まって、遠くカンボジアやベトナムまで続く大河になる。左右に蛇行しながら進むメコン川の姿は古くからラオスの人々に大きな蛇、竜の神の存在を暗示してきた。仏教において、釈迦の守護神であるとともに天気を操り、干ばつや雨をもたらす竜の神と信じられているのがナーガだが、ラオスの寺院では水の恵みを求めてか、たくさんのナーガの像を見ることができる。

日本では今年、外交関係樹立60周年を記念して、ナムグム湖を舞台とした日本とラオスの合作映画、「ラオス 竜の軌跡」も公開された。ビエンチャンを訪れた際には、ぜひナムグム湖にも足を延ばしてほしい。

テキサスへの愛に溢れた目黒のリトルテキサス

最近、東京でもテックスメックス料理を謳うレストランが増えている。しかし、そんな店は大概、テキサス流にアレンジされたメキシカン料理であるテックスメックス料理の看板を掲げていても、実際にはメキシコ料理そのものだったりする。しかし、東京の目黒の一角にあるリトルテキサスは本格的なテキサス料理が食べられる数少ないお店だ。しかも、このリトルテキサスは、テキサス料理だけでなく、オーナーのテキサスへの愛に満ちた場所である。

目黒駅西口から徒歩5分、飲み屋が軒を連ねる通りを歩いていくと、一際人目を引く看板に出会う。

テキサス州の地図、そして、テキサス州立大学(通称”UT”)のシンボルであるロングホーンを組み合わせた店名のマークの右下には、小さく”TOKYO, TX”と書かれている。地名の後に州名を表すアルファベット二文字をつなげるのはアメリカではお馴染みの表記方法で、「テキサス州の東京」という意味だ。この辺りからテキサス州への愛が感じられるが、地下一階に降りると、

今度は、テキサスのカウボーイ文化を思わせるシックな木造の入り口と、テキサス州旗に迎えられる。それでは、店内に入ってみよう。

店内でも、テキサスのバーでよくある様に、壁にテキサスにまつわるステッカーが多数貼られていて、まるでテキサスにいるかの様な気分にさせられる。

こんなテキサス愛にあふれた店を作り上げたオーナーは、テキサスのことが本当に大好きで、過去20年以上にわたって毎年複数回テキサスを訪問しているという。オーナーによると、そんなオーナーの思いが伝わって、テキサス側でも東京のリトルテキサスのことが取り上げられる様になり、東京を訪れるテキサスからの観光客がリトルテキサスを訪れ、テキサスのステッカーを持ち寄ったことで、今の様な賑やかな姿になったのだという。

リトルテキサスは料理にもこだわりがあり、ハラペーニョやサルサ、サワークリームなどテキサスでお馴染みの食材を使ったおつまみに加え、ステーキやポークリブのバーベキューなど、がっつり食べられるメインディッシュも豊富だ。アメリカでは定番の軽食であるオニオンリングもリトルテキサスの手にかかれば、こんな感じで、テキサスの地図を模したボードに乗せられて提供される。

個人的には、テキサスの家庭料理であるチキン・フライド・ステーキが食べられるのが嬉しい。通常のステーキは調理法の差こそあれ世界中どこでも食べられるが、薄くのばした牛肉に衣をつけて油で揚げ、ホワイトソースをかけたこの料理は、アメリカ南部独特の料理だ。

ただ、ドリンクについては、アメリカで人気のクアーズやミラーなどのビールが飲めるのは有難いが、テキサスで製造され、テキサスで最も人気の銘柄、シャイナ―が無いのは少し残念。

そして、リトルテキサス最大の魅力はカントリーミュージック。毎週末には、カウボーイハットとジーンズ、カウボーイブーツでばっちり着飾った日本のカウボーイ達がカントリーの名曲を聴かせてくれる。カントリーミュージックは今でもアメリカ南部では大人気で、特にロデオにはカントリーのライブは欠かせない。

看板から音楽に至るまで店全体から伝わってくるオーナーのテキサスへの愛は、何と元テキサス州知事で、現在もトランプ政権で要職を占めるリック・ペリー氏にも評価され、彼からテキサス州の名誉州民に認められたという。

単に料理がテキサス風というのとはレベルが違う、テキサスそのものの雰囲気を感じたければ、ぜひ目黒のリトルテキサスを訪問してほしい。

ヒューストンバレエ団が来日公演!―千葉との絆―

この週末、我らがテキサス州ヒューストンが誇るヒューストンバレエ団が千葉県千葉市美浜区で初めての日本公演を開催している。ヒューストンバレエ団が千葉での公演に至ったのは、ヒューストンと千葉との絆、そして関係者の粘り強い努力によるものだった。

ヒューストンというと、石油の街をイメージする人が多いと思う。しかし、実際にはヒューストンはバレエやオペラ、オーケストラなど多数の文化団体を有するアートの街で、特にヒューストンバレエ団は1969年設立の歴史ある団体だ。多文化の街ヒューストンらしくダンサーの文化的背景も様々で、特に日本人ダンサーは現在6人も集まっている。

そんなヒューストンバレエ団に長く貢献してきた日本人ダンサーが、2016年まで12年間ヒューストンのステージに立ち続けていた楠崎なおさんだ。愛媛県で生まれた楠崎さんは10歳の時に家族とともに渡米し、最初はワシントンDC、次いでボストンで暮らす。ボストンでバレエのトレーニングを積み、ボストンバレエ団のダンサーとなった楠崎さんは、ヒューストンバレエ団の芸術監督であるスタントン・ウェルチの作品に感銘を受け、後にヒューストンバレエ団に移籍する。

楠崎さんはダンサーとしての活躍とともに、芸術が周りの人々に対して何ができるのかを考え続けてきた人でもあった。2011年の東日本大震災の後には、ヒューストンバレエ団によるチャリティーイベントを企画し、また、2015年には日本の昔話に基づく創作バレエ作品である『TSURU』を手掛けた。

そんな楠崎さんにとってヒューストンバレエ団の日本公演は長年のプロジェクトであった。ヒューストンと千葉市が今年で45周年となる姉妹都市であること、そして、先述の『TSURU』の振付を手掛けた小尻健太氏の地元が千葉市美浜区であることの縁もあったが、何よりも楠崎さんを中心とした関係者の粘り強い努力によって、今回の公演が実現したものだ。

公演初日の7月22日、会場となった美浜市民ホールには、多くの観客が詰めかけ、創作バレエと古典バレエ作品を組み合わせたプログラムに酔いしれた。第一部の『TSURU』ではヒューストンバレエ団で長きにわたってステージを共にした楠崎さんと吉山シャール氏の息の合ったダンスが観客を魅了し、第三部ではスタントン・ウェルチの振付作品を踊るヒューストンバレエ団の多くのダンサー達のパフォーマンスを、同じくヒューストンで活躍するピアニストである三牧可奈さんの演奏が彩った。

ダンサー達は今回の日本公演後、休む暇なくヒューストンに戻り、次のシーズンに向けた練習を続けるという。これからも新たな挑戦を続けるヒューストンバレエ団に期待したい。

アメリカ南部の映画① ダラス・バイヤーズ・クラブ

冒頭からテキサスのカウボーイ達の魂であるロデオの場面から始まり、石油掘削、銃、テキサス州旗と最後までテキサス全開な映画が、2014年日本公開の映画、ダラス・バイヤーズ・クラブだ。2013年のアメリカ公開の時点から評価は高く、主演のマシュー・マコノヒーと助演のジャレット・レトは2014年アカデミー賞の主演男優賞と助演男優賞をそれぞれ獲得した。人々の偏見、そして、規制当局の権力と闘い続けたテキサスの一男性を描いた実話である。

舞台は1985年、テキサス州の主要都市の一つであるダラス。日本ではケネディー大統領暗殺の舞台としても有名だ。当時のダラスでは今以上に男らしさを強調するマッチョイズムが息づいていた。現在のテキサス州でも公共の場でカウボーイ・ハットを被っている人はいるが、当時のダラスは、多くの人々が公共の場でカウボーイ・ハットを被っていた場所だった。

そんな当時の社会においては、エイズは同性愛者がかかる自業自得の病気であると偏見の目で見られていた。物語の主人公であるマシュー・マコノヒー演じるロン・ウッドルーフも、生粋のカウボーイであり、「エイズ患者=同性愛者」と信じていた。しかし、ある日職場の事故で入院したロンは、検査の結果、自分がエイズに感染していることを知る。

始めは自分が置かれた状況が理解できないロン。しかし、異性との性交でもエイズに感染することを知り、エイズ患者であることで友人達からも避けられたロンは次第に自分の運命を認識していく。死の恐怖にさいなまれたロンは、当時エイズ治療の新薬として治験が始まっていたAZTの服用を求めるが、主治医からは拒否されてしまう。

これが日本人を主役にした映画であれば、次第に衰弱しながら、エイズであることを受け入れていく、といった筋書きの感動作となるだろう。しかし、この映画はテキサスのカウボーイの実話。それからのロンの行動は我々の想像を超える。

生きることへの強い意志を持ったロンは、当時アメリカでは未承認であったエイズ治療薬をメキシコや日本などの外国から密輸し、その新薬を定額を支払ったエイズ患者の会員達に配る組織、「ダラス・バイヤーズ・クラブ」を始めるのだ。当然、彼の行為は、アメリカにおける新薬の承認機関であるFDA(アメリカ食品医薬品局)などの妨害に合うが、自分自身を含め、未承認の新薬が最後の希望となっているエイズ末期患者のためにロンは不屈の精神で抵抗を続ける。

そして、ロンの生き様がもたらしたものとは…

典型的なテキサス・カウボーイとしてのロンの性格に始まり、登場人物がテキサスなまりの英語を話し、ビールを飲むシーンでは、テキサスで愛される地ビールであるシャイナ・ボックが必ず出てくるなど、とにかく全編にテキサスが出てくる映画だ。

カウボーイなんてただの田舎者と思う人こそ、このダラス・バイヤーズ・クラブで実在したカウボーイの生き様を感じてほしい。

日本で食べるアメリカ南部ステーキ ルース・クリス・ステーキハウス

アメリカを離れると恋しくなるものの一つがステーキだ。日本のステーキレストランで食べられるステーキは何かが物足りない。しかし、東京でルース・クリス・ステーキハウスのリブアイステーキを一口食べた瞬間、あふれる肉の旨味にこれぞアメリカのステーキと感じた。このブログでは過去にアメリカ南部のステーキの魅力を紹介してきたが、今回はそんなアメリカ南部のステーキを東京で食べられるレストランを紹介したい。

日本の行政の中心である中央官庁が位置する霞が関、その一角にルース・クリス・ステーキハウスはある。

ルース・クリス・ステーキハウスはアメリカ南部で、二人の10代の子供を抱えたシングルマザーによって創業された。1965年のルイジアナ州ニューオーリンズ、Ruth Fertelは自分の家を抵当に入れて資金を作り、クリス・ステーキハウスという地元のレストランを購入した。彼女はそれまでの人生でレストランの経験が無かったにも関わらず、懸命な努力によってステーキを作り続け、次第に彼女のステーキハウスは地元の人々から愛される様になる。そして1976年、元のレストランが火事に見舞われたルースは新しく移転したレストランに自分の名前を冠し、ルース・クリス・ステーキハウスと名付けた。その後フランチャイズを続けたルース・クリス・ステーキハウスはアメリカ内外に100店舗以上を構えるに至る。

霞が関にあるルース・クリス・ステーキハウスもそんなルースの精神を引き継いでいるレストランだ。店に入ると、アメリカらしいインテリアで統一された内装が目に入る。

私達はまず、ルースの名前が付けられた、ルースのチョップサラダを注文する。野菜に和えられたクルトンやバジルドレッシング、上に添えられたオニオンクリスプがアメリカらしい。

そして、メインのステーキ。筆者はアメリカのステーキと言えば豪快な味が魅力のリブアイ(牛の背中肉で肩ロースとサーロインの中間に位置する部分)が一番だと思っている。これがテキサスであれば30オンスを超えるカウボーイ・ステーキを注文するところだが、ここは日本でもあり、通常の12オンスのステーキを注文する。

12オンスと言っても、プレートを飛び出すばかりのステーキで、ナイフで大き目にカットすれば、肉の旨味を口いっぱいに味わうことができる。約980度のブロイラーで焼き上げられたステーキは、約260度に熱せられたプレートに乗せられてサーブされるため、最後までアツアツのステーキを楽しむことができる。たっぷり添えられたバターやブラックペッパーが味に広がりを加えるため、最後まで飽きることもない。アスパラガスやマッシュルームなどのサイドが頼めるのも嬉しい。

アメリカでも高級店ではあるものの、日本の方が高めの価格設定ではある。しかし、東京の一夜で豪快なアメリカ南部のステーキの味を味わえることを思えば、満足度は非常に高いレストランだ。

↓テキサスの有名ステーキハウス、Taste of Texasに関する記事はこちら

これぞテキサスの味!ステーキハウス Taste of Texas

アメリカ南部の企業③ 実はテキサス発祥のホールフーズ・マーケット

アメリカの自然食品・オーガニック食品のスーパーマーケットとして、全米に展開するホールフーズ・マーケット(Whole Foods Market, Inc.)は日本でも有名だ。それではこのホールフーズはどこが発祥かご存じだろうか?実はこの企業、セレブが多いニューヨークでもなく、カリフォルニアでもなく、テキサス州の州都オースティン発祥なのである。そして、ホールフーズ創業にまつわるストーリーはまさにアメリカンドリームと呼ぶにふさわしいストーリーだった。

http://www.wholefoodsmarket.com/

ホールフーズ・マーケット社のウェブサイトには同社の創業ストーリーが述べられている。

1978年、大学からドロップアウトした25歳の青年、ジョン・マッキーとその彼女のレネー・ローソンは家族と友人から4万5千ドルの開業資金を借り、オースティンにSafer Wayという小さな自然食品の店を開く。食品を保管していることを理由に住んでいたアパートを追い出された若い二人は何とお店に住むことにし、皿洗い機を使ってシャワーを浴びるという貧乏暮らしだった。

そんな二人も二年後、別の自然食品の店を経営していたクレッグ・ウェラーとマーク・スカイルズという新たなパートナーを得て、1980年に最初のホールフーズ・マーケットをオースティンにオープンする。最初のホールフーズ・マーケットは店舗面積1万5百フィートと当時の健康食品の店舗としては非常に大きく、19人の従業員を抱えていた。

オープンから1年も経たない1981年のメモリアル・デイ(5月の最終月曜日の祝日)、オースティンの町を過去70年で最悪の洪水が襲い、商品の在庫が流され、機材が破損するなど、約40万ドルもの損失が生じる。しかし、常連客や近所の人々がボランティアとして店舗の修復に参加し、銀行や取引先も資金繰りに協力したことで、店舗は洪水からわずか28日後に再オープンする。

苦難の時期を乗り越えたホールフーズ・マーケットは同業の自然食品スーパーの買収を繰り返すことで、テキサス州全土、更には全米で店舗を増やし、2002年にはカナダ、2004年には英国にまで進出する。

そんなホールフーズ・マーケットだが、足元の業績は苦戦中だ。2013年9月期から2016年9月期の三期については、売上高こそ増収を続けている一方、税後利益は二期連続の減益となっている。株価についても(ティッカーコードはWFM)、2015年に約半分の30ドル台まで下落して以降、30ドル台での小幅な値動きを続けている。2016年9月期末のROEは14.5%、配当利回りは約1.8%となっている。

ホールフーズ・マーケットの苦戦の理由として、著者は競合他社の増加があると考えている。上に書いた通り、同社が1980年に最初の店舗をオープンした際には、大型店舗の自然食品のスーパーマーケットは珍しかった。しかし現代では多くの競合がいる。著者が住んでいたテキサス州ヒューストンで考えても、セントラル・マーケットという自然食品スーパーの業態を持つ、テキサス州サンアントニオ発祥のスーパー、H-E-Bや、カリフォルニア州発祥のトレーダー・ジョーズなどがある。ホールフーズはそんな多くの自然食品のスーパーの中で、高品質は評価される一方で値段の高さで知られている。

テキサス州発祥で、自然食品のスーパーマーケットとして長い歴史を誇るホールフーズ・マーケットが、新しい成長ストーリーを描けるか、今後の動向に注目したい。

アメリカ南部の企業② アメリカン航空とユナイテッド航空

テキサス州はアメリカを代表する航空会社の本拠でもある。まず紹介したいのはテキサス州の大都市ダラスに隣接する都市、フォートワースに本拠を置くアメリカン航空だ。本社に隣接するダラス・フォートワース空港をハブ空港とし、米州各地やヨーロッパ、東アジアをつなぎ、2016年12月現在、総旅客運送数で航空会社世界一を誇る。

このアメリカン航空は長らく、二つのAAの文字に鷹のロゴと、「ポリッシュド・スキン」と呼ばれる金属のむき出しの塗装で親しまれていたが、2001年9.11アメリカ同時多発テロ事件で機体が使用されたのを機に経営が悪化し、遂には2011年に連邦倒産法第11章(通称チャプター11)を申請し、事実上破たんする。その後再建したアメリカン航空は2013年に同業のUSエアウェイズを買収する等で拡大し、ロゴや機体のデザインも変更した。

国際線で言えば、南米向け路線に強みを持ち、ハブ空港の一つであるマイアミ国際空港からは南米各地に定期便が飛んでいる。また1998年の結成以来、航空会社連合であるワンワールドの中核となっている。

株価(ティッカーコードはAAL)は2016年、6月に20ドル台まで下落したが、12月末現在では約47ドルまで回復している。配当利回りは約0.8%と米国株としては低めだ。一方でROEは2016年9月末で124%と非常に高い。

ところで、長らくアメリカの航空会社を利用されている方であれば、テキサスの航空会社としてもう一社頭に浮かぶ航空会社がないだろうか。そう、アメリカ第4の都市である我らがヒューストンに本社を有していたコンチネンタル航空だ。しかし、コンチネンタル航空は2010年にユナイテッド航空と経営統合し、統合会社の本社は旧ユナイテッド航空の本社であったシカゴとなってしまう。

但し、地球を模したコンチネンタル航空のロゴは新ユナイテッド航空のロゴとして残り、ヒューストンのジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港は、引き続き新ユナイテッド航空のハブ空港の一つとなっている。また、航空連合で言えば、アメリカン航空のワンワールドと競い合うスターアライアンスの中核となっている。

ユナイテッド航空の株価(ティッカーコードUAL)は、アメリカン航空と同じく2016年6月に30ドル台後半まで下落したが、12月末現在では過去最高の約73ドルまで上昇している。足元は無配で、2016年9月末のROEは32%となっている。

この様にテキサス州はアメリカの大手航空会社が競い合う激戦区であるが、残念ながら優れたサービスを競い合ってはおらず、日本の航空会社等と比べたサービスの悪さは似たり寄ったりである。

アメリカ南部の企業① アメリカ大手通信キャリアAT&T Inc

今回から、アメリカ南部が世界に誇る優れた企業を紹介してみたい。第一弾は日本の皆様も名前は聞いたことがあるであろうAT&T Inc(以下AT&T)だ。

AT&Tはアメリカ大手通信キャリアで、固定電話、携帯電話、インターネット接続サービスなど幅広いサービスを展開している。日本で言えばNTTの様な存在で、携帯電話でも最大規模の4Gネットワークを誇り、競合のベライゾン、スプリント、Tモバイル等と比べて、テキサス州で最もつながり易い印象を受ける。

また、固定通信事業でも成功しており、我が家でも同社のIPテレビ事業であるU-verseを契約していた。U-verseは日本と比べると非常に多チャンネルで、ニュース、スポーツ、音楽、ドラマ、海外チャンネルなど何百種類というチャンネルが視聴できる。(と言っても、次第に視聴するチャンネルは限られてくるが。)2015年には衛星放送大手であるディレクTVを買収し、更に事業領域を広げている。

2016年10月にはアメリカの大手メディアのタイム・ワーナーを850億ドルで買収することを発表したが、メディアと通信キャリアを併せ持つ超巨大企業の誕生により、価格の値上げ等で消費者が犠牲になるとの懸念は強く、未だ当局の承認は下りていない。

AT&Tという名称の由来はThe American Telephone & Telegraph Companyの頭文字から来ており、AT&T Incとしての設立年こそ1983年であるものの、会社の歴史は電話という技術自体を発明したグラハム・ベルが1877年に設立したベル電話会社にまで遡る。2008年以降、本社はテキサス州の大都市の一つであるダラスに位置する。

AT&T(ティッカーコードはT)は米国株投資の世界では、長期連続増配銘柄として有名で、連続増配期間は驚異的な33年間にまで達する(つまり設立及び上場以来、一貫して増配を続けているということだ)。株価はタイム・ワーナー買収の期待もあってこの数か月上昇を続けており、2016年12月29日現在の株価は42.5ドル。それでも、配当利回りは4.5%もあり、日本の大企業ではほとんど見ることができない数値だ。ROEも10.9%となっている。

それではAT&Tは地元ダラスにどういった貢献をしているのだろうか。同社のウェブサイトに2016年10月9日付で発表されたAT&T and City of Dallas Plan Downtown Destination for Eating, Shopping and Playing(AT&Tとダラス市は食事したり、買い物したり、遊んだりできるダウンタウンのスポットを計画中)という記事で、これまでの貢献と今後の計画について述べている。

同記事によると、2008年にグローバル本社をダラスに移して以来、ダラスのダウンタウンでの雇用は移転前の倍の約5,700人に達し、本社の改築のために1億㌦以上の投資を実施したという。そして、2016年にはAT&Tがダラスのダウンタウンから移転するという噂があったが、今回の発表によると、AT&Tはダラスのタウンタウンに留まり、それどころか更に多くの資金を投じ、ダラス市と共同で、AT&T Discovery Districtという一般開放された商業スペースを整備することを計画しているという。

積極的なM&Aを続けるとともに、地元ダラスへの貢献も忘れない巨大企業AT&Tの今後に注目したい。

 

テキサス在住経験者がマクドナルドのテキサスバーガーを食べてみた

今日本では、日本マクドナルド創立45周年を記念して再発売されたテキサスバーガーが話題になっている。当ブログでは、実際のテキサス州のバーガーを食べ歩き、日本未進出のテキサスのバーガーレストランを何度か紹介してきており、テキサスのバーガーには詳しいブログという自負がある。そこで、日本の「テキサスバーガー」がどれほどのものか、実際にマクドナルドを訪問してみた。

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日本でのマクドナルドと言えば、過去数年の一連の不祥事で客足が遠のき、業績の停滞が続いているという印象だったが、いざ訪問してみると、若者を中心に多くの顧客でにぎわっており、やはり話題のテキサスバーガーを注文している人が多い様だ。早速、筆者もテキサスバーガーセット(Mセット 790円)を注文してみる。少なくともマクドナルドにしては高めの価格設定はテキサス的とは言えそうだ。そして、しばらくして出てきたのがこのバーガーである。

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なんとテキサスバーガーを包んだ箱の上面には、TEXASの文字の上に、テキサスの象徴である一つ星(ローンスター)が!この星がローンスターであることを認識している日本人がどれだけいるかはわからないが、それでもローンスターを箱にプリントした日本マクドナルドの心意気には感服する。

それでは、肝心の中身のバーガーを見てみよう。

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バンズは三段になっており、一段目と二段目の間にはベーコンとフライドオニオンが、二段目と三段目の間にはビーフパティとチーズが収まっている。まず目につくのは、日本のバーガーにしては特大のパティで、1/4ポンド(通常のパティの2.5倍)だそうだ。以前当ブログで紹介したテキサス州の人気バーガーレストランであるFuddruckers(ファドラッカーズ)では、基本サイズが1/3、1/2、2/3ポンドの三種類であり、それと比べれば必ずしも大きいとは言えないが、Everything is bigger in Texasの精神には沿っているバーガーだと思う。

テキサスバーガーがテキサスらしさを出そうとしているもう一つの特徴は食べてみるとわかる。素材を引き出すソースとしては、上部の具材にはバーベキューソースが、下部の具材には粒マスタードレリッシュがかかっている。バーベキューソースはその名の通り、テキサス州の代表的料理の一つであるテキサスバーベキューにかけるソースだが、テキサス州ではバーベキューをパンで挟んでサンドイッチにすることはあっても、ビーフパティの上にバーベキューソースをかけることはない。甘辛いバーベキューソースはビーフパティとはあまり合っていない気がする。

そしてもう一つの違和感は野菜の具材が見当たらないこと。その理由について、日本マクドナルドが運営しているマガジン「バーガーラブ」の、開発者が語る 「テキサスバーガー」誕生の舞台裏という記事を読んで衝撃を受けた。開発者としてはバーガーに生野菜を入れないことで、「とことんテキサスのイメージを引き出した」とのことで、そのテキサスのイメージとは砂漠や荒野のイメージだという。開発者としては、そうした砂漠や荒野をかけるカウボーイのワイルドさや力強さをイメージしたということだし、日本人のテキサスに対するイメージが砂漠や荒野ということも否定しないが、テキサス在住経験者としては複雑な思いだ。

本当のテキサス州のバーガーにももちろん、レタスやトマト、オニオンという野菜は入っているし、最近の日本と同じく地産地消でテキサス州で採れた野菜にこだわっているお店も多い。また、テキサス州のバーガーと言えば、唐辛子の一種であるハラペーニョのピクルスによる辛さが、バーガー全体の味を引き締める重要な要素だ。それを「生野菜を入れないことでテキサスらしい」と言ってしまうのはどうだろう。開発者の方々はテキサス州での現地調査はしたのだろうか。

日本マクドナルドのテキサスバーガー、テキサス州での経験を忘れて、一つのバーガーとして捉えれば、個性的ではあると思うけれど、いつか本当のテキサス州のバーガーレストランが日本に進出してほしいとは思わされた味ではあった。

↓テキサス州を代表するバーガー、Fuddruckers(ファドラッカーズ)の記事はこちら

日本未進出のテキサス州のこだわりハンバーガー① Fuddruckers