ヒューストンにアートをもたらした女性とメニル・コレクション

アメリカの私営美術館を聞いて読者の皆様は何をイメージするだろうか。ニューヨークのメトロポリタン美術館だろうか。それとも、ロサンゼルスのゲティ美術館だろうか。

ことアートに関しては日本での知名度の低い我らがテキサス州ヒューストンであるが、実はヒューストンにも私営で運営され、メトロポリタンやゲティ美術館同様、入場料は無料で誰にでも開かれた美術館がある。それがメニル・コレクションである。

https://www.menil.org/

全米で最も都市計画が欠如した都市として知られ、雑然としたヒューストンの街並みの中、そこだけはヨーロッパを思わせる建物が並ぶ上品なエリア、ミュージアム・ディストリクトには、ヒューストンが誇る美術館や博物館が立ち並んでいる。その一角に静かに佇むメニル・コレクションは、20世紀のヒューストン随一のアート収集家でフィランソロピストでもあったドミニク・デ・メニルとジョン・デ・メニル夫妻のコレクションを収蔵し、1987年の開館以来、無料での開放を続けている。

収蔵品としては、ルネ・マグリット、マックス・エルンストやパブロ・ピカソなどシュルレアリスムや現代美術の名作が多い一方、同じ建物の別のスペースには、ネイティブ・アメリカンやアフリカの伝統的な美術品を展示したコーナーもあり、そのコレクションは約15,000点にも上る。

それでは、ドミニク・デ・メニルは如何にしてこれだけの私営美術館を築き上げたのだろうか。ヒューストンの地元新聞であるHouston Chronicle電子版の2016年6月16日付の記事、Dominique de Menil changed Houston, one art treasure at a time(ドミニク・デ・メニルはヒューストンを変えた、ある時期におけるアートの至宝)が彼女の波乱に満ちた生涯を紹介している。

ドミニクは1908年フランスで生まれ、彼女の父は現在でも世界最大の石油サービス企業であるシュルンベルジェ社の創業者であるシュルンベルジェ兄弟の一人であった。ドミニクが22歳の時に、ヴェルサイユのダンスパーティーで後に夫となるジョン・デ・メニルと出会い、一年後に結婚。ジョンはシュルンベルジェ社の重役となり、子供にも恵まれた夫婦は順風満帆な生活を送るはずだった。しかし、第二次世界大戦が勃発し、パリがナチスに占領されると、一家はアメリカに逃げ延び、シュルンベルジェの北米本社があるヒューストンに落ち着く。

最初は慣れないアメリカでの暮らしに苦労したが、成せば成るの精神が根付くテキサスの気風を気に入った夫妻は、フランスでのアートに対する知見をもとに、美術品の収集を始める。コレクションが増えるにつれ、夫妻の情熱はヒューストンにアートのコミニュティを作ることに広がり、自身のコレクションの一部をヒューストンの美術館や大学に寄贈していく。そして、遂には、自分たち自身の美術館の設立に至るのである。

アメリカに移住後カトリックに改宗した夫妻にとって、アートと自らの信仰は深く結びついており、美術品の収集においても、深い精神性を持った作品を志向した。1997年に亡くなったドミニクはかつてこう書いている。

Through art, God constantly clears a path to our hearts.

(アートを通して、神は絶え間なく私たちの心に至る道を示すのです。)

筆者として興味深く思うのは、そうした信仰心に根差した彼女が、自身の信じるカトリック、より広くキリスト教にまつわる作品だけでなく、ネイティブ・アメリカンやアフリカの伝統的美術品にも、人間の根源的な精神性を見出し、充実したコレクションを形成したことだ。以前このブログでも紹介したが、夫妻がアメリカの抽象表現主義の大家であるマーク・ロスコに依頼して建造し、メニル・コレクションに隣接するロスコ・チャペルも、宗教を問わないチャペルとして万人に開かれている。

↓ロスコ・チャペルについて以前書いた記事はこちら

画家マーク・ロスコがヒューストンで到達した極致ーロスコ・チャペル

アメリカでも最も人種や民族的に多様性に富んだ都市の一つであるヒューストン。その都市でドミニク・デ・メニルが死後20年程が経った今でも多くの人々から尊敬され、メニル・コレクションには絶え間なく人が訪れる理由は、苦難の人生を経験した彼女だからこそ、特定の宗教の内に閉じることのない、広い視野に立った精神性を持っていたからだと思う。

↓下の写真はメニル・コレクションの展示品の前で行われていた無料コンサート

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惨劇から50年を経て―テキサスの大学で銃の所持が合法化

最近日本でも、アメリカでの銃にまつわる事件を見ない週はないと思える程、警官による黒人射殺事件やその報復としての警官銃撃事件が多発しているが、アメリカ南部テキサス州では8月1日から、銃撃事件を増やしかねない法律が施行された。テキサス州ヒューストンの地元新聞Houston Chronicle電子版の8月1日付の記事Guns are allowed on Texas college campuses. Now what?(銃はテキサスの大学のキャンパスで許可された。そして何が起きる?)によると、今月からテキサスの公立大学の構内で誰でも銃を所持することが合法化された。期せずして、2016年8月1日というのは、大学での銃所持に関してテキサスの人々の記憶に残る惨劇から50年後であり、それがこの法律に関する論争を劇化させている。

今から50年前の1966年8月1日、元海兵隊員のチャールズ・ウィットマンは、テキサスで最も有名な大学であるオースティンのテキサス大学(University of Texas)で、当時一般公開されていた時計塔の展望台に登っていった。307フィート(約94メートル)ある時計塔の展望台に着いた彼は、突如としてライフルを取り出し、眼下に見える人々を狙撃し始めた。海兵隊で射撃兵だった彼の銃口は90分で15人を殺害し、32人を負傷させるに至る。後になって判明したことでは、彼は脳腫瘍によって、感情のコントロールが困難になっていたのだ。

但し、銃口を向けられた人々もただ黙って撃たれていたわけではない。当時、テキサスの公立大学では銃の所持が合法化されていたため、テキサス大学の学生達は自らのライフルを手に取り、次々に時計塔のウィットマンを撃ち始めた。日本の大学では到底想像できない光景ではある。学生達の反撃がどの程度影響したかは不明ながら、最終的にウィットマンは駆け付けた警察官によって射殺される。

この事件は、アメリカの歴史上稀に見る大量射殺事件として記憶され、その後アメリカ全土の警察でSWATチームが広く配備されるきっかけともなった。しかし、テキサスの銃支持論者にとっては、この事件において一般の大学生たちが銃を手に取って反撃したという事実は長く、大学での銃所持を認めることの利益の実例として扱われ、今回の銃所持合法化においても、遂に生徒達が銃で自身の身を守ることができる様になったと歓迎する。

とは言え、多くの人々にとっては、大学という静かな環境で勉学に励む場において銃所持が合法化されるのは好ましいことではなく、オースティンのテキサス大学やヒューストンのヒューストン大学の教授陣の中には、今回の法律施行を理由に、テキサスを去ることを検討している人々もいるという。

アメリカで銃を巡る社会的緊張が高まる中、今回の新法施行が大学における新たな銃による惨劇のきっかけにならないことを切に願いたい。

↓下の写真はヒューストンにあるアメリカ南部で有数の私立大学であるライス大学のキャンパスの風景。テキサス州の私立大学では銃の所持が各大学の方針に委ねられており、ライス大学では構内における銃の所持が禁止されている。(Rice University Campus Carry

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【書評】『アメリカの大問題』でテキサスからアメリカの今を読む

日本人にとって一般的なアメリカのイメージと言えば、自由で民主的な先進国であり、具体的な都市で言えば、ハリウッド映画に出てくる様な華やかなニューヨークやロサンゼルスの風景が代表的だろう。しかし、一度でもアメリカの地方で生活した方であれば、そうした大都市ばかりがアメリカではなく、むしろ多くのアメリカ人はもっと素朴な生活を営み、考え方も保守的だとの感想を抱いていることと思う。2016年7月現在、そうしたアメリカの二面性が如実に現れているのが大統領選挙におけるトランプ旋風だ。

昨年の大統領選挙の初期、ドナルド・トランプ氏が共和党の大統領候補に名乗りを上げた際には、アメリカでもほとんどの人々が冗談半分の泡沫候補だと考えていて、日本のマスメディアでも、彼が有力候補として取り上げられることは無かった。メキシコ系移民やイスラム教徒といったマイノリティー、日米安保体制や銃規制を巡る彼の発言は余りにこれまでの常識から外れていて(アメリカ的に言えば、政治的に不適切(politically incorrect))で、民主主義が進んだアメリカで多くの支持を集めるとは到底考えられなかったのである。しかし彼は、地方に住む保守的な白人男性に代表される、アメリカの多くの人々が抱えていた「怒り」を見事に捕らえて一大旋風を巻き起こし、遂には共和党の大統領候補に選出されるに至った。

こうした事態は、ニューヨークやロサンゼルスの状況を見ていても理解が難しいだろう。しかし、このブログのテーマであるアメリカ南部、特にテキサス州の状況からは、予想できなかったことではない。2013年秋より2年間、ヒューストン総領事としてテキサス州のヒューストンに駐在していた高岡望氏の新書、『アメリカの大問題 百年に一度の転換点に立つ大国』(PHP新書 2016年)は、テキサス州の視点から、トランプ旋風につながるアメリカ社会の諸問題を論じてみせる。IMG_0493

著者はまえがきで「テキサスがわかれば、これからのアメリカがわかる」との持論を展開し、テキサスは21世紀になって出現し、アメリカを取り巻く環境を根本的に変え得る三つの大問題の最前線に立っていると主張する。その三つの大問題とは、貧富の差の拡大やラティーノ系人口の増加に関わる「格差と移民の問題」、銃犯罪の増加やアメリカ外交の孤立主義化に関わる「力の行使の問題」、そして、シェール革命に代表される「エネルギーの問題」である。本記事では、こうした諸問題がテキサス州とどう結びつき、そしてそれが何故アメリカ全体の大問題と言えるのか、自分自身のテキサス州での経験も交えて、具体的に紹介してみたい。

まず、格差と移民の問題。この問題は最も関連性がわかりやすいが、メキシコを中心として中米からアメリカに押し寄せるラティーノ系移民にとって、テキサス州とメキシコとの国境は最大の玄関口であり、国境に巨大な壁をメキシコの費用で作るとのトランプ氏との発言でも波紋を呼んでいる。一般的にはアメリカは移民の国であり、アメリカの歴史とは異なる国からの移民を受け入れることで国家として成熟していく過程であった。しかし、ラティーノ系移民を巡る状況が現代アメリカ、特にテキサス州で特徴的なのは、移民の増加が急激で、かつ、アメリカに移住した移民がスペイン語等の自分達の文化を維持しようとすることだ。

高岡氏によれば、テキサス州では現在、ヒスパニック系(ラティーノ系と同義、当ブログではラティーノ自身の呼称に従ってラティーノという呼称を使用している)の人口が38.6%、黒人が12.5%、アジア系が4.5%でマイノリティーの人口の合計が白人の人口よりも多くなっている。そして、ラティーノ系移民は他の州でも増加しており、米国統計局の予測によるとアメリカ全体でも2060年には、マイノリティー人口の合計が人口の過半を占めると予想されるため、現在のテキサス州を見ることは、2060年にアメリカがどの様な国になっているかのヒントになるというのである(54-56ページ)。

実際にテキサス州に住んでいても、サービス業ではラティーノ系の人々が占める割合が多く、英語では難しい注文ができなかったりする。もとより保守的なテキサスの人々にとっての、潜在的な危機感をイメージ頂けるだろうか。しかも、ラティーノ系の人々は決して社会の下層だけに甘んじているのではなく、トランプ氏のライバルであったテッド・クルーズ氏の様に、政治の中枢にも進出してくるのである。

↓以前当ブログで取り上げたテキサス州のラティーノ系政治家達の記事

テッド・クルーズとフリアン・カストロ-テキサスのラティーノ系政治家達

第二の「力の行使の問題」も当ブログでも何度も取り上げてきたが、悲しいことに最近の白人警官による黒人射殺やそれへの報復としての黒人による警官銃撃という一連の事件で、日本でも改めてアメリカにおける銃の問題が浮き彫りにされた。高岡氏も指摘しているが、これだけ銃による悲劇が多発しても、アメリカ社会で銃規制が進まないのは日本人にとって理解しにくいところだ。それどころか、テキサス州では銃を合法的に使用できる機会が拡大しており、2007年の州法改正で、自宅に加え、居住地、自動車、職場などに、不法にまたは無理やり侵入された場合は、こちらがその場から離れる必要はなく、発砲していいことになった(129ページ)。

当ブログの筆者としても、テキサスの人々をある程度理解できているつもりではあるが、普段から銃を所持するテキサスの人々が銃規制に反対する発言をする際には、価値観の相違を感じざるを得ないこともある。トランプ氏が、6月のフロリダ州での銃乱射事件に対して、「被害者達が銃で反撃していれば被害が少なかったのに」という趣旨の発言をして批判を浴びていたが、テキサスでは銃乱射事件が起きた際に、同様の発言をする人も少なくない。そして、今年1月からは、テキサス州では銃を目に見える形で所持すること(Open Carry)も合法となった。

↓同じく当ブログでも取り上げたOpen Carry合法化の記事

銃を見せながら食事したら25%引!? テキサス州で商業施設での銃のOpen Carryが合法化

そして、第三の問題が「エネルギーの問題」だ。日本企業、特にエネルギー業界に関わる方々にとって、テキサス州と言えば世界のエネルギー産業の中心というイメージが強いと思う。しかしテキサス州では20世紀の後半にかけて石油生産量の減少が進んでいたが、ご存じの通り、21世紀に入ってシェール革命が本格化し、2008年以降にアメリカの石油生産は急激に増加する。

この問題に関する高岡氏の議論で特筆すべきなのは、シェール革命によってアメリカの石油や天然ガスの生産量が増加することで、国際政治におけるロシアや中東といった他の資源国の影響力が減少し、アメリカが豊富な資源を前提とした外交という「新しい力」を獲得するということだ。そして、アメリカはその「新しい力」をもとに、従来の国内優先主義から国際関与主義に舵を切り、日本を中心とした同盟国への原油やLNGの輸出を進めている(265-270ページ)。そして、2013年以降承認されたLNGの対日輸出案件の3件のうち2件が、テキサス州を含むアメリカ南部の案件だ。

この様に、トランプ旋風に代表されるここ数年のアメリカにおける新しい動きは、テキサス州を起点に考えると理解しやすいことがわかって頂けるだろうか。アメリカと言えばニューヨークやロサンゼルスのイメージという方にこそ、ぜひ読んで頂きたい一冊だ。

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黒人のダラス警察署長デービッド・ブラウン氏の次なる戦い

7月7日、アメリカ南部テキサス州の大都市ダラスで警官が襲撃され、5人が死亡した事件から2週間が経ち、ダラスの警察署長であるデービッド・ブラウン氏は、事件の解決おいて発揮した優れたリーダーシップに加え、その壮絶な人生により世界的に有名になった。

彼の人生は既に日本のメディアでも紹介されているが、ここで改めて振り返ってみよう。彼は黒人として、サウス・ダラスのスラム街で生まれ育ち、1980年代のコカインによる街の荒廃を目の当たりにして警官になろうと決意したという。しかしその後、彼は自分の兄弟や警官としての最初の相棒を銃の事件で亡くし、更には6年前にダラスの警察署長になった直後、自分の息子が警官を銃で殺害し、別の警官に射殺されるという衝撃的な事件に直面する。しかし、彼はその悲劇を乗り越えて警察署長を続け、警官と地域住民の良好な関係を築くために「コミュニティー・ポリシング」という手法を導入し、ダラスの犯罪件数は低下する。

↓日本のメディアによる報道の例はこちら

警官銃撃事件のダラス市警察署長、銃による悲劇のキャリア 息子も失う

ここまでであれば、まさに英雄的な物語であるが、ブラウン所長には日本のメディアには報じられていない戦いが待っている。ダラスの地元新聞Dallas Morning News電子版の2016年7月18日付の記事Weary and worn, Dallas police face the end of mourning and the return of lingering problems(疲労困憊したダラス警察の喪が明け、懸案が戻ってくる)によると、事件が起こる前、ダラス警察における彼の立場は決して良好な状態ではなかった。凶悪犯罪の発生率の上昇に対して、ブラウン所長が部下の警官のスケジュールや担当業務を頻繁に変更したことで、警官達の疲労と不満が募り、警官達が組織する諸団体は昨年、二回もブラウン警察署長の辞職を要求していた。

警官達はブラウン所長が独裁的で復讐心が強く、自分の好きなことばかりやっていると考えており、多くの警官がより良い給料を求めて、テキサス北部の他の都市に去っていったという。また、世界的に称賛された「コミュニティー・ポリシング」というブラウン所長の方針も、警官が子供達とスポーツに興じている間に、街中でパトロールに当る警官の不足を引き起こしていたと批判されている。

しかし、襲撃事件はダラス警察における彼の立場を一変させた。彼は未だに論争を呼んでいるロボットによって容疑者を爆発させるという決断を行うとともに、公の場で、警察に過剰な責任が押し付けられていることを嘆き、デモの参加者に対しても、デモ行進から離れて警察に参加する様に呼びかけた。結果として、これまで彼を批判していた警察内の人々が、一斉に彼を称賛し始める。

とは言え記事は、襲撃事件の喪が明ければ、ダラス警官達のブラウン所長に対する厳しい視線が戻ってくるだろうとも指摘している。但し、ブラウン所長の味方は増えている。同じDallas Morning Newsの2016年7月22日付の記事DPD flooded with job applications since downtown ambush(ダラス警察にはダウンタウンでの襲撃以来、仕事の応募が押し寄せている)によると、事件後の二週間でダラス警察への仕事の応募は前月の同じ期間の3倍となったという。ブラウン所長はかつて、ダラスにおける人種間の緊張を改善する方法について聞かれてこう答えている。

“I’ve been black a long time.” (私は長い間黒人であり続けているんだ。)

“It’s my normal to live in a society that’s had a long history of racial strife. We’re in a much better place than we were when I was a young man here, but we have much work to do, particularly in our profession. Leaders in my position need to put their careers on the line to make sure we do things right.”

(私にとって人種間の長い闘争の歴史を抱えた社会に住むことは普通のことだ。我々は私が若者だった時と比べてはるかに良い状況にあるが、特に我々の職業において、まだやるべきことは多い。私の役職につくリーダー達は、自分達が正しいことをしているかを確認する道のりの中に自らのキャリアを置かなければならない。)

ここからは私見だが、白人警官が黒人を射殺したり、暴行を加える事件が頻発し、黒人の側が白人警官を射殺する事件まで続く中、殺害されたダラスの警官のトップが黒人だという事実は、一連の事件を白人対黒人の人種問題という構図に単純化できない重要な要素となっている。しかも、ブラウン所長は貧富の差や、麻薬問題、銃犯罪の増加やそれに対する規制の問題という、現代アメリカが抱える多くの問題を自らの人生を通じて体現してきた人物だ。彼の発するメッセージに今後も注目していきたい。

写真はダラスで最も有名な銃撃事件、1963年のケネディ大統領の暗殺の現場。現在は銃撃現場が博物館となっている。

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一連の黒人射殺事件に対してビヨンセは愛と正義を訴え続ける

アメリカ南部を中心にこの数週間で起きた黒人を巡る一連の事件は、アメリカに限らず日本を含めて全世界で連日大きく報道された。日本においては、アメリカにおける人種問題が如何に根深いかを多くの日本人に印象づけたことだろう。筆者は当ブログで日本にはなかなか伝わらないアメリカ南部の現在を伝えようとしてきたが、正直なところ、今回の事件は私の想像を大きく超えていた。では、このブログでは何が伝えられるだろうか?

事件についての分析は既に多くの専門家が行っているためここでは避け、このブログではテキサス州ヒューストン出身で、黒人差別に対して最近、積極的なアピールを繰り返しているアメリカを代表する歌姫ビヨンセが、今回の事件にどう対応したかに注目してみたい。私達の世代にとって、最も身近な黒人アメリカ人である彼女の行動が、一連の事件の背景となっているアメリカ社会が抱える問題を理解するヒントになると思うからだ。

↓ビヨンセについて書いた以前の記事はこちら

アメリカ南部の歌姫ビヨンセのニューアルバムLemonadeが持つメッセージ

まず、事件の経緯を振り返ってみよう。事の始まりは、7月5日、ルイジアナ州の州都バトンルージュで、アルトン・スターリング氏という黒人の男性が白人警官によって射殺されたことに始まる。射殺の目撃者達はその現場を動画で撮影し、インターネットに投稿された動画は白人警官達が不必要に彼を射殺している様に見え、全米で大きな波紋を呼んだ。そして、翌7月6日、今度はミネソタ州で、交通違反で呼び止められた黒人のフィランド・キャスティル氏が白人警官に射殺され、同乗していた彼の恋人がフェイスブックにその一部始終を動画で公開した。事ここに至り、黒人達の憤りは頂点に達する。

そうした状況に対して、ビヨンセも敏感に反応し、7月7日の時点で自身のホームページにFreedomと題した文章を発表する。その文章は次の様な強い言葉で始まる。

“We are sick and tired of the killing of young men and women in our communities. It is up to us to take a stand and demand that they ‘STOP KILLING US.”

(私達はコミュニティの中で若い男女が殺されるのにすっかりうんざりしているわ。私達次第で、私達は立ち上がり、彼らが「私達を殺すのを止める」様に要求することができるのよ。)

といっても、ビヨンセは暴力的な行動を推奨しているわけではない。文章の最後を彼女は次の様に締めくくり、各地の議会に連絡するためのリンクを張っている。

“Click in to contact the politicians and legislators in your area. Your voice will be heard.”

(あなたの地域の政治家や議員に連絡するためにクリックして。あなたの声は聞き届けられるわ。)

また、この文章が黒人差別だけに限った狭い訴えにならず、全てのマイノリティーに向けたメッセージとなる様にも配慮している。

“This is a human right. No matter your race, gender and sexual orientation. This is a fight for anyone who feels marginalized, who is struggling for freedom and human rights”.

((警官によって命を失われないこと)は、人種やジェンダーや性的志向に関わらず一つの人権なのよ。これは疎外されていると感じている全ての人々、自由と人権を求めて苦闘している人々のための戦いなのよ。)

しかし、ご存じの通り、事態は予想外の悪化を見せる。7日夜になって、ビヨンセの地元テキサス州の州都ダラスで、黒人射殺に抗議する平和的なデモ行進が行われていた中、最近の黒人射殺事件に腹を立てたという元軍人の黒人の男性が、白人警官を銃撃し、5人の警官が死亡した。

こうした時ビヨンセの様な影響力のある人物の発言はバッシングの対象にもなる。ワシントンポスト紙の2016年7月10日付の記事Beyonce is a powerful voice for Black Lives Matter. Some people hate her for it.(ビヨンセは”Black Lives Matter”運動にとって強力な発信者だが、それを理由に彼女を嫌うものもいる)によると、一部の保守的なメディアは、上記の文章を含むビヨンセの発言が警官に対する暴力を助長したと非難しているという。

ビヨンセはそうした非難に対して自身のインスタグラムで動画によるメッセージを発表した。動画は白黒の映像で、テキサス州旗の映像と交互に、射殺された警官達の名前が映し出されていく。また、動画にはビヨンセによる下記のメッセージが添えられている。

Rest in peace to the officers whose lives were senselessly taken yesterday in Dallas. I am praying for a full recovery of the seven others injured. No violence will create peace. Every human life is valuable. We must be the solution. Every human being has the right to gather in peaceful protest without suffering more unnecessary violence. To effect change we must show love in the face of hate and peace in the face of violence.

(昨日ダラスで不合理に命を奪われた警官の皆様のご冥福をお祈りします。また私は負傷した他の7名の方々の完全な回復を祈っています。いかなる暴力も平和を生み出しません。全ての人間の命は価値のあるものです。私達は(人種問題を)解決しなければなりません。全ての人類はこれ以上の不必要な暴力に苦しむことなく、平和的な抗議のために集まる権利を持っています。変化をもたらすために、私達は憎しみに対して愛を、暴力に対して平和を示さなければなりません。)

デスティニー・チャイルドの時代から、長年にわたってアメリカのポップスの頂点で活躍してきた歌姫が、自身のキャリアを危険にさらしてまで、自らが信じる正義に根差した積極的な発言を繰り返している。時に現実は、私達の、そしてビヨンセ自身の想像をも超える。しかしぶれることなく発言を続ける彼女のメッセージがアメリカ社会にどう影響しうるか、引き続き注目していきたい。

 

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Brexitの次はTexit!? テキサスの独立が一部で盛り上がる

EUからの離脱への投票が多数を占めたイギリスの国民投票は現在もイギリスの国内外で大きな波紋を呼んでいる。イギリスの離脱はBrexitと呼ばれていたが、アメリカ南部テキサス州ではBrexitならぬTexitが一部で盛り上がっている。

ツイッターではテキサスのアメリカ合衆国からの離脱を意味する#Texitと呼ばれるハッシュタグが増え、ヒューストンの地元新聞Houston Chronicleの2016年6月27日付の記事Trump says Texas won’t secede if he’s president(トランプは自分が大統領になればテキサスは離脱しないだろうと言った)によれば、そうした動きを受けて、共和党の大統領候補であるドナルド・トランプ氏までが、「自分が大統領になればテキサスは離脱しないだろう、なぜならテキサスの人々は自分のことが好きだからだ」、と発言したという。

テキサスの独立への動きがイギリスのEU離脱を受けたネット上の一部の盛り上がりのみであれば、このブログで取り上げることはしない。しかし、そうした動きは決して今に始まったことではない。

1990年代後半よりダニエル・ミラー氏を中心としたTexas Nationalist Movementと呼ばれる組織がテキサス独立を目指した運動を活発化し、2013年初めには10万人以上の署名を集めた上で、ホワイトハウスに対してオンライン上での請願をするに至った。2013年1月13日付のNY Timesの記事White House rejects petitions to secede, but Texans fight on(ホワイトハウスは離脱を求める請願を却下した、しかしテキサスの人々は戦い続ける)によると、ホワイトハウス側も、結論はテキサス独立を否定するものとは言え、同請願に対して正式な回答をしている。

もちろん、Texas Nationalist Movementの主張は、テキサスにおいてもごく一部の人々に支持されているのみである。しかし、10万人以上の署名を集め、オバマ大統領の民主党政権も共和党のドナルド・トランプ氏も無視できない存在になっている運動が具体的に何を主張しているのかを見ることは、現在のテキサス社会、ひいてはアメリカ社会を考える上で参考になるだろう。

Texas Nationalist Movementのウェブサイトによると、テキサス独立を求める署名は現在では26万票以上に達し、テキサス独立が必要な理由として次のポイントを挙げている。

・テキサスはテキサス内部で完結する政府を得ることになる。

・テキサス独立はテキサスの人々が欲しているものだ。

・テキサスは自分達で選んだ政府を得る。

・無制限の支出や負債という失敗をした連邦の政策から離れる。

・国境を安全にし、まともな移民政策を作る。

・実体価値に基づく健全な財政政策を実施する。

・テキサスとアメリカ合衆国は政治的、文化的、経済的に異なる道を歩んでいる。

・独立はワシントンの官僚達がテキサスの人々が苦労して稼いだ資金を吸い上げることに終わりを告げる。

独立の同語反復にしかなっていない様なものもあるが、財政や移民に関するいくつかのポイントはドナルド・トランプ氏にも通ずるものがある。その意味では、もし11月の大統領選挙でヒラリー・クリントン氏が当選し、民主党政権が続くことになれば、テキサス独立運動も更に勢いを増すことが予想される。

テキサスの道路を運転していると、アメリカの国旗と同じ高さで、テキサスの州旗であるLone Starが高々と掲げられているが、こうした風景はアメリカの他の州では見られないものだ。また、テキサスの人々は良く、テキサス州はアメリカの州の中で唯一、法的にアメリカ合衆国から離脱する権利を有していると口にする。イギリスのEU離脱も、トランプ氏の躍進も初めは多くの人々が冗談だと思っていたことだった。その点、テキサスの人々が元から有する独立心が何らかのきっかけで大きな政治的動きにつながり得るか、引き続き注目していきたい。

なお、上に引用したNY Timesの記事によると、南北戦争後の1869年に出されたテキサス対ホワイト事件での最高裁判決では、アメリカ合衆国の個々の州は合衆国から離脱する権利を有しないと述べられており、2013年のTexas Nationalist Movementによる請願に対するホワイトハウスの回答にもその判決が引用されている。こうした判例をテキサスの人々がどう捉えているのかも合わせて調べていきたい。

写真はテキサス独立の象徴であるサンジャシントのモニュメントと州の名前を冠した戦艦テキサス。IMG_0124

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アメリカ最高裁が中絶を制限するテキサス州法を無効と判決した経緯

久しぶりにテキサス州の話題が日本のニュースに登場したと思ったら、またもや、テキサスが如何に保守的かを示すような話題だった。

米最高裁、中絶制限の州法「無効」 女性の権利支持

この判決は、民主党のヒラリー・クリントン氏が早速ツイッターで「テキサスと全米の女性の勝利だ」とツイートするなど、テキサス州としてのローカルな話題に留まらず、11月のアメリカ大統領選挙の一つの争点ともなりそうな勢いだ。実際、アメリカ南部ではテキサスに限らず、他の州でも同様の中絶制限法の無効を求める訴訟が相次いでおり、今回の最高裁の判決はそうした同様の訴訟に影響を与えることは間違いない。

しかし、今回テキサス州の訴訟が最高裁による憲法判断まで至ったのは、中絶賛成派と反対派の間での長い論争の歴史がある。我らがヒューストンの地元新聞であるHouston Chronicleの6月27日の記事U.S. Supreme Court strikes down Texas abortion rules in landmark ruling(アメリカ最高裁は画期的な判決によってテキサスの中絶法を無効にした)に詳しく書かれているのをまとめてみよう。

事の経緯はまず2013年1月、当時のテキサス州知事で今回の大統領選挙でも序盤に共和党から立候補していたリック・ペリー氏が「いかなる段階の中絶も過去の遺物とする(to make abortion at any stage a thing of the past)」と発言したことから始まる。当時のテキサス州では、40以上の中絶クリニックが開業していた。

リック・ペリー氏の熱意はHouse Bill 2と呼ばれる中絶制限法案に結実し、今回の最高裁の判決において問題とされた近隣の病院における医師の入院特権(Admitting Privileges)の必要性やクリニック外科手術の設備に関する厳しい規制に加え、妊娠20週以降の全ての中絶の禁止や中絶ピルの使用制限などが含まれていた。それに対して、民主党の上院議員で女性の権利の熱心な擁護者でもあったウェンディー・デービス氏は、スニーカーを履いてテキサス州議会で11時間に渡るフィリバスター(長時間に渡る演説を行い意図的に議会の進行を遅らせること)を行い、全米レベルで有名になった。

しかし、ウェンディ―・デービス氏の努力もむなしく、中絶制限法は可決した。テキサス州の小規模なクリニックにとって、入院特権を確保することや厳格な外科手術の設備を備えることは難しく、40以上あった中絶クリニックは現在では20以下にまで減少している。

そうした状況に対して、女性の権利を擁護する団体は中絶法の無効を求める二つの訴訟を起こした。テキサス州オースティンの一審では二回とも無効判決を得るものの、ニューオーリンズの控訴審では二回とも退けられる。そして、最高裁も最初は審理を拒否したものの、最終的には事件を受理し、今回の無効判決に至った。

但し今回の最高裁の判決はあくまでも、テキサス州法における入院特権の取得や厳しい外科手術施設の整備などが小規模なクリニックに閉鎖を迫る過剰な負担(undue burden)であるとして無効と判断されたものであり、それ以外のテキサス中絶法は引き続き有効となっている。更に残された中絶クリニックはテキサス州の中で大都市にしかなく、テキサス州の地方に住み中絶を望む女性は数日間家を空けることを強いられる。

ともあれ、女性団体は今回の判決を喜んでおり、特に議会でフィリバスターを決行したウェンディー・デービス氏は涙を流しながら、「本件はテキサスの女性にとって、そして全米の女性にとって素晴らしいニュースであり、かつてテキサス中の女性が有していた中絶クリニックへのアクセスを取り戻すには数か月かかるだろう」と語っている。

一方で中絶反対派は強硬な姿勢を崩しておらず、特にリック・ペリー前テキサス州知事に続いて、共和党選出で保守派で知られるグレッグ・アボット現テキサス州知事は「この決定は女性の健康と安全を保護するための州の立法権を脅かし、より多くの無垢な命が失われる危険をもたらす」との声明を出している。

そうした対立もあり、今回の最高裁判決が実際にテキサス州の中絶医療の現場をどう変えるのかは、今後の全米レベルでの類似の運動にも影響を及ぼすことは間違いなく、当ブログでも引き続き注目していきたい。

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テキサス独立に対するメキシコ人の認識はアメリカ人とこんなに違う

ヒューストンの東の郊外、ラ・ポルテと呼ばれる街にアメリカの首都ワシントンのワシントン・モニュメントに似たオベリスクがそびえ立っている。1836年にテキサスのメキシコからの独立を決定づけたサンジャシントの戦いを記念したモニュメントだ。モニュメントの最上部には、テキサス州の象徴であるローンスター(一つ星)の像が堂々と鎮座し、テキサスの人々はこのモニュメントはワシントン・モニュメントよりもローンスターの分だけ高いのだと誇らしく語る。(実際、サンジャシント・モニュメントは173m、ワシントン・モニュメントは169mでローンスターの像の分だけ高い。)IMG_0213

サンジャシント・モニュメントのウェブサイトはこちら↓

http://www.sanjacinto-museum.org/Monument/

そんな誇り高きモニュメントが記念するテキサス独立のあらましはこうだ。

19世紀前半、1819年恐慌に端を発する不況に苦しむアメリカにおいて、アメリカの実業家でスペイン臣民だったモーゼス・オースティンは、当時はスペイン領であったテキサスへアメリカ人入植者を呼ぶ計画を立て、スペインの承認を得る。しかし、時を同じくしてアグスティン・デ・イトゥルビデとサンタ・アナに率いられたメキシコの反乱軍は1821年にスペインからのメキシコの独立を勝ち取り、テキサスの新しい領有者となる。

同年、モーゼス・オースティンは志半ばで死亡し、彼の遺志を継いだ息子のスティーブン・オースティン(テキサス州の州都であるオースティンの由縁となっている人物)は、父親がスペイン政府から得ていたテキサスにおける権利をメキシコ政府との間でも保持すべく奔走し、結果として多くのアメリカ人がテキサス州に入植した。しかし、アメリカ人の急激な入植はメキシコ側の不信を生み、特に1834年にサンタ・アナがメキシコにおいて中央集権的な独裁者となってからはその対立は先鋭化する。

そして、1835年5月、アメリカでテキサス革命(Texas Revolution)と呼ばれる戦争が、テキサスのアメリカ人入植者とメキシコとの間で始まった。当初はテキサス軍が優勢であったが、メキシコの独裁者であるサンタ・アナ自身が反乱鎮圧のためにテキサス入りしてからはメキシコ軍有利に変わり、特にサン・アントニオのアラモ砦でテキサス軍の守備隊全員が殺害された、有名な「アラモの戦い」に至って、テキサス軍の不利は明確になる。

しかし、メキシコ軍はメキシコからの長距離の進軍により疲労の限界に来ていた。現在モニュメントがそびえ立つサンジャシントでメキシコ軍と対峙したテキサス軍は、サム・ヒューストン将軍(ヒューストンの由縁となっている人物)の指揮のもと、起死回生の反撃を行い、見事メキシコ軍を撃破、サンタ・アナを捕らえることに成功する。結果として、1836年5月、テキサスはテキサス共和国としてメキシコから独立し、更に1845年、テキサス共和国はアメリカ合衆国に加盟する。

と、ここまでアメリカ側から来たテキサス革命の歴史を見てきたが、一方で同じ歴史上の出来事を現代のメキシコ人はどう捉えているのだろう。ヒューストンの地元新聞であるHouston Chronicleの2016年3月1日付の記事What the Texas Revolution looked like to Mexicans(テキサス革命はメキシコ人にどの様に見えたか)にはメキシコ人側の全く違った見方が述べられている。

同記事によると、テキサス革命はInsurrección de los texanos(スペイン語でテキサスのアメリカ人入植者による反乱の意味)と捉えられている。テキサス革命はテキサスに来て間もないアメリカ人入植者が組織した民兵軍が引き起こした反乱であり、そしてその反乱は帝国主義的な膨張政策の初期にあったアメリカ合衆国政府によって支援されていたというのだ。更に、スティーブン・オースティンが民兵の反乱軍を組織したのは、奴隷による大規模プランテーションを実現するため、メキシコでは禁止されていた奴隷の保有を合法化するためであったとまで主張する。

アメリカ人とメキシコ人、どちらの主張が正しいかを判断することは本記事の目的ではない。本記事で読者の皆様に伝えたいのは、一つの歴史的出来事を巡って異なる見方が存在すること、そして、本件について言えば、そうした見方の対立は将来的に大きな問題となりうるということだ。

というのはこの数十年、テキサス州には合法・非合法を含めて、メキシコを中心とした多くのラティーノ系移民が移住している。我らがヒューストンでは、ラティーノ系人口がヒューストン全体の人口の中でのマジョリティとなっている程だ。とは言え、ラティーノ系人口は経済的にも政治的にもまだまだマイノリティーではある。しかし、以前このブログで紹介したフリアン・カストロ氏の様に、ラティーノ系の政治家が連邦レベルや州レベルで政治の表舞台に登場した時、異なる歴史解釈をめぐる相互理解がより重要となるのは間違いないだろう。

テキサスのラティーノ系の二大政治家であるテッド・クルーズ氏とフリアン・カストロ氏についての記事はこちら↓

テッド・クルーズとフリアン・カストロ-テキサスのラティーノ系政治家達

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石油の街ヒューストンならではの石油にまつわる博物館

古今東西、世界には多くの博物館がある。大英博物館の様に世界中からありとあらゆる事物を収集した場所もあれば、鉄道博物館という様に、特定の事物に特化した場所もある。そして、石油ガス産業が主要産業であるテキサス州ヒューストンには、石油ガス産業に関する博物館がいくつもあるのだ。日本人には馴染みの薄い石油ガス産業の世界をわかりやすく紹介する石油ガスの博物館をここで紹介してみたい。

まずは、ヒューストン最大の博物館であるHouston Museum of Natural Science(ヒューストン自然科学博物館)。ここは、一般には全米最大規模の恐竜の化石を所蔵することでも有名だが、この博物館の一角にWiess Energy Hallと呼ばれる石油ガス産業に関する展示を集めた大きなスペースがある。

展示としては石油ガス産業の上流から下流への流れに沿って続いていて、石油ができる仕組み、石油の探鉱(Exploration)、掘削(Drilling)、生産(Production)、加工(Process)、輸送(Transportation)など、石油ガス産業のそれぞれの工程に関する最新技術を、豊富な実物の展示や作りこまれた映像を通して学ぶことができる。2013092311412841a

201309231141272f0なかでも目玉は、Geovator(ジオベーター)と呼ばれるアトラクションで、約2,300メートルの地下にある石油の層まで、実際に井戸の中を通って降りていく様な気分になり、石油掘削と生産の現場を疑似体験することができる。映像や音響は博物館とは思えない程凝っていて、特に米国のシェール革命を可能にした最新技術Fracking(水圧破砕)を疑似体験できるのは、石油ガス産業に携わる者にはたまらない。

次に紹介するのは、Ocean Star Offshore Drilling Rig and Museum。ここはヒューストン中心部から南東に一時間程車を走らせたガルベストンという街にあり、目の前にはメキシコ湾が広がっている。メキシコ湾は世界中でも、海上油田や海上ガス田が多いことで知られ、石油ガス産業が発達するにつれて、メキシコ湾の中でもより深い場所(Deepwaterと呼ばれる)にある石油ガスを掘るために、リグと呼ばれる掘削用のやぐらが進化してきた。

ここはそんな海上用のリグの詳細やリグの進化の歴史が学べる、おそらく世界でも唯一の博物館であり、リグに関する展示物は数多い。何しろ博物館の外側に、実際に海上掘削に使用されたリグがそのまま展示されているのだ。かなりマニアックな博物館ではあるが、ガルベストンではここ以外にも修理中の巨大なリグをそこかしこに見ることができ、自然にリグについて興味が沸いてくると思う。

写真は修理中のリグとその近くに停泊中のカリブ海クルーズのクルーズ船。こんな景色が見られるのもガルベストンならではだろう。IMG_0272

そして、最後に紹介したいのは、次の写真に写っている博物館。201311171503555f7

と、読者の皆様はただの工場が写っているだけだと思っただろうが、ヒューストンはテキサス州各地で生産される石油や天然ガスを背景に、世界最大の石油化学プラントの集積地となっている。特に、ヒューストンの東の郊外、Houston Ship Channelと呼ばれる石油タンカーが通る運河が内陸まで入り組んでいるエリアに巨大なプラントが多く、その辺りを運転するだけでも、一面に広がる石化プラント群に圧倒される。更に、一般人でも意外と近くまで接近することができるので、石油を精製するプラントが吐き出すフレアと呼ばれる炎さえ見ることができるのだ。石油ガス産業を理解するための博物館という意味では、この石化プラント群も一つの博物館と考えることができると思う。2013111715040073c

ヒューストンの観光地というと何といってもNASAが有名だが、石油ガスの街であるヒューストンを訪問した際は、ぜひこうした博物館に足を運び、石油ガス産業の持つダイナミズムを実感して頂きたい。

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【書評】『沈みゆく大国アメリカ』に見るアメリカ医療保険制度の複雑さ

アメリカに来て最も驚いたことの一つはアメリカの医療保険制度の複雑さだ。まず、日本の様に健康保険の保険証があればどの病院でも自由に診察が受けられるというわけではない。医療保険は民間の保険会社がそれぞれ違った条件の保険を提供しており、自分が受診する医療機関がその保険でカバーされているかを調べなければいけない。

めでたく保険が適用されることがわかり受診ができても、医療費の支払いも一苦労だ。最初の窓口負担(Copay)は少額だが、それで安心していると、数か月後の忘れた頃に保険会社から保険金額の計算書が送られてくる。その計算式は複雑だが、重要なのは自己免責額(Deductible)と患者負担額(Coinsurance)の合計に、最初の窓口負担を合算したものが自己負担の合計であり、その金額は日本人の感覚からするとかなり高額だ。

そんなただでさえ複雑な医療保険制度に対して、2010年からはオバマ大統領の肝いりの政策である医療保険制度改革法(通称オバマケア)が加わり、ここ数年、少しずつオバマケアの諸制度が施行されていく中で、日本人の在住者にとってアメリカの医療保険制度は更に複雑怪奇になっていった。

そうしたアメリカの医療保険制度の最新の状況を概観できる日本語の入門書として、堤 未果氏著の「沈みゆく大国アメリカ」(集英社新書 2014年)は貴重な書籍だ。本書では、アメリカ現地の様々な関係者の証言を紹介しながら、アメリカの医療保険制度、そして、それをオバマケアがどう変えようとしているのかを明らかにしていく。

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オバマケアの要点は次のいくつかの点にまとめられる。まず、(1)医療保険はこれまでの様に任意加入性ではなく、国民全員に加入義務があり、無保険者には罰金が科せられる。かつ、(2)低所得者の無保険者達が実際に保険に加入できる様、最貧困層の公的保険であるメディケイドの適用枠が拡大される。更に、(3)保険会社が過去の病歴で保険加入を拒否したり、加入者が病気になったことで保険を途中解約することは違法となる。同時に、(4)保険加入者の自己負担額には上限が加えられる。そして、その財源は製薬会社や医療保険会社への増税や、高齢者向け公的保険であるメディケアの改革によって賄われるという。

これだけ見ると大きな改善に思われ、実際にオバマケア成立時にはアメリカ国民の多くが熱狂的に歓迎したが、堤氏によるとその後、国民にとっては多くの想定外の事実が明らかになったという。

例えば、「無保険者に保険を!」とのオバマケアのスローガンの中核であった低所得者層へのメディケイド枠拡大については、メディケイドに対する医療報酬が低いために、メディケイド患者の診療を拒否する病院が続出しているという。それに、メディケイドでは診療代や薬代は保険でカバーされるが、製薬会社が新薬の価格を釣り上げたために、実際に負担をする地方自治体や、その財源である税金を納める中流以上の国民は、負担増に悲鳴を上げているという。

また、病歴による加入拒否が廃止されて喜んだHIV患者や、自己負担額の上限設定に涙した難病で医療破産寸前の患者も、自らが必要とする薬がオバマケアの処方薬リストに含まれていないことを知って愕然としたという。

こうした状況を踏まえて堤氏は、オバマケアは貧困層のための医療制度改革ではなく、医療保険会社や製薬会社が自らに莫大な利益をもたらすために仕掛けた新たなマネーゲームであると断ずる。例えば、日本と違って政府が薬価交渉権を持たず、製薬会社が自由に新薬の価格を決められるアメリカでは、オバマケアの様に製薬会社への増税に基づく医療制度改革を行っても、製薬会社が新薬の値段を釣り上げ、増税を遥かに上回る利益を上げることができるのだ。医療保険会社にしても、オバマケアで定められた条件を満たす代わりに、保険料額の値上げを実施できることで増税の不利益は薄い。更に堤氏は、オバマケア法案自体も、元保険会社の重役が回転ドアによって政府の内部に入り込んで書き上げたものだとまで主張する。

結果として、オバマケアが救うはずだった中流以下のアメリカ国民はもちろん、過剰な報告義務や医療行為上の制約を課せられた現場の医師達も疲弊してしまっているという。

堤氏が更に問題にするのは、そんな現状をアメリカ国民の多くが理解していないことだ。大半のアメリカ人は医療保険制度の仕組み自体も正確には知らないという。確かに私自身も共和党支持者の多いアメリカ南部で、「オバマケアは社会主義だ」など、オバマケアへの不満は何度も耳にしてきたが、その実、具体的に何が問題なのかと問うと、明確な答えは返ってこなかった。そうしたオバマ大統領の政策に対する漠然とした怒りが、現在のトランプ氏やサンダース氏へのポピュリズム的な支持にもつながっているのだと思う。

その点、本書を読んで、漸くアメリカ医療保険制度をめぐる動きの全貌が俯瞰でき、ひいては、医療保険制度に限らず、一部のエリート層がアメリカ社会をどう変えたいと思っており、それに対して中流以下のアメリカ人の不満がどの様に高まっているかについても、理解を深めることができた。

しかし、オバマケアが医療保険会社や製薬会社が莫大な利益を上げるために作られた法律だとする著者の主張には疑問も残る。これまで何人もの指導者が無しえなかった国民皆保険というシステムをまがいなりにも成立させたこと自体はオバマケアの大きな功績だと思うし、今後、医療保険会社や製薬会社に負担増を強いる追加の改革次第では、低所得者層に実利をもたらす運用も可能かもしれない。ロビイズムが盛んなアメリカの政治の舞台で、最初から理想通りの改革を成し遂げることは困難だろう。

また、本書には、オバマケアによってメリットを得た患者や医療関係者のインタビューが全くないのも不自然に感じられるところだ。今後、他の関連書籍も読んで多角的な理解を深めてみたい。

ともかくも、アメリカの医療保険制度の複雑さに悩まされた人にこそぜひ読んでほしい一冊だ。本書は、その医療保険制度において強者に食い物にされないために、自分で調べ考えるためのヒントになることは間違いない。

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