アメリカ南部の企業② アメリカン航空とユナイテッド航空

テキサス州はアメリカを代表する航空会社の本拠でもある。まず紹介したいのはテキサス州の大都市ダラスに隣接する都市、フォートワースに本拠を置くアメリカン航空だ。本社に隣接するダラス・フォートワース空港をハブ空港とし、米州各地やヨーロッパ、東アジアをつなぎ、2016年12月現在、総旅客運送数で航空会社世界一を誇る。

このアメリカン航空は長らく、二つのAAの文字に鷹のロゴと、「ポリッシュド・スキン」と呼ばれる金属のむき出しの塗装で親しまれていたが、2001年9.11アメリカ同時多発テロ事件で機体が使用されたのを機に経営が悪化し、遂には2011年に連邦倒産法第11章(通称チャプター11)を申請し、事実上破たんする。その後再建したアメリカン航空は2013年に同業のUSエアウェイズを買収する等で拡大し、ロゴや機体のデザインも変更した。

国際線で言えば、南米向け路線に強みを持ち、ハブ空港の一つであるマイアミ国際空港からは南米各地に定期便が飛んでいる。また1998年の結成以来、航空会社連合であるワンワールドの中核となっている。

株価(ティッカーコードはAAL)は2016年、6月に20ドル台まで下落したが、12月末現在では約47ドルまで回復している。配当利回りは約0.8%と米国株としては低めだ。一方でROEは2016年9月末で124%と非常に高い。

ところで、長らくアメリカの航空会社を利用されている方であれば、テキサスの航空会社としてもう一社頭に浮かぶ航空会社がないだろうか。そう、アメリカ第4の都市である我らがヒューストンに本社を有していたコンチネンタル航空だ。しかし、コンチネンタル航空は2010年にユナイテッド航空と経営統合し、統合会社の本社は旧ユナイテッド航空の本社であったシカゴとなってしまう。

但し、地球を模したコンチネンタル航空のロゴは新ユナイテッド航空のロゴとして残り、ヒューストンのジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港は、引き続き新ユナイテッド航空のハブ空港の一つとなっている。また、航空連合で言えば、アメリカン航空のワンワールドと競い合うスターアライアンスの中核となっている。

ユナイテッド航空の株価(ティッカーコードUAL)は、アメリカン航空と同じく2016年6月に30ドル台後半まで下落したが、12月末現在では過去最高の約73ドルまで上昇している。足元は無配で、2016年9月末のROEは32%となっている。

この様にテキサス州はアメリカの大手航空会社が競い合う激戦区であるが、残念ながら優れたサービスを競い合ってはおらず、日本の航空会社等と比べたサービスの悪さは似たり寄ったりである。

ヒューストンにアートをもたらした女性とメニル・コレクション

アメリカの私営美術館を聞いて読者の皆様は何をイメージするだろうか。ニューヨークのメトロポリタン美術館だろうか。それとも、ロサンゼルスのゲティ美術館だろうか。

ことアートに関しては日本での知名度の低い我らがテキサス州ヒューストンであるが、実はヒューストンにも私営で運営され、メトロポリタンやゲティ美術館同様、入場料は無料で誰にでも開かれた美術館がある。それがメニル・コレクションである。

https://www.menil.org/

全米で最も都市計画が欠如した都市として知られ、雑然としたヒューストンの街並みの中、そこだけはヨーロッパを思わせる建物が並ぶ上品なエリア、ミュージアム・ディストリクトには、ヒューストンが誇る美術館や博物館が立ち並んでいる。その一角に静かに佇むメニル・コレクションは、20世紀のヒューストン随一のアート収集家でフィランソロピストでもあったドミニク・デ・メニルとジョン・デ・メニル夫妻のコレクションを収蔵し、1987年の開館以来、無料での開放を続けている。

収蔵品としては、ルネ・マグリット、マックス・エルンストやパブロ・ピカソなどシュルレアリスムや現代美術の名作が多い一方、同じ建物の別のスペースには、ネイティブ・アメリカンやアフリカの伝統的な美術品を展示したコーナーもあり、そのコレクションは約15,000点にも上る。

それでは、ドミニク・デ・メニルは如何にしてこれだけの私営美術館を築き上げたのだろうか。ヒューストンの地元新聞であるHouston Chronicle電子版の2016年6月16日付の記事、Dominique de Menil changed Houston, one art treasure at a time(ドミニク・デ・メニルはヒューストンを変えた、ある時期におけるアートの至宝)が彼女の波乱に満ちた生涯を紹介している。

ドミニクは1908年フランスで生まれ、彼女の父は現在でも世界最大の石油サービス企業であるシュルンベルジェ社の創業者であるシュルンベルジェ兄弟の一人であった。ドミニクが22歳の時に、ヴェルサイユのダンスパーティーで後に夫となるジョン・デ・メニルと出会い、一年後に結婚。ジョンはシュルンベルジェ社の重役となり、子供にも恵まれた夫婦は順風満帆な生活を送るはずだった。しかし、第二次世界大戦が勃発し、パリがナチスに占領されると、一家はアメリカに逃げ延び、シュルンベルジェの北米本社があるヒューストンに落ち着く。

最初は慣れないアメリカでの暮らしに苦労したが、成せば成るの精神が根付くテキサスの気風を気に入った夫妻は、フランスでのアートに対する知見をもとに、美術品の収集を始める。コレクションが増えるにつれ、夫妻の情熱はヒューストンにアートのコミニュティを作ることに広がり、自身のコレクションの一部をヒューストンの美術館や大学に寄贈していく。そして、遂には、自分たち自身の美術館の設立に至るのである。

アメリカに移住後カトリックに改宗した夫妻にとって、アートと自らの信仰は深く結びついており、美術品の収集においても、深い精神性を持った作品を志向した。1997年に亡くなったドミニクはかつてこう書いている。

Through art, God constantly clears a path to our hearts.

(アートを通して、神は絶え間なく私たちの心に至る道を示すのです。)

筆者として興味深く思うのは、そうした信仰心に根差した彼女が、自身の信じるカトリック、より広くキリスト教にまつわる作品だけでなく、ネイティブ・アメリカンやアフリカの伝統的美術品にも、人間の根源的な精神性を見出し、充実したコレクションを形成したことだ。以前このブログでも紹介したが、夫妻がアメリカの抽象表現主義の大家であるマーク・ロスコに依頼して建造し、メニル・コレクションに隣接するロスコ・チャペルも、宗教を問わないチャペルとして万人に開かれている。

↓ロスコ・チャペルについて以前書いた記事はこちら

画家マーク・ロスコがヒューストンで到達した極致ーロスコ・チャペル

アメリカでも最も人種や民族的に多様性に富んだ都市の一つであるヒューストン。その都市でドミニク・デ・メニルが死後20年程が経った今でも多くの人々から尊敬され、メニル・コレクションには絶え間なく人が訪れる理由は、苦難の人生を経験した彼女だからこそ、特定の宗教の内に閉じることのない、広い視野に立った精神性を持っていたからだと思う。

↓下の写真はメニル・コレクションの展示品の前で行われていた無料コンサート

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惨劇から50年を経て―テキサスの大学で銃の所持が合法化

最近日本でも、アメリカでの銃にまつわる事件を見ない週はないと思える程、警官による黒人射殺事件やその報復としての警官銃撃事件が多発しているが、アメリカ南部テキサス州では8月1日から、銃撃事件を増やしかねない法律が施行された。テキサス州ヒューストンの地元新聞Houston Chronicle電子版の8月1日付の記事Guns are allowed on Texas college campuses. Now what?(銃はテキサスの大学のキャンパスで許可された。そして何が起きる?)によると、今月からテキサスの公立大学の構内で誰でも銃を所持することが合法化された。期せずして、2016年8月1日というのは、大学での銃所持に関してテキサスの人々の記憶に残る惨劇から50年後であり、それがこの法律に関する論争を劇化させている。

今から50年前の1966年8月1日、元海兵隊員のチャールズ・ウィットマンは、テキサスで最も有名な大学であるオースティンのテキサス大学(University of Texas)で、当時一般公開されていた時計塔の展望台に登っていった。307フィート(約94メートル)ある時計塔の展望台に着いた彼は、突如としてライフルを取り出し、眼下に見える人々を狙撃し始めた。海兵隊で射撃兵だった彼の銃口は90分で15人を殺害し、32人を負傷させるに至る。後になって判明したことでは、彼は脳腫瘍によって、感情のコントロールが困難になっていたのだ。

但し、銃口を向けられた人々もただ黙って撃たれていたわけではない。当時、テキサスの公立大学では銃の所持が合法化されていたため、テキサス大学の学生達は自らのライフルを手に取り、次々に時計塔のウィットマンを撃ち始めた。日本の大学では到底想像できない光景ではある。学生達の反撃がどの程度影響したかは不明ながら、最終的にウィットマンは駆け付けた警察官によって射殺される。

この事件は、アメリカの歴史上稀に見る大量射殺事件として記憶され、その後アメリカ全土の警察でSWATチームが広く配備されるきっかけともなった。しかし、テキサスの銃支持論者にとっては、この事件において一般の大学生たちが銃を手に取って反撃したという事実は長く、大学での銃所持を認めることの利益の実例として扱われ、今回の銃所持合法化においても、遂に生徒達が銃で自身の身を守ることができる様になったと歓迎する。

とは言え、多くの人々にとっては、大学という静かな環境で勉学に励む場において銃所持が合法化されるのは好ましいことではなく、オースティンのテキサス大学やヒューストンのヒューストン大学の教授陣の中には、今回の法律施行を理由に、テキサスを去ることを検討している人々もいるという。

アメリカで銃を巡る社会的緊張が高まる中、今回の新法施行が大学における新たな銃による惨劇のきっかけにならないことを切に願いたい。

↓下の写真はヒューストンにあるアメリカ南部で有数の私立大学であるライス大学のキャンパスの風景。テキサス州の私立大学では銃の所持が各大学の方針に委ねられており、ライス大学では構内における銃の所持が禁止されている。(Rice University Campus Carry

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【書評】『アメリカの大問題』でテキサスからアメリカの今を読む

日本人にとって一般的なアメリカのイメージと言えば、自由で民主的な先進国であり、具体的な都市で言えば、ハリウッド映画に出てくる様な華やかなニューヨークやロサンゼルスの風景が代表的だろう。しかし、一度でもアメリカの地方で生活した方であれば、そうした大都市ばかりがアメリカではなく、むしろ多くのアメリカ人はもっと素朴な生活を営み、考え方も保守的だとの感想を抱いていることと思う。2016年7月現在、そうしたアメリカの二面性が如実に現れているのが大統領選挙におけるトランプ旋風だ。

昨年の大統領選挙の初期、ドナルド・トランプ氏が共和党の大統領候補に名乗りを上げた際には、アメリカでもほとんどの人々が冗談半分の泡沫候補だと考えていて、日本のマスメディアでも、彼が有力候補として取り上げられることは無かった。メキシコ系移民やイスラム教徒といったマイノリティー、日米安保体制や銃規制を巡る彼の発言は余りにこれまでの常識から外れていて(アメリカ的に言えば、政治的に不適切(politically incorrect))で、民主主義が進んだアメリカで多くの支持を集めるとは到底考えられなかったのである。しかし彼は、地方に住む保守的な白人男性に代表される、アメリカの多くの人々が抱えていた「怒り」を見事に捕らえて一大旋風を巻き起こし、遂には共和党の大統領候補に選出されるに至った。

こうした事態は、ニューヨークやロサンゼルスの状況を見ていても理解が難しいだろう。しかし、このブログのテーマであるアメリカ南部、特にテキサス州の状況からは、予想できなかったことではない。2013年秋より2年間、ヒューストン総領事としてテキサス州のヒューストンに駐在していた高岡望氏の新書、『アメリカの大問題 百年に一度の転換点に立つ大国』(PHP新書 2016年)は、テキサス州の視点から、トランプ旋風につながるアメリカ社会の諸問題を論じてみせる。IMG_0493

著者はまえがきで「テキサスがわかれば、これからのアメリカがわかる」との持論を展開し、テキサスは21世紀になって出現し、アメリカを取り巻く環境を根本的に変え得る三つの大問題の最前線に立っていると主張する。その三つの大問題とは、貧富の差の拡大やラティーノ系人口の増加に関わる「格差と移民の問題」、銃犯罪の増加やアメリカ外交の孤立主義化に関わる「力の行使の問題」、そして、シェール革命に代表される「エネルギーの問題」である。本記事では、こうした諸問題がテキサス州とどう結びつき、そしてそれが何故アメリカ全体の大問題と言えるのか、自分自身のテキサス州での経験も交えて、具体的に紹介してみたい。

まず、格差と移民の問題。この問題は最も関連性がわかりやすいが、メキシコを中心として中米からアメリカに押し寄せるラティーノ系移民にとって、テキサス州とメキシコとの国境は最大の玄関口であり、国境に巨大な壁をメキシコの費用で作るとのトランプ氏との発言でも波紋を呼んでいる。一般的にはアメリカは移民の国であり、アメリカの歴史とは異なる国からの移民を受け入れることで国家として成熟していく過程であった。しかし、ラティーノ系移民を巡る状況が現代アメリカ、特にテキサス州で特徴的なのは、移民の増加が急激で、かつ、アメリカに移住した移民がスペイン語等の自分達の文化を維持しようとすることだ。

高岡氏によれば、テキサス州では現在、ヒスパニック系(ラティーノ系と同義、当ブログではラティーノ自身の呼称に従ってラティーノという呼称を使用している)の人口が38.6%、黒人が12.5%、アジア系が4.5%でマイノリティーの人口の合計が白人の人口よりも多くなっている。そして、ラティーノ系移民は他の州でも増加しており、米国統計局の予測によるとアメリカ全体でも2060年には、マイノリティー人口の合計が人口の過半を占めると予想されるため、現在のテキサス州を見ることは、2060年にアメリカがどの様な国になっているかのヒントになるというのである(54-56ページ)。

実際にテキサス州に住んでいても、サービス業ではラティーノ系の人々が占める割合が多く、英語では難しい注文ができなかったりする。もとより保守的なテキサスの人々にとっての、潜在的な危機感をイメージ頂けるだろうか。しかも、ラティーノ系の人々は決して社会の下層だけに甘んじているのではなく、トランプ氏のライバルであったテッド・クルーズ氏の様に、政治の中枢にも進出してくるのである。

↓以前当ブログで取り上げたテキサス州のラティーノ系政治家達の記事

テッド・クルーズとフリアン・カストロ-テキサスのラティーノ系政治家達

第二の「力の行使の問題」も当ブログでも何度も取り上げてきたが、悲しいことに最近の白人警官による黒人射殺やそれへの報復としての黒人による警官銃撃という一連の事件で、日本でも改めてアメリカにおける銃の問題が浮き彫りにされた。高岡氏も指摘しているが、これだけ銃による悲劇が多発しても、アメリカ社会で銃規制が進まないのは日本人にとって理解しにくいところだ。それどころか、テキサス州では銃を合法的に使用できる機会が拡大しており、2007年の州法改正で、自宅に加え、居住地、自動車、職場などに、不法にまたは無理やり侵入された場合は、こちらがその場から離れる必要はなく、発砲していいことになった(129ページ)。

当ブログの筆者としても、テキサスの人々をある程度理解できているつもりではあるが、普段から銃を所持するテキサスの人々が銃規制に反対する発言をする際には、価値観の相違を感じざるを得ないこともある。トランプ氏が、6月のフロリダ州での銃乱射事件に対して、「被害者達が銃で反撃していれば被害が少なかったのに」という趣旨の発言をして批判を浴びていたが、テキサスでは銃乱射事件が起きた際に、同様の発言をする人も少なくない。そして、今年1月からは、テキサス州では銃を目に見える形で所持すること(Open Carry)も合法となった。

↓同じく当ブログでも取り上げたOpen Carry合法化の記事

銃を見せながら食事したら25%引!? テキサス州で商業施設での銃のOpen Carryが合法化

そして、第三の問題が「エネルギーの問題」だ。日本企業、特にエネルギー業界に関わる方々にとって、テキサス州と言えば世界のエネルギー産業の中心というイメージが強いと思う。しかしテキサス州では20世紀の後半にかけて石油生産量の減少が進んでいたが、ご存じの通り、21世紀に入ってシェール革命が本格化し、2008年以降にアメリカの石油生産は急激に増加する。

この問題に関する高岡氏の議論で特筆すべきなのは、シェール革命によってアメリカの石油や天然ガスの生産量が増加することで、国際政治におけるロシアや中東といった他の資源国の影響力が減少し、アメリカが豊富な資源を前提とした外交という「新しい力」を獲得するということだ。そして、アメリカはその「新しい力」をもとに、従来の国内優先主義から国際関与主義に舵を切り、日本を中心とした同盟国への原油やLNGの輸出を進めている(265-270ページ)。そして、2013年以降承認されたLNGの対日輸出案件の3件のうち2件が、テキサス州を含むアメリカ南部の案件だ。

この様に、トランプ旋風に代表されるここ数年のアメリカにおける新しい動きは、テキサス州を起点に考えると理解しやすいことがわかって頂けるだろうか。アメリカと言えばニューヨークやロサンゼルスのイメージという方にこそ、ぜひ読んで頂きたい一冊だ。

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一連の黒人射殺事件に対してビヨンセは愛と正義を訴え続ける

アメリカ南部を中心にこの数週間で起きた黒人を巡る一連の事件は、アメリカに限らず日本を含めて全世界で連日大きく報道された。日本においては、アメリカにおける人種問題が如何に根深いかを多くの日本人に印象づけたことだろう。筆者は当ブログで日本にはなかなか伝わらないアメリカ南部の現在を伝えようとしてきたが、正直なところ、今回の事件は私の想像を大きく超えていた。では、このブログでは何が伝えられるだろうか?

事件についての分析は既に多くの専門家が行っているためここでは避け、このブログではテキサス州ヒューストン出身で、黒人差別に対して最近、積極的なアピールを繰り返しているアメリカを代表する歌姫ビヨンセが、今回の事件にどう対応したかに注目してみたい。私達の世代にとって、最も身近な黒人アメリカ人である彼女の行動が、一連の事件の背景となっているアメリカ社会が抱える問題を理解するヒントになると思うからだ。

↓ビヨンセについて書いた以前の記事はこちら

アメリカ南部の歌姫ビヨンセのニューアルバムLemonadeが持つメッセージ

まず、事件の経緯を振り返ってみよう。事の始まりは、7月5日、ルイジアナ州の州都バトンルージュで、アルトン・スターリング氏という黒人の男性が白人警官によって射殺されたことに始まる。射殺の目撃者達はその現場を動画で撮影し、インターネットに投稿された動画は白人警官達が不必要に彼を射殺している様に見え、全米で大きな波紋を呼んだ。そして、翌7月6日、今度はミネソタ州で、交通違反で呼び止められた黒人のフィランド・キャスティル氏が白人警官に射殺され、同乗していた彼の恋人がフェイスブックにその一部始終を動画で公開した。事ここに至り、黒人達の憤りは頂点に達する。

そうした状況に対して、ビヨンセも敏感に反応し、7月7日の時点で自身のホームページにFreedomと題した文章を発表する。その文章は次の様な強い言葉で始まる。

“We are sick and tired of the killing of young men and women in our communities. It is up to us to take a stand and demand that they ‘STOP KILLING US.”

(私達はコミュニティの中で若い男女が殺されるのにすっかりうんざりしているわ。私達次第で、私達は立ち上がり、彼らが「私達を殺すのを止める」様に要求することができるのよ。)

といっても、ビヨンセは暴力的な行動を推奨しているわけではない。文章の最後を彼女は次の様に締めくくり、各地の議会に連絡するためのリンクを張っている。

“Click in to contact the politicians and legislators in your area. Your voice will be heard.”

(あなたの地域の政治家や議員に連絡するためにクリックして。あなたの声は聞き届けられるわ。)

また、この文章が黒人差別だけに限った狭い訴えにならず、全てのマイノリティーに向けたメッセージとなる様にも配慮している。

“This is a human right. No matter your race, gender and sexual orientation. This is a fight for anyone who feels marginalized, who is struggling for freedom and human rights”.

((警官によって命を失われないこと)は、人種やジェンダーや性的志向に関わらず一つの人権なのよ。これは疎外されていると感じている全ての人々、自由と人権を求めて苦闘している人々のための戦いなのよ。)

しかし、ご存じの通り、事態は予想外の悪化を見せる。7日夜になって、ビヨンセの地元テキサス州の州都ダラスで、黒人射殺に抗議する平和的なデモ行進が行われていた中、最近の黒人射殺事件に腹を立てたという元軍人の黒人の男性が、白人警官を銃撃し、5人の警官が死亡した。

こうした時ビヨンセの様な影響力のある人物の発言はバッシングの対象にもなる。ワシントンポスト紙の2016年7月10日付の記事Beyonce is a powerful voice for Black Lives Matter. Some people hate her for it.(ビヨンセは”Black Lives Matter”運動にとって強力な発信者だが、それを理由に彼女を嫌うものもいる)によると、一部の保守的なメディアは、上記の文章を含むビヨンセの発言が警官に対する暴力を助長したと非難しているという。

ビヨンセはそうした非難に対して自身のインスタグラムで動画によるメッセージを発表した。動画は白黒の映像で、テキサス州旗の映像と交互に、射殺された警官達の名前が映し出されていく。また、動画にはビヨンセによる下記のメッセージが添えられている。

Rest in peace to the officers whose lives were senselessly taken yesterday in Dallas. I am praying for a full recovery of the seven others injured. No violence will create peace. Every human life is valuable. We must be the solution. Every human being has the right to gather in peaceful protest without suffering more unnecessary violence. To effect change we must show love in the face of hate and peace in the face of violence.

(昨日ダラスで不合理に命を奪われた警官の皆様のご冥福をお祈りします。また私は負傷した他の7名の方々の完全な回復を祈っています。いかなる暴力も平和を生み出しません。全ての人間の命は価値のあるものです。私達は(人種問題を)解決しなければなりません。全ての人類はこれ以上の不必要な暴力に苦しむことなく、平和的な抗議のために集まる権利を持っています。変化をもたらすために、私達は憎しみに対して愛を、暴力に対して平和を示さなければなりません。)

デスティニー・チャイルドの時代から、長年にわたってアメリカのポップスの頂点で活躍してきた歌姫が、自身のキャリアを危険にさらしてまで、自らが信じる正義に根差した積極的な発言を繰り返している。時に現実は、私達の、そしてビヨンセ自身の想像をも超える。しかしぶれることなく発言を続ける彼女のメッセージがアメリカ社会にどう影響しうるか、引き続き注目していきたい。

 

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Brexitの次はTexit!? テキサスの独立が一部で盛り上がる

EUからの離脱への投票が多数を占めたイギリスの国民投票は現在もイギリスの国内外で大きな波紋を呼んでいる。イギリスの離脱はBrexitと呼ばれていたが、アメリカ南部テキサス州ではBrexitならぬTexitが一部で盛り上がっている。

ツイッターではテキサスのアメリカ合衆国からの離脱を意味する#Texitと呼ばれるハッシュタグが増え、ヒューストンの地元新聞Houston Chronicleの2016年6月27日付の記事Trump says Texas won’t secede if he’s president(トランプは自分が大統領になればテキサスは離脱しないだろうと言った)によれば、そうした動きを受けて、共和党の大統領候補であるドナルド・トランプ氏までが、「自分が大統領になればテキサスは離脱しないだろう、なぜならテキサスの人々は自分のことが好きだからだ」、と発言したという。

テキサスの独立への動きがイギリスのEU離脱を受けたネット上の一部の盛り上がりのみであれば、このブログで取り上げることはしない。しかし、そうした動きは決して今に始まったことではない。

1990年代後半よりダニエル・ミラー氏を中心としたTexas Nationalist Movementと呼ばれる組織がテキサス独立を目指した運動を活発化し、2013年初めには10万人以上の署名を集めた上で、ホワイトハウスに対してオンライン上での請願をするに至った。2013年1月13日付のNY Timesの記事White House rejects petitions to secede, but Texans fight on(ホワイトハウスは離脱を求める請願を却下した、しかしテキサスの人々は戦い続ける)によると、ホワイトハウス側も、結論はテキサス独立を否定するものとは言え、同請願に対して正式な回答をしている。

もちろん、Texas Nationalist Movementの主張は、テキサスにおいてもごく一部の人々に支持されているのみである。しかし、10万人以上の署名を集め、オバマ大統領の民主党政権も共和党のドナルド・トランプ氏も無視できない存在になっている運動が具体的に何を主張しているのかを見ることは、現在のテキサス社会、ひいてはアメリカ社会を考える上で参考になるだろう。

Texas Nationalist Movementのウェブサイトによると、テキサス独立を求める署名は現在では26万票以上に達し、テキサス独立が必要な理由として次のポイントを挙げている。

・テキサスはテキサス内部で完結する政府を得ることになる。

・テキサス独立はテキサスの人々が欲しているものだ。

・テキサスは自分達で選んだ政府を得る。

・無制限の支出や負債という失敗をした連邦の政策から離れる。

・国境を安全にし、まともな移民政策を作る。

・実体価値に基づく健全な財政政策を実施する。

・テキサスとアメリカ合衆国は政治的、文化的、経済的に異なる道を歩んでいる。

・独立はワシントンの官僚達がテキサスの人々が苦労して稼いだ資金を吸い上げることに終わりを告げる。

独立の同語反復にしかなっていない様なものもあるが、財政や移民に関するいくつかのポイントはドナルド・トランプ氏にも通ずるものがある。その意味では、もし11月の大統領選挙でヒラリー・クリントン氏が当選し、民主党政権が続くことになれば、テキサス独立運動も更に勢いを増すことが予想される。

テキサスの道路を運転していると、アメリカの国旗と同じ高さで、テキサスの州旗であるLone Starが高々と掲げられているが、こうした風景はアメリカの他の州では見られないものだ。また、テキサスの人々は良く、テキサス州はアメリカの州の中で唯一、法的にアメリカ合衆国から離脱する権利を有していると口にする。イギリスのEU離脱も、トランプ氏の躍進も初めは多くの人々が冗談だと思っていたことだった。その点、テキサスの人々が元から有する独立心が何らかのきっかけで大きな政治的動きにつながり得るか、引き続き注目していきたい。

なお、上に引用したNY Timesの記事によると、南北戦争後の1869年に出されたテキサス対ホワイト事件での最高裁判決では、アメリカ合衆国の個々の州は合衆国から離脱する権利を有しないと述べられており、2013年のTexas Nationalist Movementによる請願に対するホワイトハウスの回答にもその判決が引用されている。こうした判例をテキサスの人々がどう捉えているのかも合わせて調べていきたい。

写真はテキサス独立の象徴であるサンジャシントのモニュメントと州の名前を冠した戦艦テキサス。IMG_0124

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アメリカ最高裁が中絶を制限するテキサス州法を無効と判決した経緯

久しぶりにテキサス州の話題が日本のニュースに登場したと思ったら、またもや、テキサスが如何に保守的かを示すような話題だった。

米最高裁、中絶制限の州法「無効」 女性の権利支持

この判決は、民主党のヒラリー・クリントン氏が早速ツイッターで「テキサスと全米の女性の勝利だ」とツイートするなど、テキサス州としてのローカルな話題に留まらず、11月のアメリカ大統領選挙の一つの争点ともなりそうな勢いだ。実際、アメリカ南部ではテキサスに限らず、他の州でも同様の中絶制限法の無効を求める訴訟が相次いでおり、今回の最高裁の判決はそうした同様の訴訟に影響を与えることは間違いない。

しかし、今回テキサス州の訴訟が最高裁による憲法判断まで至ったのは、中絶賛成派と反対派の間での長い論争の歴史がある。我らがヒューストンの地元新聞であるHouston Chronicleの6月27日の記事U.S. Supreme Court strikes down Texas abortion rules in landmark ruling(アメリカ最高裁は画期的な判決によってテキサスの中絶法を無効にした)に詳しく書かれているのをまとめてみよう。

事の経緯はまず2013年1月、当時のテキサス州知事で今回の大統領選挙でも序盤に共和党から立候補していたリック・ペリー氏が「いかなる段階の中絶も過去の遺物とする(to make abortion at any stage a thing of the past)」と発言したことから始まる。当時のテキサス州では、40以上の中絶クリニックが開業していた。

リック・ペリー氏の熱意はHouse Bill 2と呼ばれる中絶制限法案に結実し、今回の最高裁の判決において問題とされた近隣の病院における医師の入院特権(Admitting Privileges)の必要性やクリニック外科手術の設備に関する厳しい規制に加え、妊娠20週以降の全ての中絶の禁止や中絶ピルの使用制限などが含まれていた。それに対して、民主党の上院議員で女性の権利の熱心な擁護者でもあったウェンディー・デービス氏は、スニーカーを履いてテキサス州議会で11時間に渡るフィリバスター(長時間に渡る演説を行い意図的に議会の進行を遅らせること)を行い、全米レベルで有名になった。

しかし、ウェンディ―・デービス氏の努力もむなしく、中絶制限法は可決した。テキサス州の小規模なクリニックにとって、入院特権を確保することや厳格な外科手術の設備を備えることは難しく、40以上あった中絶クリニックは現在では20以下にまで減少している。

そうした状況に対して、女性の権利を擁護する団体は中絶法の無効を求める二つの訴訟を起こした。テキサス州オースティンの一審では二回とも無効判決を得るものの、ニューオーリンズの控訴審では二回とも退けられる。そして、最高裁も最初は審理を拒否したものの、最終的には事件を受理し、今回の無効判決に至った。

但し今回の最高裁の判決はあくまでも、テキサス州法における入院特権の取得や厳しい外科手術施設の整備などが小規模なクリニックに閉鎖を迫る過剰な負担(undue burden)であるとして無効と判断されたものであり、それ以外のテキサス中絶法は引き続き有効となっている。更に残された中絶クリニックはテキサス州の中で大都市にしかなく、テキサス州の地方に住み中絶を望む女性は数日間家を空けることを強いられる。

ともあれ、女性団体は今回の判決を喜んでおり、特に議会でフィリバスターを決行したウェンディー・デービス氏は涙を流しながら、「本件はテキサスの女性にとって、そして全米の女性にとって素晴らしいニュースであり、かつてテキサス中の女性が有していた中絶クリニックへのアクセスを取り戻すには数か月かかるだろう」と語っている。

一方で中絶反対派は強硬な姿勢を崩しておらず、特にリック・ペリー前テキサス州知事に続いて、共和党選出で保守派で知られるグレッグ・アボット現テキサス州知事は「この決定は女性の健康と安全を保護するための州の立法権を脅かし、より多くの無垢な命が失われる危険をもたらす」との声明を出している。

そうした対立もあり、今回の最高裁判決が実際にテキサス州の中絶医療の現場をどう変えるのかは、今後の全米レベルでの類似の運動にも影響を及ぼすことは間違いなく、当ブログでも引き続き注目していきたい。

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テキサス独立に対するメキシコ人の認識はアメリカ人とこんなに違う

ヒューストンの東の郊外、ラ・ポルテと呼ばれる街にアメリカの首都ワシントンのワシントン・モニュメントに似たオベリスクがそびえ立っている。1836年にテキサスのメキシコからの独立を決定づけたサンジャシントの戦いを記念したモニュメントだ。モニュメントの最上部には、テキサス州の象徴であるローンスター(一つ星)の像が堂々と鎮座し、テキサスの人々はこのモニュメントはワシントン・モニュメントよりもローンスターの分だけ高いのだと誇らしく語る。(実際、サンジャシント・モニュメントは173m、ワシントン・モニュメントは169mでローンスターの像の分だけ高い。)IMG_0213

サンジャシント・モニュメントのウェブサイトはこちら↓

http://www.sanjacinto-museum.org/Monument/

そんな誇り高きモニュメントが記念するテキサス独立のあらましはこうだ。

19世紀前半、1819年恐慌に端を発する不況に苦しむアメリカにおいて、アメリカの実業家でスペイン臣民だったモーゼス・オースティンは、当時はスペイン領であったテキサスへアメリカ人入植者を呼ぶ計画を立て、スペインの承認を得る。しかし、時を同じくしてアグスティン・デ・イトゥルビデとサンタ・アナに率いられたメキシコの反乱軍は1821年にスペインからのメキシコの独立を勝ち取り、テキサスの新しい領有者となる。

同年、モーゼス・オースティンは志半ばで死亡し、彼の遺志を継いだ息子のスティーブン・オースティン(テキサス州の州都であるオースティンの由縁となっている人物)は、父親がスペイン政府から得ていたテキサスにおける権利をメキシコ政府との間でも保持すべく奔走し、結果として多くのアメリカ人がテキサス州に入植した。しかし、アメリカ人の急激な入植はメキシコ側の不信を生み、特に1834年にサンタ・アナがメキシコにおいて中央集権的な独裁者となってからはその対立は先鋭化する。

そして、1835年5月、アメリカでテキサス革命(Texas Revolution)と呼ばれる戦争が、テキサスのアメリカ人入植者とメキシコとの間で始まった。当初はテキサス軍が優勢であったが、メキシコの独裁者であるサンタ・アナ自身が反乱鎮圧のためにテキサス入りしてからはメキシコ軍有利に変わり、特にサン・アントニオのアラモ砦でテキサス軍の守備隊全員が殺害された、有名な「アラモの戦い」に至って、テキサス軍の不利は明確になる。

しかし、メキシコ軍はメキシコからの長距離の進軍により疲労の限界に来ていた。現在モニュメントがそびえ立つサンジャシントでメキシコ軍と対峙したテキサス軍は、サム・ヒューストン将軍(ヒューストンの由縁となっている人物)の指揮のもと、起死回生の反撃を行い、見事メキシコ軍を撃破、サンタ・アナを捕らえることに成功する。結果として、1836年5月、テキサスはテキサス共和国としてメキシコから独立し、更に1845年、テキサス共和国はアメリカ合衆国に加盟する。

と、ここまでアメリカ側から来たテキサス革命の歴史を見てきたが、一方で同じ歴史上の出来事を現代のメキシコ人はどう捉えているのだろう。ヒューストンの地元新聞であるHouston Chronicleの2016年3月1日付の記事What the Texas Revolution looked like to Mexicans(テキサス革命はメキシコ人にどの様に見えたか)にはメキシコ人側の全く違った見方が述べられている。

同記事によると、テキサス革命はInsurrección de los texanos(スペイン語でテキサスのアメリカ人入植者による反乱の意味)と捉えられている。テキサス革命はテキサスに来て間もないアメリカ人入植者が組織した民兵軍が引き起こした反乱であり、そしてその反乱は帝国主義的な膨張政策の初期にあったアメリカ合衆国政府によって支援されていたというのだ。更に、スティーブン・オースティンが民兵の反乱軍を組織したのは、奴隷による大規模プランテーションを実現するため、メキシコでは禁止されていた奴隷の保有を合法化するためであったとまで主張する。

アメリカ人とメキシコ人、どちらの主張が正しいかを判断することは本記事の目的ではない。本記事で読者の皆様に伝えたいのは、一つの歴史的出来事を巡って異なる見方が存在すること、そして、本件について言えば、そうした見方の対立は将来的に大きな問題となりうるということだ。

というのはこの数十年、テキサス州には合法・非合法を含めて、メキシコを中心とした多くのラティーノ系移民が移住している。我らがヒューストンでは、ラティーノ系人口がヒューストン全体の人口の中でのマジョリティとなっている程だ。とは言え、ラティーノ系人口は経済的にも政治的にもまだまだマイノリティーではある。しかし、以前このブログで紹介したフリアン・カストロ氏の様に、ラティーノ系の政治家が連邦レベルや州レベルで政治の表舞台に登場した時、異なる歴史解釈をめぐる相互理解がより重要となるのは間違いないだろう。

テキサスのラティーノ系の二大政治家であるテッド・クルーズ氏とフリアン・カストロ氏についての記事はこちら↓

テッド・クルーズとフリアン・カストロ-テキサスのラティーノ系政治家達

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ヒューストンのダウンタウンまでの接続がテキサス新幹線の成功の鍵

当ブログは、アメリカ南部テキサス州の二大都市であるヒューストンとダラスを日本の新幹線技術を用いて約一時間半でつなぐプロジェクトである、テキサス新幹線(テキサス高速鉄道)プロジェクトを応援しており、現地の報道などから最新の状況を定期的にアップデートしている。

1月の記事「テキサス新幹線に対する沿線の人々の根強い反対」では、平和な生活を守りたい沿線の住民による根強い反対をもとに、テキサス州の一部の州議会議員が日本の佐々江駐米大使宛に、プロジェクトに反対する書簡を送ったことを紹介した。

前回の記事はこちら↓

テキサス新幹線に対する沿線の人々の根強い反対

その後テキサス新幹線プロジェクトは中止されることなく、次のステップとしては、今年の夏の終わり頃に環境影響報告書のドラフトが発表される予定になっているが、ここに来て、ヒューストン市の側からプロジェクトを後押しする様な動きが出てきた。

地元の新聞であるHouston Chronicle電子版の5月10日付の記事Houston really wants the proposed bullet train to make a stop downtown(ヒューストンは提案されている新幹線がダウンタウンに停車することを切望している)では、ヒューストン市が、テキサス新幹線のヒューストン側の終着駅からヒューストンのダウンタウンまでを別の鉄道でつなぐ可能性を調査するエンジニアリング会社を募集していることを紹介している。

というのは、現在のプロジェクトでは、テキサス新幹線のヒューストン側の終着駅は、市の中心であるダウンタウンから大きく外側の、US 290とLoop 610という二つの高速道路が合流する地点に作られる予定となっている。公共交通機関の貧弱なヒューストンでは、ダウンタウンまでレンタカーを利用するか、Uberやタクシーを利用するしかないが、この地点からダウンタウンの中心部までは渋滞がなくとも車で20分程度はかかり、朝夕のラッシュ時にはその倍以上かかることもある。

この不便さは、ヒューストンとダラスをつなぐ既存の交通手段である自家用車や飛行機と比べて、テキサス新幹線プロジェクトのネックになりうる。そこでヒューストン市側としては、ダウンタウンまで別の鉄道で接続する可能性を調査することで、市がプロジェクト全体の利便性を向上する余地があるか検討したいというわけだ。

既存の交通手段について触れた以前の記事はこちら↓

テキサス新幹線のある未来

Houston Chronicleの同記事によると、こうした市側の動きに対して、プロジェクトの実行主体である民間企業、テキサス・セントラル・パートナーズの広報担当であるリード氏は、同社は自社の計画の外部でのいかなる代替的な提案についても、自社の計画を「補足する」ものとして検討すると述べる一方、そうした追加の鉄道は公的な資金調達に基づく(テキサス・セントラル・パートナー自身は民間企業)とも述べたという。また、同社は引き続き2017年後半、遅くとも2018年前半でのプロジェクトの着工を予定している。

著者がヒューストンの人々との会話から考えるには、テキサス新幹線プロジェクトが既存の交通手段、特に所要時間が近い飛行機に対して魅力あるものとなるためには、ヒューストン及びダラス双方でのダウンタウンまでの接続が不可欠だと思われ、ヒューストン市が主導する調査が実行され、前向きな結果が出ることを期待したい。

写真はヒューストンの高速道路から見たダウンタウンの風景。

IMG_0253

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これぞテキサスの味!ステーキハウス Taste of Texas

カウボーイ文化を色濃く残すテキサス州には、どの町にも数多くのステーキハウスがあるが、我らがヒューストンには、その名も「テキサスの味」というヒューストンを代表するステーキハウスがある。それが、Taste of Texas(テイストオブテキサス)である。

ヒューストンの西側、主要な高速道路であるI-10沿いにあるこのレストランは、毎晩夕方になると多くの人で賑わう。このレストランは予約を受け付けない方針を取っており、到着後30分程度は待つことを覚悟しなくてはならない。但し、待合室兼バーが設けられ、ポップコーンが無料で食べられるなどの配慮もされている。

待ち時間にすっかりお腹を空かせてテーブルに着くと、流石ヒューストンを代表するステーキハウスだけあって、テキサスでは滅多に見ることのない日本語のメニューを渡される。IMG_0160 (1)

このレストランは、Edd HendeeとNina Hendee夫妻が1977年にオープンし、1984年にテキサスで初めて証明書付きアンガスビーフを提供したというだけあって、ステーキの種類が豊富だ。ただ、著者としては、このレストランを初めに訪れた方には、ぜひトマホーク・リブアイ・ステーキに挑戦することをおススメしたい。

日本語のメニューにはこう書かれている。

「ステーキ通の中のステーキ通のお客様にお勧めいたします。プレートから飛び出す14インチ/約36センチ長さの38オンス/約1,077グラムの。お客様はこの最初のトマホークステークを決して忘れることはないでしょう!」

何ともステーキ好きの食欲とプライドをあおる言葉ではないだろうか。このレストランはもう何度も訪問しているが、私は半分以上はこのトマホーク・ステーキを注文している。

そしてさらに嬉しいのは、ステーキを注文後、希望者は店の奥に通され、ケースに並べられた肉の中から、自分が食べる肉を自分で選ぶことができる。実際には専門家でもない限り、どの肉がよりおいしいかを判断するかは困難なのだろうが、ステーキを食べるという課程を一つ一つ体験させてくれるのがテキサスらしい。IMG_1564

 

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肉を選んだ後は、バラエティー豊かなサラダバーでお好みのサラダやパンを選ぶことができ、ステーキが焼き上がるのを待っている間も退屈しない。ちなみに、キッチンで毎日焼き上げているというパンは、このレストランの隠れた名物と言える程おいしいので、ぜひ試してみて頂きたい。

そして十数分後、テーブルの上に待ちに待ったステーキが登場する。このレストランで最大の38オンス(約1,077グラム)のトマホーク・ステーキは「これぞ肉」とばかりに、プレートからはみ出してその存在感を主張している。IMG_1566

だからと言って決して大味ではなく、選び抜かれたアンガスビーフのリブアイは噛む程に柔らかく、肉汁が溢れ出て非常においしい。また、レモンペッパーやブルーチーズバターなどのトッピングも味に広がりをもたらし、大きなステーキでも最後まで飽きることがない。

更にこのレストランがすごいのは、その客がテキサスを初めて訪れたとわかると、カウボーイハットとスカーフを着用させた上で、カウボーイ風の写真を撮り、店を出る前にその写真をプレゼントしてくれるのだ。まさに「Taste of Texas」という名前を冠しているだけあってのテキサスらしいホスピタリティーで、著者はテキサスが初めての訪問者があった際には、できるだけこのレストランを体験してもらう様にしている。

単にステーキだけでなく、「テキサス」を体験できるステーキハウス、Taste of Texas。ヒューストンに来た際にはぜひ訪問して頂きたい。

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