ニューオーリンズの名物カフェ、カフェデュモンドを東京で発見

ルイジアナ州ニューオーリンズと言えば、フランス植民地時代の影響を色濃く残すアメリカ南部随一の観光地であり、その中心にあるフレンチクウォーターはいつでも世界中からの観光客で賑わっている。そして、そのフレンチクウォーターで100年以上前から、24時間、ほぼ年中無休で営業している名物カフェがCafe du Monde(カフェデュモンド)だ。これまでカフェデュモンドでの特別な一時は、ニューオーリンズを訪問した者だけに許される特権だと思っていたが、今回、偶然に東京にもカフェデュモンドがあることを発見した。

本家Cafe du Mondeのウェブサイトはこちら↓

Cafe due Monde in New Orleans

場所は東京でも有数の繁華街、池袋の駅前。池袋西口公園近くの喧騒から浮いた感じで、ニューオーリンズでお馴染みの緑と白の縞模様の看板が堂々と掲げられている。IMG_0241

まさかと思いメニューに近づいてみると、カフェデュモンドの看板メニューであるチコリ・コーヒーやカフェオレ、ベニエが書かれており、どうやら本物の様だ。それでは、ニューオーリンズ未体験の方にも、カフェデュモンドに興味を持って頂ける様、本場と日本との違いに触れながら、ここで紹介してみよう。

まずは店内の様子。ニューオーリンズのカフェデュモンドは24時間営業の観光客御用達の店だけあって、次々と入れ替わる客やひっきりなしに運ばれてくる料理でごちゃごちゃしており、テーブルや床の上も散らかっていることも多い。一方の日本のカフェデュモンド。さすが日本のカフェだけあって、店内は落ち着いた雰囲気で床にはごみ一つない。IMG_0246

次はドリンク。カフェデュモンドでは、コーヒーに、チコリと呼ばれるハーブの根を挽いたものがブレンドされたチコリコーヒーが飲める。ニューオーリンズのバーボンストリートで深夜まで飲み過ぎた朝にこのチコリコーヒーを飲むと、お腹の調子が良くなるという優れものだが、日本のカフェデュモンドでも、コーヒーは全てチコリコーヒーで、店頭で販売もされている。IMG_0242

このチコリコーヒーをカフェオレにして飲むのが、カフェデュモンド流であり、ニューオーリンズではアメリカンコーヒーが好きなアメリカ人には珍しく、ほとんどの人々がカフェオレを飲んでいるのだが、日本のカフェデュモンドでも、メニューの一番上にカフェオレが掲げられていた。IMG_0244

そして、カフェデュモンドの名物スイーツ、Beignet(フランス語でベニエと発音する)もバッチリ再現されている。ベニエは四角く切った生地を油でこんがり揚げたドーナツに似たスイーツで、その上に粉砂糖をかけて食べる。ニューオーリンズのお店だと、ベニエが見えなくなる位に粉砂糖がこれでもかとかかっており、正直もう少し砂糖が少ない方が美味しいのではないかと思ったものだが、嬉しいことに日本では、日本人の好みに合わせて砂糖が控えめにかかっており、お好みで足せる様に砂糖の瓶もついてくる。IMG_0245

それでいて、もちっとした食感はニューオーリンズそのままであり、できたてのアツアツを持ってきてくれるのも嬉しい。

結論として、日本のカフェデュモンドで、チコリコーヒーのカフェオレとベニエを頼めば、日本にいながらに、まるでニューオーリンズのフレンチクウォーターにいるかの様なカフェタイムが頼めることが間違いなしだ。

それでは、そもそも何で日本に本物のカフェデュモンドがあるかについて、日本のカフェデュモンドのウェブサイトには明確な記載はないが、本国のCafe du Mondeのウェブサイトに答えがあった。

そこの記載によると、1984年にニューオーリンズで万国博覧会が開かれた際、カフェデュモンドを訪れた日本のビジネスマンが、日本でカフェデュモンドをオープンすることに興味を示したという。しかしその後、正しいパートナーを見つけるのに5年もの月日を要したが、1989年にダスキンがフランチャイズパートナーに名乗りを上げ、カフェデュモンドのオーナーであるフェルナンデス家としても、日本でのフランチャイズ経験が豊富なダスキンであれば自分達のやり方を再現してくれると感じ、フランチャイズに向けた準備が始まったという。

日本側のカフェデュモンドのウェブサイトによると、2016年6月現在、全国で12店舗が営業しているようだ(東京では池袋だけ)。ぜひお近くのカフェデュモンドで、非日常の街ニューオーリンズの特別な一時を味わって頂きたい。

日本のカフェデュモンドのウェブサイトはこちら↓

Cafe du Monde(カフェデュモンド)

【2017年1月2日追記】

残念ながら、池袋のカフェデュモンドは2016年10月に閉店してしまいました。アメリカ南部好きとして、東京都内への再出店を切に願います。

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日本のテキサスバーベキュー 横浜・タップルーム ディナー編

アメリカ南部テキサス州を代表する料理、テキサスバーベキュー。日本の様にグリルするのではなく、肉をスモークすることで独特の風味が味わえるのが特徴だ。以前の記事で、そんなテキサスバーベキューを日本で味わえる店として、横浜のタップルームを紹介したが、前回の訪問時はランチタイムということで食べられるメニューに限りがあった。今回、ディナーで再訪する機会を得たので、改めて紹介してみたい。

前回の記事はこちら↓

日本でテキサスバーベキューが食べられる店 横浜・タップルーム

夜空にイルミネーションが煌く港町、横浜。その横浜で明治時代のレトロな街並みを今に残すエリア、馬車道の一角にタップルームはある。IMG_0226

 

週末の夜に行くと、一階から三階まであるお店は、アメリカ人と思しきグループを含めて多くのお客でにぎわっていた。訪問客の多くは、テキサス出身であるオーナーが伊豆の修善寺のブルワリーで作っているというオリジナルのビールを飲んでいて、店には笑顔が広がっている。

前回の訪問時には、ランチタイムということで、私がテキサスバーベキューの王様だと思っているメニュー、牛肉のブリスケット(肩バラ肉)が無かったが、今回は無事に注文できた。IMG_0229

見た目はテキサスで見るブリスケットそのもの。味については、他のメニュー同様、本場と比べると食感がパサパサした感じがあるが、専用のバーベキューソースをつけて食べれば、十分に美味しい。

そして、今回の訪問で最も気に入ったのが、スモークソーセージ。テキサスでは、ブリスケット、ポークリブ、ソーセージの三つのメニューがTexas Trinity(三位一体)と呼ばれる程、ソーセージもテキサスバーベキューの代表的なメニューなのだが、タップルームのソーセージは、ソーセージの香ばしさにスモーキーな風味がよく加わっていて、おススメの味だ。IMG_0230

ちなみに、テキサス州ヒューストンの地元新聞であるHouston Chronicleの2016年3月25日付の記事、5 things newbies should know about Texas barbecue(新参者がテキサスバーベキューについて知るべき5つのこと)によると、一口にテキサスバーベキューと言っても、三つの種類があるそうだ。

まず、ヒューストン等のテキサス東部スタイルは、豚肉を中心としており、トマトや酢をベースとしたソースも特徴だという。一方、オースティンやダラス等のテキサス中央部のスタイルは、牛肉、特にブリスケットを重んじており、その地域に多いドイツやチェコ系の移民が持ち込んだスモーク技術が使われているのだという。また、サンアントニオ等のテキサス南部では、メキシコ系テキサス人の伝統であるバルバッコア、牛の頭を丸ごと地下のピットで料理するスタイルが使われているそうだ。それぞれのテキサスバーベキューのメニューを食べる際に、それがテキサスのどの地域で人気なのか知ってから食べると、より味わい深いだろう。

そして、今回の訪問で意外なヒットだったのが、バーベキューピザ。小さく切ったテキサスバーベキューが、四角いピザにトッピングされているメニューで、牛肉も豚肉もこんがり焼けたチーズとよく合う。本場テキサスではそんなメニューは見たことはないが、テキサスバーベキューとピザがマッチすることがわかった嬉しい瞬間だった。IMG_0231

ディナーまで食べて、筆者としては、横浜タップルームではテキサスバーベキューの魅力が十分に味わえると考えている。テキサスバーベキューを食べたいけれど、テキサスまで行くのは遠い、そんな方はぜひ横浜まで足を運んで頂きたい。

最後に今回の訪問に付き合ってくれた同じくテキサス好きの友人夫妻に感謝しています!ありがとうございました!!

馬車道タップルームの情報はこちら↓

住所: 〒231-0013 神奈川県横浜市 中区住吉町5−63−1
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画家マーク・ロスコがヒューストンで到達した極致ーロスコ・チャペル

アメリカのアートの中心と言えばニューヨークであることは否定できないが、ニューヨークで叶わなかった願望をアメリカ南部で叶えたアーティストもいる。20世紀半ばのアメリカで流行した抽象表現主義(Abstract Expressionism)の代表的な画家の一人として数えられるマーク・ロスコ(Mark Rothko)もその一人で、彼のアーティストとしての人生は、ヒューストンにある巨大な作品ロスコ・チャペルでその極致に達した。

マーク・ロスコ自身はその生涯において、自らが抽象表現主義のアーティストに区分されることを拒否していたが、彼は1950年代当時、巨大なキャンバスや均一な平面に代表され、アメリカ発の美術潮流であった抽象表現主義のアーティストの一人と目されていた。1958年、彼はニューヨークで新たにオープンするフォーシーズンズホテルのレストランに掲げる壁画の注文を受ける。巨大なキャンパスに均一な色彩を持つ長方形を複数並べるという、独自のスタイルを確立させつつあった彼は、苦心を重ねてその仕事に取り組むが、結局自らのアートが上品な雰囲気のレストランに展示されることが耐えられず、途中で制作を放棄してしまう。

一方、そんな彼の作品に注目したのが、当時ヒューストン在住で、全米でも有数の美術収集家、そして、フィランソロピストとしても知られていたドミニクとジョン・デ・メニル(Dominique and John de Menil)夫妻だった。夫のジョン・デ・メニル氏は、現在世界最大の石油サービス企業であるシュルンベルジェ(Schlumberger)の創業者の一人で、夫妻はヒューストンの石油ガス産業がもたらす富を、アートという形で社会に還元する活動に力を注いでいた。

また夫妻は、当時世界的に広がっていた、キリスト教の教会一致を目指す運動であるエキュメニカル運動、そして、その運動に触発された同時代のアーティスト達の、精神性や宗教性の高いアート作品に感銘を受けていた。マーク・ロスコの作品を気に入った夫妻は、彼であればそうした神聖な空間をヒューストンに作り出すことができると考え、1964年、マーク・ロスコにチャペルの壁画の制作を依頼する。

フォーシーズンズホテル向けの仕事での経験もあり、アートを鑑賞する空間にも強いこだわりを持っていたマーク・ロスコは、この依頼に6年もの歳月をかけて全力で取り組み、1970年の突然の自殺によって彼の最後の作品となったこのロスコ・チャペルは、彼のアーティストとしてのキャリアの極致と評価されるに至った。では、現在は無料で一般公開されているこの作品を、著者なりに解説してみたい。

ヒューストンのダウンタウンの喧騒から離れ、小さな八角形のチャペルに一歩足を踏み入れると、内部の静謐な雰囲気にまず驚かされる。そして、チャペルの中央に進んだ者は、マーク・ロスコが心血を注いだ14枚の壁画に囲まれることになる。7枚は黒、もう7枚は濃い紫色で、全て大きな長方形のキャンバスがほぼ均一に塗られており、見る者に対して、安易な具体的な解釈を許さない。また頭上では、天井に空けられた穴から太陽の光が淡く差し込み、この空間の神聖な雰囲気を高めている。

そして訪問者は、自らがアートを鑑賞しているという状況を超え、静謐な空気の中、自らの内面、更には、現実を超えた超自然的な存在と向き合っているとの感覚を持つに至る。ロスコ・チャペルのウェブサイトによると、創設者であるドミニク・デ・メニル氏はロスコ・チャペルについてこう語っている。

“The Rothko Chapel is oriented towards the sacred, and yet it imposes no traditional environment. It offers a place where a common orientation could be found – an orientation towards God, named or unnamed, an orientation towards the highest aspirations of Man and the most intimate calls of the conscience.”

(ロスコ・チャペルは神聖なものを志向している一方で、何か伝統的な環境を強いることはありません。ここは(訪れる者に)人類に共通の志向を見出す場所を提供します。その志向とはつまり、人によっては神と呼ぶもの、人類が最も熱望するもの、そして、意識の奥底から湧き上がる呼びかけに対する志向なのです。)

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上の写真はロスコ・チャペルの入り口を映したもの。残念ながら内部は撮影禁止だが、ヒューストンに滞在する際には、ぜひ一人のアーティストがキャリアの最後に到達した極致であるロスコ・チャペルを訪れ、神聖な雰囲気の中、アートを見た自分が何を見出すか確かめて頂きたい。

↓ロスコ・チャペルのウェブサイトはこちら。

http://rothkochapel.org/

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ヒューストンのダウンタウンまでの接続がテキサス新幹線の成功の鍵

当ブログは、アメリカ南部テキサス州の二大都市であるヒューストンとダラスを日本の新幹線技術を用いて約一時間半でつなぐプロジェクトである、テキサス新幹線(テキサス高速鉄道)プロジェクトを応援しており、現地の報道などから最新の状況を定期的にアップデートしている。

1月の記事「テキサス新幹線に対する沿線の人々の根強い反対」では、平和な生活を守りたい沿線の住民による根強い反対をもとに、テキサス州の一部の州議会議員が日本の佐々江駐米大使宛に、プロジェクトに反対する書簡を送ったことを紹介した。

前回の記事はこちら↓

テキサス新幹線に対する沿線の人々の根強い反対

その後テキサス新幹線プロジェクトは中止されることなく、次のステップとしては、今年の夏の終わり頃に環境影響報告書のドラフトが発表される予定になっているが、ここに来て、ヒューストン市の側からプロジェクトを後押しする様な動きが出てきた。

地元の新聞であるHouston Chronicle電子版の5月10日付の記事Houston really wants the proposed bullet train to make a stop downtown(ヒューストンは提案されている新幹線がダウンタウンに停車することを切望している)では、ヒューストン市が、テキサス新幹線のヒューストン側の終着駅からヒューストンのダウンタウンまでを別の鉄道でつなぐ可能性を調査するエンジニアリング会社を募集していることを紹介している。

というのは、現在のプロジェクトでは、テキサス新幹線のヒューストン側の終着駅は、市の中心であるダウンタウンから大きく外側の、US 290とLoop 610という二つの高速道路が合流する地点に作られる予定となっている。公共交通機関の貧弱なヒューストンでは、ダウンタウンまでレンタカーを利用するか、Uberやタクシーを利用するしかないが、この地点からダウンタウンの中心部までは渋滞がなくとも車で20分程度はかかり、朝夕のラッシュ時にはその倍以上かかることもある。

この不便さは、ヒューストンとダラスをつなぐ既存の交通手段である自家用車や飛行機と比べて、テキサス新幹線プロジェクトのネックになりうる。そこでヒューストン市側としては、ダウンタウンまで別の鉄道で接続する可能性を調査することで、市がプロジェクト全体の利便性を向上する余地があるか検討したいというわけだ。

既存の交通手段について触れた以前の記事はこちら↓

テキサス新幹線のある未来

Houston Chronicleの同記事によると、こうした市側の動きに対して、プロジェクトの実行主体である民間企業、テキサス・セントラル・パートナーズの広報担当であるリード氏は、同社は自社の計画の外部でのいかなる代替的な提案についても、自社の計画を「補足する」ものとして検討すると述べる一方、そうした追加の鉄道は公的な資金調達に基づく(テキサス・セントラル・パートナー自身は民間企業)とも述べたという。また、同社は引き続き2017年後半、遅くとも2018年前半でのプロジェクトの着工を予定している。

著者がヒューストンの人々との会話から考えるには、テキサス新幹線プロジェクトが既存の交通手段、特に所要時間が近い飛行機に対して魅力あるものとなるためには、ヒューストン及びダラス双方でのダウンタウンまでの接続が不可欠だと思われ、ヒューストン市が主導する調査が実行され、前向きな結果が出ることを期待したい。

写真はヒューストンの高速道路から見たダウンタウンの風景。

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テッド・クルーズとフリアン・カストロ-テキサスのラティーノ系政治家達

5月3日、これまでアメリカ共和党による大統領選挙の予備選で善戦を続けてきたテキサス州選出のテッド・クルーズ(Ted Cruz)上院議員が、インディアナ州での敗北を受けて選挙戦からの撤退を表明した。終わってみれば、彼の敗北は予想できたものだったと思う。というのは、トランプ旋風の原動力となっていると思われる、アメリカ南部や中部に住む保守的な白人男性の怒り、社会保障や移民政策におけるリベラルなオバマ政治に対する怒りを取り込むには、キューバ系移民出身であるクルーズ氏のバックグラウンドは余りに不利だったからだ。

その意味を考えるために、日本ではあまり知られていないが、同じテキサス出身でここ数年で新星(Rising Star)として民主党内でメキメキと頭角を現し、ヒラリー・クリントン氏の副大統領候補の一人と目されているフリアン・カストロ(Julián Castro)現住宅都市開発長官とを比較してみたい。

まず、テッド・クルーズ氏。生まれこそカナダのアルバータ州でそのことをトランプ氏に批判されもしたが、1974年に4歳の時に家族でテキサス州ヒューストンに移住し、以降はテキサス州で育った。彼の父親は10代の頃に祖国キューバからアメリカに渡り、テキサスに移住後、プロテスタントの中でも保守的な福音主義の牧師となる。そうした家庭環境が、ラティーノ系でありながら、南部の保守的白人男性も驚く程に保守的な彼の政治的立場を形作ってきたと考えられる。彼はハーバード・ロー・スクールを卒業後、テキサス州の訴訟長官等を務め、2012年にテキサス州の上院議員に当選している。

自身もラティーノ系移民でありながら、クルーズ氏の公式ウェブサイトでは、トランプ氏に似た過激な移民政策を掲げている。彼はまず、メキシコとの国境により強固なフェンスを設置し、国境警備隊の数を3倍にすることで、これ以上の不法移民をブロックすることを主張する。その上で彼は、オバマ政権が進めてきた不法移民の一部合法化の政策を改め、よりアメリカ国民の利益に敵った新しい移民法制を作り上げることを謳っている。

しかし、クルーズ氏の場合、いかに過激な移民政策を掲げても、自分自身がそうして規制されるべきラティーノ系移民の一人として見られるというジレンマを抱えている。トランプ氏が保守的な白人男性像を体現しているのとは異なる。

一方のフリアン・カストロ氏にとって、ラティーノ系移民のバックグラウンドは大きな武器だ。

彼女の祖母は1920年、6歳の時に孤児としてメキシコを出て、テキサス州のサンアントニオにいた親戚の処に身を寄せた。彼女は小学校をドロップアウトし、残りの生涯をメイドや料理婦、ベビーシッターとして生計を立てながら、たった一人の子供であるカストロ氏の母親を育てた。カストロ氏の母親はメキシコ系移民の公民権運動であるチカーノ運動の活動家となり、そのことがクルーズ氏とは対比的なカストロ氏のリベラルな政治意識の源流となっている。カストロ氏は、クルーズ氏と同じくハーバード・ロー・スクールを卒業し、サンアントニオの市議を経て、2009年にサンアントニオの市長に当選する。

そして、彼を全米レベルで一躍有名にしたのは、2012年の民主党全国党大会における基調演説だ。2004年の党大会では、当時イリノイ州の州議会議員に過ぎなかったオバマ大統領を一躍有名にした歴史ある基調演説の責を引き受けたカストロ氏は、祖母が孤児としてアメリカに渡ってから約100年間で孫が政治家として注目を集めるに至る彼の家族の歴史に触れ、今でも多くの人々の記憶に残るスピーチを行った。

アメリカの公共ネットワークであるナショナル・パブリック・ラジオのウェブサイトにその基調講演の原稿が掲載されており、一部を引用すると、

My family’s story isn’t special. What’s special is the America that makes our story possible. Ours is a nation like no other, a place where great journeys can be made in a single generation. No matter who you are or where you come from, the path is always forward.

(私の家族の物語は特別ではありません。特別なのはアメリカという国が私達の物語を可能にしたことです。私達の国は他の国々とは異なり、グレート・ジャーニーが一つの世代においても可能な場所です。あなたが誰でどこから来たかに関わらず、道は常に前に開けているのです。)

America didn’t become the land of opportunity by accident. My grandmother’s generation and generations before always saw beyond the horizons of their own lives and their own circumstances. They believed that opportunity created today would lead to prosperity tomorrow. That’s the country they envisioned, and that’s the country they helped build.

(アメリカは偶然、機会に満ちた土地になったわけではありません。私の祖母の世代やその前の世代はいつでも、自分自身の人生や環境を超えた地平を見つめていました。彼らは現在の機会は明日の繁栄につながると信じていたのです。これこそが彼らが思い描き、建設を助けた国なのです。)

トランプ氏やクルーズ氏が高い壁を作ろうとしているテキサスとメキシコの国境、100年前にそこを渡ったカストロ家の物語は、まさにラティーノ系移民にとってのアメリカンドリームであり、アメリカという移民国家の理念を体現するものでもあるというわけだ。そうした彼のビジョンは、今後アメリカという国において、ラティーノ系住民の人口や政治的発言力が増えていくと予想される中、大きな力になり得る。

とは言え、テッド・クルーズ氏もまだ45歳。フリアン・カストロ氏に至っては41歳だ。ラティーノ系の政治家達がテキサスの、全米レベルの政治にどういった影響を与えていくか、長い目で注目していきたい。

写真はテキサス州エルパソ付近のメキシコ国境の風景。IMG_0017

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これぞテキサスの味!ステーキハウス Taste of Texas

カウボーイ文化を色濃く残すテキサス州には、どの町にも数多くのステーキハウスがあるが、我らがヒューストンには、その名も「テキサスの味」というヒューストンを代表するステーキハウスがある。それが、Taste of Texas(テイストオブテキサス)である。

ヒューストンの西側、主要な高速道路であるI-10沿いにあるこのレストランは、毎晩夕方になると多くの人で賑わう。このレストランは予約を受け付けない方針を取っており、到着後30分程度は待つことを覚悟しなくてはならない。但し、待合室兼バーが設けられ、ポップコーンが無料で食べられるなどの配慮もされている。

待ち時間にすっかりお腹を空かせてテーブルに着くと、流石ヒューストンを代表するステーキハウスだけあって、テキサスでは滅多に見ることのない日本語のメニューを渡される。IMG_0160 (1)

このレストランは、Edd HendeeとNina Hendee夫妻が1977年にオープンし、1984年にテキサスで初めて証明書付きアンガスビーフを提供したというだけあって、ステーキの種類が豊富だ。ただ、著者としては、このレストランを初めに訪れた方には、ぜひトマホーク・リブアイ・ステーキに挑戦することをおススメしたい。

日本語のメニューにはこう書かれている。

「ステーキ通の中のステーキ通のお客様にお勧めいたします。プレートから飛び出す14インチ/約36センチ長さの38オンス/約1,077グラムの。お客様はこの最初のトマホークステークを決して忘れることはないでしょう!」

何ともステーキ好きの食欲とプライドをあおる言葉ではないだろうか。このレストランはもう何度も訪問しているが、私は半分以上はこのトマホーク・ステーキを注文している。

そしてさらに嬉しいのは、ステーキを注文後、希望者は店の奥に通され、ケースに並べられた肉の中から、自分が食べる肉を自分で選ぶことができる。実際には専門家でもない限り、どの肉がよりおいしいかを判断するかは困難なのだろうが、ステーキを食べるという課程を一つ一つ体験させてくれるのがテキサスらしい。IMG_1564

 

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肉を選んだ後は、バラエティー豊かなサラダバーでお好みのサラダやパンを選ぶことができ、ステーキが焼き上がるのを待っている間も退屈しない。ちなみに、キッチンで毎日焼き上げているというパンは、このレストランの隠れた名物と言える程おいしいので、ぜひ試してみて頂きたい。

そして十数分後、テーブルの上に待ちに待ったステーキが登場する。このレストランで最大の38オンス(約1,077グラム)のトマホーク・ステーキは「これぞ肉」とばかりに、プレートからはみ出してその存在感を主張している。IMG_1566

だからと言って決して大味ではなく、選び抜かれたアンガスビーフのリブアイは噛む程に柔らかく、肉汁が溢れ出て非常においしい。また、レモンペッパーやブルーチーズバターなどのトッピングも味に広がりをもたらし、大きなステーキでも最後まで飽きることがない。

更にこのレストランがすごいのは、その客がテキサスを初めて訪れたとわかると、カウボーイハットとスカーフを着用させた上で、カウボーイ風の写真を撮り、店を出る前にその写真をプレゼントしてくれるのだ。まさに「Taste of Texas」という名前を冠しているだけあってのテキサスらしいホスピタリティーで、著者はテキサスが初めての訪問者があった際には、できるだけこのレストランを体験してもらう様にしている。

単にステーキだけでなく、「テキサス」を体験できるステーキハウス、Taste of Texas。ヒューストンに来た際にはぜひ訪問して頂きたい。

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アメリカ南部の歌姫ビヨンセのニューアルバムLemonadeが持つメッセージ

4月23日、我らがヒューストン出身の歌姫ビヨンセのニューアルバム、「Lemonade」が彼女の夫であるJay Zがプロデュースする音楽配信サービスであるTidalで限定配信され、世界中で大きな人気を集めている。そして、彼女は4月27日のフロリダ州マイアミでの公演を皮切りに、4か月に及ぶワールドツアー、The Formation World Tourをスタートさせた。
このアルバムの中でも、2月6日に先行発表され、翌日2月7日のスーパーボウルのハーフタイムショーでも披露された曲「Formation」は極めてメッセージ性の高い曲となっていて、アメリカ南部を深く知る上でも役立つと思うので、当ブログなりに考察してみたい。

まず、Formationのミュージックビデオは、What happened at the new Orleans?(ニューオーリンズで何が起こったんだ?)という男性のラップとともに、洪水に沈んだニューオーリンズの街に浮かぶパトカーの上に座ったビヨンセが登場する。

この洪水の風景は明らかに、2005年に発生し、ニューオーリンズの街に壊滅的な被害を与え、今でもその影響の残るハリケーン・カトリーナを表現している。ニューオーリンズでは当時、黒人の低所得者層の多い地域が、政府による対応の遅れもあり、略奪や暴行の横行する無法地帯と化し、州兵による治安維持も行われた。

パトカーの上に乗ったビヨンセを映した映像は、その後、警察官を映した映像に切り替わる。これは、そのハリケーン・カトリーナで根強く残る黒人への人種差別が浮き彫りになり、ここ最近も、白人警官による黒人の射殺事件が頻発している状況を示唆しているだろう。ビデオの後半ではより明示的に”Stop shooting us”(私達を撃つのはもうやめて)という過激なメッセージが映し出される。

各種メディアが指摘しているが、このFormationがリリースされた2月6日は、2012年にフロリダ州で白人警官に射殺されたTrayvon Marin少年の誕生日である2月5日、2015年にテキサス州で白人警官に逮捕された後に刑務所で自殺したSandra Blandの誕生日である2月7日の間の日にちとなっている。二人の死は、最近の黒人による人種差別に対する抗議運動のシンボルとなっており、ビヨンセ側も意識していた可能性が高い。

そして、サビの部分では、そうして黒人を巡る暗い状況が示唆される中、ビヨンセが力強く歌い上げる。

My daddy Alabama, Momma Louisiana
You mix that negro with that Creole make a Texas bama
I like my baby heir with baby hair and afros
I like my negro nose with Jackson Five nostrils
Earned all this money but they never take the country out me
I got a hot sauce in my bag, swag

(私のお父さんはアラバマ生まれ、私のお母さんはルイジアナ生まれ。二人は黒人とクレオール(ルイジアナ州のフランス人やアフリカ系黒人等を先祖に持つ人々)を混ぜて、私というアラバマ系テキサスの人間を作ったの。

私は私の娘が黒人的なアフロの髪の毛を持ち、私のルーツを受け継いでいることが好きだし、ジャクソンファイブみたいな鼻の穴をした、私の黒人らしい鼻が好きなの。私は多くのお金を稼いだけど、誰も私のふるさとを取り上げることはできなかったの。

私はバッグの中にホットソース(ルイジアナやテキサスの人々が大好きな辛いソース)をいれたわ。)

つまり、ビヨンセは、黒人を巡る現代の暗い状況に対して、現代において最も成功を収めた黒人の一人として、自らが黒人としてのルーツに誇りを持っていることを強調しているのである。著者の知る限り、ビヨンセがここまで人種的なメッセージ性の強い曲を発表することは珍しく、鬱屈とした感情を抱える黒人住民達にも大きな勇気を与えているだろう。ミュージックビデオの後半では、軽快にダンスを踊った黒人の少年に対して、白人警官たちが降参の意味で両手を挙げるシーンも登場する。

人種に関わらずアメリカで最も多くの人々が見るスーパーボウルでは、Formationの持つ強いメッセージ性が大きな議論を呼んだ。今週から始まったワールドツアーでのビヨンセのパフォーマンスがどういった反響を呼ぶのか、引き続き彼女の動向に注目していきたい。

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日本でテキサスバーベキューが食べられる店 横浜・タップルーム

以前このブログの記事伝説のテキサス・バーベキュー Salt Lick BBQでも、オースティン近郊の伝説的なバーベキューレストラン、Salt Lick(ソルト・リック)を取り上げたが、肉をグリルするのではなく、時間をかけてスモークするテキサス・バーベキューは、テキサスを代表する料理の一つで、日本で言えばラーメンの様に多くのテキサスの人々がこだわりを持っている。

一方、日本ではバーベキューと言えば専らグリルを意味し、テキサススタイルのバーベキューにはお目にかかったことが無かったのだが、今回横浜で遂に一件のテキサスバーベキューのレストランを発見した。

横浜の古い町並みが残る地区、馬車道で、大通りから外れた路地の一角に、馬車道 タップルームは控えめに佇んでいる。IMG_0096

店の入り口には、Texas Style BBQの文字とともに、見慣れたテキサス州旗が描かれた看板がある。しかもその下には、Beef BrisketやPork Ribなど、テキサスでは定番のバーベキューのメニューが並び、それだけでも感動してしまう。IMG_0097

店内に入ると、一階がキッチンとバー、二階がメインのテーブル席、三階はルーフバルコニーとビアガーデンになっており、私達は二階のテーブル席へ。アメリカンなインテリアが並ぶ中に、日本をイメージした絵がいくつか展示され、全体として落ち着いた雰囲気だ。また、フロアの端には、テキサスの地図やナンバープレートなども展示されていて、テキサスのレストランにいるかの様な気分にさせてくれる。IMG_0099

このタップルーム、静岡県の伊豆・修善寺にブルワリーを持つベアードビールというビールメーカーが経営しているレストランとのことで、バーベキューだけでなく、ビールの種類も豊富だ。しかも、ベアードビールの創業者であるブライアン・ベアード氏はテキサス出身だという。IMG_0098

ビールの種類は非常に豊富で、エールだけでも色々あり、日本では余り見かけないIPAがあるのも嬉しい。私達は昼間だったこともあり、3種類を少しずつ飲めるサンプラーを注文。テキサスでも、ShinerやSaint Arnold、Karbachなど、大小の地ビールのブルワリーがあるためか、バーではこういったサンプラーの注文ができることが多い。IMG_0102

そして、肝心のバーベキュー。残念ながら、テキサスでも一番人気の牛肉のブリスケット(肩ばら肉)は、ディナーのみのメニューということで、ポークリブ(骨付きあばら肉)とスモークチキンのプレート(1,200円)を注文。コールスローとポテトサラダが必ずついてくるのもテキサスらしい。IMG_0105

味についてはテキサスバーベキューのスモーキーな味わいは再現できていると思う。ただ、ソルト・リックの様なテキサスの有名店と比べると肉がパサパサしている(これはテキサスのバーベキュー店でもしばしば起こることだが)のと、サーブされた時点での肉の温度が若干ぬるいのが難点。但し、日本で唯一のテキサス製Smoke Master Ovenを備え、スモークには桜の木を使うなど日本でバーベキューを作るための試行錯誤も見られ、今後も継続的に通って応援していきたいと思っている。何より牛肉のブリスケットを食べないと十分な評価はできず、少なくともディナーに再訪したい。

恐らく、日本で唯一のテキサスバーベキューのレストラン。横浜を訪れた際にはぜひ足を運んで頂きたい。

馬車道タップルーム 

住所: 〒231-0013 神奈川県横浜市 中区住吉町5−63−1
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テキサス州の州花ブルーボネットについての意外な事実

日本で春を感じる花見と言えば桜だが、テキサス州では、テキサス州の州花Bluebonnet(ブルーボネット)を愛でることが春の風物詩となっている。そもそもテキサス州は多くが亜熱帯性気候で、我らがヒューストン周辺は日本で言えば奄美大島と同じ緯度なので、年中温暖で、日本の様に四季折々の自然を味わうという感覚は余りない。しかし、3月中旬から4月のブルーボネットの季節だけは、ブルーボネットがそこら中に咲き誇り、春の到来を感じることができるのである。IMG_1517

テキサス州にはいくつもブルーボネットの名所があるが、ヒューストン近郊で言えば、ヒューストンから北西に70マイル程北西に行ったところにあるBrenham(ブレナム)という街は、テキサス中央部のブルーボネット地帯の中心として知られ、まさに見渡す限りのブルーボネットを楽しむことができる。IMG_1523

そんなブルーボネットが何故テキサス州の州花になったかについて、ヒューストンの地元の新聞であるHouston Chronicleの過去の記事に、意外な事実が明らかにされていたので、ここで紹介してみたい。

Houston Chronicleの2008年3月23日付の記事How bluebonnets became state flower(どうやってブルーボネットがテキサスの州花になったか)によると、事の経緯はこうである。

20世紀の初め、テキサスでは男女間の激しい争いがあった。今以上にマッチョイズムが強かった男性の州議会議員たちは、たくましいサボテンや当時南部の主要産業であった綿花こそ、テキサスの州花にふさわしいと考えていた。それに対して、National Society of Colonial Dames of America(全米植民地婦人会)を中心とした女性達は、当時バッファロー・クローバーと呼ばれていたブルーボネットの一品種、Lupinus subcarnosusこそ、テキサスの州花にふさわしいと主張したのだ。クローバーというかわいらしい響きと、バッファローという強さの象徴が両立する呼び名は、確かに人当たりが良くたくましい、テキサスの女性のイメージに合致する。結果、紳士たらんとした男性達は、女性の望みを叶え、Lupinus subcarnosusは1901年にテキサス州の州花となった。

そして、話はこれでは終わらない。実はかわいらしいLupinus subcarnosusに対して、より大きく頑丈なLupinus texensisというブルーボネットの品種もあり、一部の人々はこの品種こそテキサスの精神を象徴するにふさわしいと主張し続けていた。そして何とそれから70年もの時を経て1971年、州議会は州花に関する法律を改正し、Lupinus subcarnosusとLupinus texensisを含む全てのブルーボネットの品種をテキサス州の州花として指定したのである。

こうしてブルーボネットにまつわるテキサスの歴史をひもとくと、この美しさとたくましさの両方を兼ね備えた花もまた違った見え方がしてこないだろうか。IMG_1530

春にテキサス州を訪れる方はぜひ道端に咲くブルーボネットを探して頂きたい。

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ヒューストンが全米で最も都市計画がヒドイ都市に選出!?

アメリカの情報サイトThrillistに、2016年3月4日付でThe 9 Worst Designed Cities in the US(全米で都市計画がヒドイ都市ワースト9)という興味深い記事があり、そのランキングの中で我らがヒューストンが最も都市計画がヒドイ都市に選出されているのだ。他のアメリカ南部の都市もランキングに登場しており、アメリカ南部を理解するのに役立つと思うので、ここで紹介してみたい。

このランキングはThrillistが複数の都市プランナーに取材して、独自に作成したという。まず、ワースト9のランキングを並べると、

9位 モンタナ州ミズーラ

8位 ルイジアナ州ニューオーリンズ(アメリカ南部)

7位 フロリダ州オーランド(アメリカ南部)

6位 ワシントンDC

5位 カリフォルニア州ロサンゼルス

4位 ペンシルバニア州ピッツバーグ

3位 ジョージア州アトランタ(アメリカ南部)

2位 マサチューセッツ州ボストン

1位 テキサス州ヒューストン

さて次に、ヒューストンが何故この様な不名誉な称号を獲得したかを見てみると、同記事は、有名な土地区画法(Zoning Law)の欠如を挙げている。その結果として、「アダルトショップの横に高級デパートがあり、さらにその横に高層オフィスビルがある」といった風景が見られることを指摘している。

確かに、全く異なる建物が隣り合っている様子はヒューストンでよく見られる風景だ。何気なく撮った写真の中でも、歴史的な建物と高層ビルが隣り合っていたりする。IMG_1234

しかし、同記事も認めている通り、ヒューストンの人々は土地区画がない事実を好ましく思っている。この都市では過去、土地区画法が何度も住民投票にかけられては否決されてきたという。

アメリカ南部の都市は総じてその傾向があるが、ヒューストンに初めて来た時に感じたのは、一見したその無機質さだ。ダウンタウンのごく一部のエリアを除いて、歩いてお店を巡れる場所はほぼ皆無で、移動は全て車。結果として、お店は中央に大きな駐車場を備えた多くのモールに集まることになり、最初はどこのモールに行っても同じに見えた。

ところが住み始めてからしばらく建つと、高速道路の脇に、突然大きな教会が現れたり、高級レストランの横に当たり前の様にストリップ劇場が並んでいたりする様子に気づき、この都市が有する混沌、自由に変化を続ける活力に魅了されてくる。それは、元よりフロンティアの時代からテキサスの人々が持っていた自由を愛する土壌を下敷きに、20世紀後半の石油ブームで、世界中から多種多様な人々が移民してきた歴史と無縁ではないだろう。IMG_1580

ちなみに同記事では、そうした都市区画の欠如が、私有車での通勤時間の長期化や公共交通の貧弱さを生み、ひいては最近まで全米で最も肥満率の高い都市という、もう一つの不名誉な称号を保持していたことにつながっているとも指摘している。私見では、確かに公共交通の不足との関連はあると思うものの、肥満率の高さはステーキからコーラに至るまで”Everything is bigger in Texas”の精神で、何でも特大サイズを注文する気風の方が問題だと感じるのだが。。。IMG_1575

 

 

ヒューストンを訪れる際には、都市区画の無さが生み出す混沌という魅力にぜひ注目して頂きたい。

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